赤月月#13 感想

人間とは、動物界最強の生物だ。
鋭い爪や牙、硬い鱗は持っていない。力もない。
だがそんな事、些細な問題でしかない。

そこらへんの尖った岩は、ありとあらゆる獣が持つ牙や爪より強力だし、植物の繊維や動物の毛皮を編んで理想的な表皮を身に纏う事ができる。
肩は物を投げるのに最適な形へ進化しており、地面に落ちてる石ころを群れで相手に投げつけるだけで相手は死ぬ。
手先は物を掴むのに特化した形状をしており、最早自然界で掴めない物を探すほうが難しい。
『発汗』という蒸発潜熱を用いたアクティブ体温冷却システムを備えており、獲物が地面にへたり込むまで延々と追跡することも可能だ。
そして何より、今までに培ってきた『経験』を『言語』として後世に語り継ぐ事を可能とする発声器官と頭脳がある。

正直に言ってチートもいいとこだ。
ヒトは偶然自然界の覇者になったなんて戯言を言う輩もいるが、決してそうではない。
成るべくして成ったのだ。

だがしかし、そんな最強の動物であるヒトにも弱点はある。
それは、心だ。

ヒトという動物は、自らの頭脳の全てを生存行為に費やす必要が無くなった時期(≒知性を獲得して)からそれほど時間が経っていない。(地球スケールの話で、である)
言い換えれば、まだ生まれたての種族なのだ。
産まれたての赤子が揺り籠と、母親の母乳と、玩具にしかその興味を示さぬ様に私達もまた、この3つに縛られて生きている赤子なのだ。

故にその心は未熟で、とても脆い。
邪を知らぬ故、知る物全てに影響を受ける。良くも、悪くも。

ヒトの身体は太古から脈々と進化を続けているが、精神は未だver.1.00の儘である‥‥‥。

‥‥‥という話を『母親がカルト宗教にハマっている』という人生相談に対するゆに様のアドヴァイスを聞きながら思い出していた。

私が思うに、宗教とはヒトが持つ精神の脆さを補うためにヒトが生み出した外付けの防具だ。
寒ければ衣服を着るように、心が脆いから宗教を信じる。
精神的な『生きる糧』として、救いや癒やしを宗教へ求めるのは痛いほどよく分かる。
私も、皆も同じだから。

『神話が崩壊し、宗教のシステムだけが残された』現代でヒトは何を縋って生きればいいのか。
私の場合はゲームと小説、あと模型と酒とゆに様があれば生きていけるが万人がそうではない。
‥‥‥いや、結論から言ってしまえば『自分が信じたい物』を勝手に信じて生きるしか無いのだが、案外コレを理解している人間というのは少なかったりするからタチが悪い。

近年ソシャゲが俄に若者の人気を集めているのも、縋る依代を見つけられぬ若者が『とりあえず』楽しいから、皆遊んでいるからという理由で身銭を切ってまで『生きる糧』にしているからと思えて仕方がない。
いや、私が斜に構えているだけか?

まあいいや、ともかくヒトは未だ『神様』から卒業出来てない。
よく見るVtuber、よく遊ぶソシャゲのプロデューサーやシナリオライター(若しくはソシャゲそのもの)を神様として崇めている若者は多い。

人と人の繋がりが希薄になった今だからこそ、真の意味での宗教が必要とされているのかも知れないと感じた。

まあ私は、そんなヒトを導く教祖になんてなりたくもないが。

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