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書く選択、書かない選択


何をnoteの記事にするか、私は私の日常の中から選んでいる。

そしてそれを、「どこまで書くのか」も。



個人情報のこともあり、あまり特定できるような詳しく書かないことが多い。

お笑いライブ行った記録もX (Twitter)の方にあげているが、事前に「このライブ行きます!」とは書かず、基本的に行った後に「行ったよ」と書く。
でもたまに、この公演楽しみ!と先に書いたりもする。

noteの記事も、「この出来事」と自分の中にきっかけや種はあるが、それについて詳しくはあまり書かないようにしている。
一般化、と言うわけではないが、当てはまると言えば当てはまるかもという範囲を広めにとっている。



「人生は選択の連続だ」なんて聞くけれど、選択することは結構疲れるので、私は、出来ればあんまりやりたくない。

幼い頃、買ってもらうケーキの種類さえも自分で決められなかった。
チョコケーキと、イチゴのショートケーキ、どっちだって美味しいに決まってるし、じゃあ何を基準に選べばいい?何を基準にして「こっち!」と決めたらいいの?

今思い出しても、かなり面倒くさい幼少期だった。
母、本当に申し訳ない。


大人になって、何度も選択を経験して、慣れてはきたんだろうか。自分の中で、何とか悩んだ時のルールを決めたり、妥協したり見ないふりしたりして、ある意味流されるままに流れてきた。
それでも、選ぶの疲れるなんて言ってられないし、意識的に選ばなくても、やっぱり選んでいる。



note書く時、日常のたくさんの中から、何を書くか。
朝起きた時から寝るまで。実際に起きたことから、考えたこと、過去のこと未来のこと。
どこに句読点を入れるか、改行はどうするか。



仕事で今日やること、明日以降でいいもの、まだもっと先でいい業務。
後輩にどこまで言うか、上司に相談するか。
残業はするかしないか、今日するか明日するか。
見ていいもの、駄目なもの、確認する人の範囲、

新しい服を買うか、買わないか。
お昼ご飯、何を食べるか、どこに行くか。
仕事疲れ過ぎているとコンビニに行って何も決められず、ぼーっと棚を眺めてる時とかもある。

お笑いライブ行く時、どの芸人さんを、どの公演を、劇場に観に行くか、配信を買うか、買わないか。グッズはどうするか、何個か、どこまでか。
時間とお金と体力が無限にあればいいけれど、悲しいことにそうもいかない……


X(Twitter)の140文字の中に、何を入れるか。
良いことだけ書くのか、これは良いことなのか。
それじゃあ書かないことは、悪いことなのか。
誰をフォローして、フォローバックして、しないのか。

「〇〇が好き」「〇〇が良かった」と書く。
書かないことが嫌いなわけでも、悪かったわけでもなくて。

DMを送る人、送っていない人。
どれを送って送らなくて、何を伝えて、何を伝えないか。


選んで、選ばないことを結局は選んで。

もしやこれが、
「To be, or not to be, that is the question. 」ってことなのか?
結局、授業でやった時から「ハムレット 」はよく分からないままだな。



こんなのでいいんだろうか?
今年も、ゆるゆる頑張っていこうか、自分。

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