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浅瀬に漂う"好き"の波


自分が好きなものを
深く、長く、
推せるひとが羨ましいと思う。

例えば、
1人のアイドルやバンドをずっと応援するとか、読んでいる漫画を完結までずっと追って読み続けるとか、旅が好きで何年もあちこちに出かけてるとか、
色々と。

私は、そういうのが得意ではないらしい。
移ろいやすく、飽き性なんだろうと思う。

趣味と呼べるほど大層なものは持っていないが、好きなものはある。
ただ長続きしない。

なんとなく最近思うのは、
「好きに波がある」という事。


寄せては返す


昔から読書が好きだが、
365日ずっと読んでいるわけではない。

ひとたびハマれば、朝に夕にと寝る間も惜しんで、読み耽る集中力はある。
明け方まで夜更かししたり、電車を乗り過ごしたりもする。
ストーリの続きを早く知りたいという、執着とも言えるのかもしれない。

ただ、大人買いしたシリーズや既刊分まで読み終えると、そこで満足してしまい、
「本読みたい!」の波が引いていく。

そうすると、しばらく小説も漫画も1ページも開かない時期が来る。

その間に何をしているかというと、
また別の好きの波が来ていて、
例えば、ドラマを一気見していたりする。
ただこれも、ひとタイトル見終わったら、波が引く事が多い。

映画に毎週行っていたり、
舞台のチケットをやたらと取ってみたりしている時もあれば、
料理に目覚めて野菜を刻みはじめ、餃子を包んでいたりもする。

砂浜に寄せる波がそうであるように、
寄せて返した"好き"が、前と同じものとは限らない。

一度きりの波で終わってしまうものもあるし、間隔を開けて何度かやってくるものもある。

それで言えば、小説や漫画を読むのは、昔ほどは読めなくなったものの、
定期的に何度も寄せてくる"好き"なので、趣味と言えるのかもしれない。



浅瀬

私は"好き"の、深度も浅めと思う。
そして、それが少し寂しいと感じている。

大学生時代、周りにはいわゆるオタクな人が多かった。
特殊な学科のせいもあり、似たもの同士が集まった所だった。

グッズを全種類集めたり、
ライブに欠かさず行ったり
CDを買い揃えたり、
ゲームのガチャをすごく回したり、
人であればその人が出ているドラマやアニメを全部見たり、と
熱量が高い人が多かった気がする。

私の好きは、それに比べると全然、
熱量が高くない。

冷めてるわけではないと思うし、
保温という穏やかさもなく、
ガンッと急にくるのに、インフルエンザほど熱の出ない、中途半端な風邪みたいな半端さだ。

このアニメが好き!となっても、
グッズを集めたいとまでは思えなかったり、
この俳優さん好き!となっても、
出てるドラマ全部見るというほどまでにはならない。
好きな歌があっても、その歌手の人のライブに行こうとはならない。

「これがすごい好きなの!
  ねえ、聞いて聞いて! 
  今度これが発売でね、
  イベントに行って、あれがあって……」

と、とても楽しく語ってくれる友人の、
その熱量と幸せそうな話を聞きながら、
そんな推し活が羨ましいと思った。


波にただよう

今、好きなものは、いつまで好きか分からない。
いずれ変わってしまうのならと、どこか熱を入れて真剣になるのに怖がっているのかもしれない。

物にしても、人に対しても。

今 好きな物に、今 好きな人に、
私は、いつまで"好き"でいられるのか。

そんなこと考えなければいいのに、ふと考えてしまうのが私の良くない所だ。

絶対も、永遠もないという思いが、いつから心の隅に巣食っているか覚えていないが、いつもどこかで諦めている気がする。
揺蕩う波を、人の手で留めておく事ができないように。


それでいて、どこか、
その状況に納得できていない自分もいる。
いつもの、矛盾した自分。
だから、好きなものを深く、長く、推せるひとが羨ましいと思うのだろう。


今は、自分の中の事を書きたい波が来ている。だから、noteを書き始めた。

この"書きたい"という波が、いつまで打ち寄せるか分からないが、
もうしばらくは、この私の浅瀬に、
可能なら長めに漂っていて欲しいと思っている。

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