赤月月#17 感想

赤月月の感想が#13、15、17と1個飛ばしで連続しているが、別に狙っているわけではない。
日々の生活の中でポケーっとゆに様のお言葉を拝聴しつつ晩酌をする中で、ふと思いついて勢いのまま感想を綴る回がたまたまこれらの回であっただけだ。特に深い意味はない。
以下本文

この回では主様とその眷属諸氏の知識量に追いつくべく、日々自作メモ帳に『ゆにの日』を足がかりに得た知識を書き留める新米眷属のお便りが読まれた。(ふと思ったがVtuber界というのは一年いた程度で先輩面ができるほどに入れ替わりの激しい世界なのか?いやはや、戦慄である‥‥‥)
彼(女)曰く、2週間続けてきたが楽しいけども辛い、主様に褒められたい‥‥‥との内容であった。

このお便りを見た私の率直な意見は、『つらいなら辞めればいいのに』であった。
そもそも、知識とは生存行為に直接必要はない。
真の意味で生存に必要な動作・システムというのは我々の無意識に等しく刻まれているし、わざわざ学ぶ必要などはない。
生きていくだけなら、知識は無くても問題ない。
言い換えれば、無駄なのである。

ではなぜ、人は知識を求めるのか。
古来から幾人もの哲学者達がこの命題を論じてきたが、それらの論に共通するのは『自身の人生を豊かにする為』であろう。

私が思うに、このお便りの投稿者である新米眷属氏はこの『知識を学ぶ意味』という物を深く理解していない。
主様・眷属諸氏の知識量に追いつくという『目標』が『意味』を追い抜き、何故そうするかを理解できないまま行動を続け、お便りを主様に送ったという印象である。

当然ながらそのような状態では、その努力は続かない。
いや、努力しようと頭では思っていても行動に必要なエネルギーというのが出てこない。
言い換えるのであれば、つまらない学校の授業と同じだ。やる気が根本的に出ないのである。
そんな授業が毎日毎日延々と続くのであれば‥‥‥。
まあ、結果は火を見るより明らかであろう。

では、そのような状況をどう打開すれば良いのか。
結論から言えば3つ。

①.『意味』を理解した上で、自分が我慢できる範囲で続ける。
②.『意味』を理解した上で、自分が楽しいと思える(≒一生続けられる)ジャンルにのみ絞る。
③.辞める

私の場合、無意識の内に②を選んでいた。
おかげで今では立派なミリオタ兼歴史兼宇宙おじさんだ。
今思えば随分とニッチな分野にのみ特化してしまった感はあるが、それでもこの知識に意味がないとは思えない。
間違いなく私の趣味を通して人生を豊かにしてくれたし、尊敬できる人物・過去の偉人を知ることができたし、その人らの哲学に触れ私の人生はより深みを増したと言える。(ここまで書いて何だが、自意識過剰である)

①の場合は、TIL(Today I Learned)なんかが丁度良いのではなかろうか。
これは『今日学んだ一つのこと』と題して起きてから寝るまでの間に得た/学んだ知識・知見・哲学・逸話等を記録する海外インターネット文化である。
これを他人に公開するかどうかはさておき、一日ずっと何も学ばないという日は(殆どの場合)無いと思うので気軽に続けることができる。
それをずっと続けていれば、或いは他者の物に触れることができればより効率よく知識を吸収して行けるだろう。
まあ、私はやったこと無いのだが。

そしてもし、③を選ぶ場合。
思い直して欲しい。
貴方は知識の探求という人間引いては今を生きる我々にのみ許された特権を捨てようとしているのだ。
知るという行為に、遅いという事は無い。
その素晴らしい行為を、人類が等しく持つ飽くなき探求の心を、閉じ込めるべきではない。
まずは気晴らしに漫画でも読んでは如何か。
その登場人物がもつ哲学や、作者がストーリーを通して読者である貴方に伝えたい事を、もっと深く考えてみてはどうだろうか。

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