見出し画像

【ヴァサラ戦記二次創作】ヨモギ奮闘記②~ヨモギの日常風景~

 山から太陽が登り始める頃、彼女はスッと起き上がった。顔を洗う冷水がまだ寝ぼけ気味の意識を覚醒させる。黒く長い髪を整え、シンプルに後頭部で一つに束ね、農作業用の服に着替える。
 一人、まだ誰もいない隊舎の畑に足を踏み入れる。木々や草花が微かな風に揺られてざわめき、その風に乗って草と土の香りが運ばれてくる。
「よし、今日も頑張るべ」
持ち慣れた鍬を構えて、土を耕し始めた。

 太陽が高く上り始めると、畑の傍を行き交う人も増えてきた。
「朝から精が出るのお」
「ふぁ〜……朝から力仕事、すんごいなぁ」
杖をつきながら穏やかな笑みを浮かべるヒジリと、大きな口を開けて派手にあくびをするヨタローが出てきて朝の散歩へと出かけていく。
「おっ、朝から畑仕事とは感心だな! きっと野菜たちも喜んでいるぞッ!!」
朝のランニングのついでに、軽快な足取りで挨拶にやってきたのは四番隊隊長ビャクエンだ。ハキハキとしたよく通る声だ。
陽が上り、畑仕事も一通り済ませたヨモギは道具倉庫に鍬などを片付けて、意気揚々と食堂へと足を運ぶ。

 「手はちゃんと洗ってきたわね? 今日もちゃんと食べて頑張りなさい!」
「メスティンさんの料理はいつも美味しいからたくさん食べちゃうべ。いただきます!」
手を合わせてから、箸を手に取り目の前の朝食を食べ始める。今日のメニューはめざし、豆腐の味噌汁、ほうれん草のおひたし、白ご飯に、だし巻き玉子である。
「私の料理じゃなくてもたくさん食べるでしょうに。でも、やっぱり人がこうやって美味しそうに食べてくれるのを見るのは嬉しいものよね」
「ん〜、分かるべ〜」
噛めば噛むほど、甘みが増していく白米を味わい、ヨモギは目を細める。自分も誰かに料理を振る舞うのは大好きだ。誰かが喜ぶ顔は、自分も幸せになる。

 午前中は三番隊隊舎にて訓練の予定が入っている。
「ごちそうさまでした!」
食器を片付けてから、足早に隊舎の訓練場に向かい、準備を整える。ヨモギは軍に入るまで剣を握ったことは一切ない。剣の代わりに鍬を握り、畑を耕し、出来た野菜を収穫し、それを山の麓にある街まで売りに行くのが彼女のかつての日常だった。
 しかし、その日常は突然音を立てて崩れ落ちた。拠点を拡げようとしたカムイ軍が村を襲い、家族を失った。自分もこのまま――といったところでヒジリに救われた。
今は、命の恩人への恩返しと自分のような犠牲者を出さないように戦う事を誓い、戦う日々だ。

 「ふむ……。前より動きが良くなっておる。力を入れすぎず、自然体で構えることじゃ」
「ありがとうございます! ……そういえば、ヒジリ隊長、昔は凄い剣豪だって聞いたけんど、そういう人に指導してもらえて、あたし本当に幸運だって思うべ」
 初めて握る剣に、最初は力が入りっぱなしだったが、鍬を振るう時のように自然にやるように言われてから、少しは形になったような気がして、隊長ヒジリに明るく笑いかけた。
「ホッホッホ、そんなのは大昔の話じゃ。今は若き者に一つでも技を託し、繋げていく事が老いぼれにできる事じゃからの。さあ、もう一度やってみよ」
「はい!」
その後は走り込みを続け、基礎体力を着実に身につけていった。

 昼食を挟み、午後は予定がない。しかし、悩むことはなく、畑に足を伸ばした。食べ頃の秋ナスが出来ており、収穫しようと思ったのだ。
「でも、人がいないべな……」
収穫を手伝ってもらおうと思ったヨタローは副隊長ガラの傍にくっついてどこかへ行ってしまい、クマゴロウも任務に出てしまった。ヒジリは腰を痛めて、ハズキのいる六番隊に出向いたらしく三番隊隊舎には誰もいない。

 「先生っ!」
弾むような聞き馴染みのある声が後方から聞こえてきた。
「イネスちゃん? そんな格好でどうしたべ?」
オーバーオールを着て、麦わら帽子を被り、普段よりも幾分かアクティブな印象のイネスだ。
「先生の畑が収穫期だって聞いて、お手伝いに来たの! 一人だと大変でしょう? 私にも出来ることがあれば何でも言ってね」
張り切って腰に手を当てて、やる気満々のイネスに思わず笑みがこぼれ、そばに置いてあったカゴとハサミを指さしながら指示を出した。
「ありがとう、イネスちゃん。それなら、こっちのカゴとハサミ持って、ナスの収穫を手伝ってほしいべ」
「わかったわ。どんな風に切ればいいとかあるかしら」
「えっと、こうやって……」

 「きゃっ、虫が服にっ」
「大丈夫、ちょっとじっとしてて……。ほい、取れたべ」
「いやーっ、こっち来ないでー!」
収穫を始めてしばらく経つが、イネスは虫が出る度に騒いだり、逃げ惑っていたりしてなかなか進まずにいた。何とか撒いた後は、作業を再開するのだが……。

 「先生、今日は楽しかったわ。こんなにナスも貰っちゃっていいのかしら……」
「お手伝いのお礼だと思って受け取ってほしいべ。今日は助かったべ、ありがとう」
イネスにはお礼のナスを袋いっぱいに持たせて日が暮れる前に帰らせた。ジャンニが心配するといけない、と思ったが、心配を掛けさせているのはジャンニの方だと教会の方へ帰っていくイネスの姿を見て思わず笑みをこぼした。

 (村にいた時のことを思い出すべ)
 家族総出で収穫したり、土を耕したり……。村の人とは挨拶を交わし、他愛も無い話をしたり。家に帰れば、家族がいて、出来たてのご飯が待っていて……。

 突然、ヒヤッとした横風が頬を打ち付けて、ヨモギは我に返る。
夕暮れ時、日が落ちて自分の黒い影が一本だけ伸びている。周りには誰もおらず、独りだ。
(もう、村はないんだべな……)
世界にたった一人取り残されたような気になる。父も母も妹も弟も、村にいた近所の人たちも、一瞬にしてそれらの命は刈り取られてしまった。
いつもは明るく気丈に振舞っているが、時々ふとした瞬間にどうしようもない寂寥感に駆られるのだ。
 
 赤く染まった夕焼け空を見上げた。そうしないと何か溢れてきそうだったから。

 「おや、師範。こんなところで何をしているのですか?」
背後から凛々しい女性の声が聞こえた。振り返ると軍師見習いのイバンが姿勢よく立っていた。
「イバンさん……」
「おや、少し元気がないようにお見受けしますが」
ぐぎゅるるるる……。ド派手なお腹の虫の音が鳴った。
「ふふ、元気がないのはお腹が空いているからでしょうか。私、行きつけの美味しい食事処に向かうところだったのですが、師範もいかがですか?」
「……! ぜひ、一緒に行かせてほしいべ!」
こんな胸がぽっかり空いたような空虚な気持ちになるのもきっとお腹が空いたせいだ。ヨモギの中で一つ納得がいき、美味しい食事で腹が満たせるならと声を弾ませた。

 イバンが連れて行ってくれた食事処は美味しい和食の店だった。最初、自分もお金を出すといったのだが、イバンは「師範の笑顔が見られただけで幸せですので」と奢る意思を曲げなかった。

 美味しいご飯と肉じゃが、味噌汁。シンプルで素朴だが、そういった食事にこそ素材の味がよく引き出されており、さらにおいしく感じるのだ。舌鼓を打ちながら、ヨモギは目を輝かせた。
「とても美味しいべ……」
「ええ、そうでしょう。……師範、元気は出ましたか? 先ほどは少し元気がないように見えましたので」
「……ちょっと家族のことを思い出してたんだべ。楽しかった思い出もだけど、一緒にご飯食べたとかそういった感じの。そしたら、なんか急に寂しくなってきちゃって」
一人寂し気に黄昏ているところを見られていたのかと思うと、急に恥ずかしさがこみ上げて少し頬が赤くなるが、イバンはそういったことを茶化す人ではないことは、日ごろの料理教室や交流で分かっている。
「そうでしたか。けど、そうやって家族のことを忘れないでいてあげているのは、師範の優しさだと思います。月並みな言葉ではありますが、そういった優しい師範を家族に出来て、ご両親もご兄弟も幸せだったと思いますよ」
「そうだったら、いいべな」
「そして、私も、料理教室の皆さんも。ヴァサラ軍の皆さんが、貴女の味方です。それを忘れないでください。……まあ、これも月並みな言葉ですが」
今は月並みな言葉でも、それが少し挫けそうな自分を奮い立たせてくれる気がした。家族が居なくなっても、愛する気持ちまで失われたわけではない。今周りには頼もしい仲間や隊長たちがいる。今日だけでも数々の仲間や隊長が、見守り、共に生活していることを思い返す。
「ありがとう、イバンさん」

 帰りもイバンに同伴してもらい、三番隊隊舎に戻ってきた。すっかり夜になり、明るい月が夜道を照らしていた。
 入浴や明日の準備を済ませて、床の用意をする。
(そうだ、あたし一人じゃないんだ。いろんな人がいて、支え合ってるんだべ。……あたしも、誰かの力になりたいな。いや、なってみせるんだべ)
布団の中で、決意を新たにして、静かに目を閉じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?