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ひたすらに続けるすごさを身近な人から教わっていたことを思い出した

こんばんは。

2年前,担任していた5年生の子どもたちと「『鬼滅の刃』面白いよ!」「えっ,鬼を倒す話でしょ?怖いやつ先生ダメなんだよね」「え~,ぜんぜん怖くないよ。そうそう。面白いから見てみてよ!!」とあまりにキラキラした目線で僕のこと見つめるもんだから,見てみたら鬼の首は飛ぶわ,頭から手足が生えて動くわで恐怖のどん底に落とされた,30歳の教員です。(見始めたのが,まさかの朝4時)(翌日「もうだまされないからな」と言ったらあまりに子どもたちが笑うから悔しくてもっと見たらはまったw)

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今日は少し言語や教師の話とは離れて,僕自身の思い出の話をさせてもらいます。

というのも,明日4月5日はおじいちゃんの命日なんです。亡くなってもう11年が経とうとしています。月日が流れるのは早いものだと改めて感じます。

おじいちゃんが亡くなった年は鮮明に覚えています。それは僕の成人式を見てもらえなかったから。亡くなった年が僕が成人式を迎える年。大好きだったおじいちゃんに成人式を晴れ姿を見てほしかったなといまだに思っています。天国で見てくれていたのかな?

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おじいちゃんとの思い出は一緒に学校に行ったことです。僕が小学校の途中までは土曜登校がありました。懐かしいですね。隔週で土曜日に学校に登校するのですが,その時にはいつもと違っておじいちゃんと一緒に学校に行くのが日課だった気がします。おじいちゃんは敬虔なクリスチャンでお祈りを毎日欠かさずに同じ時間に行っていました。そんなおじいちゃんが僕にとってとってもカッコいい男の象徴でした。

一緒に登校するときは会話の代わりにいつも主の祈りを一緒に言っていました。だって覚えているとおじいちゃんが嬉しそうなんだもん。そんな姿が見たくて覚えたようなものです。

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昔の人だからギャンブルや女性関係で失敗したことは度々あったようで,おばあちゃんも昔を懐かしむようによく話してくれました。(笑い話でですよ。昔のことは恨みっこなしという事を学びました)

そんなどうしようもないと思われていたおじいちゃんが僕にはヒーローに映る。たぶんそれはひたすらに同じことを続けてる継続力がずば抜けていたことだと思います。亡くなる寸前までおじいちゃんは食事の前後,数分のお祈りを行っていました。毎日欠かさず3食!めっちゃかっこいい!

傍から見ていると何しているんだろうと意味あるのかなと思うかもしれませんが,毎日同じことを欠かさずにできるって半端なくすごいこと。僕はおじいちゃんから背中で継続力の大切さを教えてもらっていました。

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そんな憧れのおじいちゃんが亡くなって早11年。少しはおじいちゃんに追いつけたかな?

明朝は晴れるみたいなのでお墓参りをして,おじいちゃんとお話してから学校に行こうと思います。

久しぶりにコーヒー淹れてあげようかな(^^♪


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