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揺らめく焔と花の香

※ウキグモ、副隊長就任より前の時空の話です。


 「ジャンニ、この後暇か?」
陽が傾き始め、日勤帯の人達は終業準備を、これから夜勤警護に当たる人たちが準備をし始める頃だった。
「ええ、まあ。カウンセリングの予定は全てこなしましたので」
藪から棒に予定を尋ねるウキグモに、やや戸惑いつつも返答する。
「なら、ちょうど良かった。今から飲みにでも行かねえかなと思って」
飲みに行くことへの誘いについては別段珍しいことでもなく、普段から頼りにしているウキグモからの誘いとあらば断る理由も特にない。
「良いですね、行きましょうか」
「いつものとこでいいよな?」
ジャンニの二つ返事に、ホッと頬を緩めながら酒場の相談を始めるのであった。基本的には全てウキグモにお任せの形ではあるのだが。

 互いに軽く酒のつまみを食べながら、盃を交わす。
「最近、調子はどうだ?」
「いつも通りですよ。カウンセリングをこなして、時には前線で戦って……。それの繰り返しです」
「嘘つけ、目にクマ出来てんぞ。人のカウンセリングするのは立派だと思うが、自分の事もちゃんと労わってやれよ。まずはきちっと寝ろ」
自分なりの自然体で最近の調子を報告したつもりだったが、あっさりと見抜かれてしまっていた。
「はは……。バレましたか」
「そんな濃いクマ作っておいてよく言うよ……」
呆れたようにため息をつき、肩を竦める。

 ヴァサラ軍に入隊し、数年。主に戦いに赴く人たちのカウンセリングを担当し、話を聞いたり、時には心の治療に極みを使う事もある。
心の治療といっても、いつも穏やかに事が運ぶとは限らず、抵抗をされたり攻撃されたりすることもある。実は数日前にも、重度の心の病を抱えた患者のカウンセリングを担当し、数日寝られない状態が続いた。

 「すみません、ご心配お掛けして」
「謝んな。……ああ、こんな話しようと誘ったんじゃねぇんだった」
思い出したかのように、ウキグモは懐を探って小さなプレゼントボックスをジャンニの前に差し出す。
「これは?」
「今日がお前の誕生日だって聞いてな。よく眠れる安眠グッズ……ってとこかな。最近、街で流行ってるらしい」
俺もよく知らねえけど、と付け足して笑う。

 そうか、今日は誕生日だったのか。というのも、ジャンニは『本当の誕生日』というのを知らない。教会の前に捨てられていた所を牧師が拾ってくれた日を誕生日、としているだけなのだ。その日が来る度に、ささやかではあるが毎年牧師は祝ってくれていた。子供の時は、それなりに嬉しかったものだが、成長するにつれ、そういった感情も薄れていき、意識することもなくなっていった。誕生日、というのも"牧師が拾ってくれた日"という意味合いが大きく、そこまでこだわりを持つこともなかったのも大きいだろう。
ウキグモにこうして誕生日プレゼントを渡されるまで全く気づかなかった。

 「あ、ありがとうございます……」
自分でさえも忘れていた誕生日の存在を、誰か人づてに聞いたのかウキグモが知ってくれていたことに驚き、目を見張ったまま、しばらくその誕生日プレゼントの箱を見つめていた。
「びっくりしたか?」
「……ええ。まさか私の誕生日を祝ってくれる人がいたなんて」
プレゼントでなく、誕生日を祝われたことに驚いてるらしい事実にウキグモはややずっこけるように前につんのめる。
「そこかよ。……まあ、大人になると祝われても子供みたいに嬉しいとか思ったりしねえものだろうけど。たまには自分が主役の日があってもいいだろ。それ使って、今日はちゃんと休めよ。あと……おめでとさん」
子供の時はケーキがあり、プレゼントがあり、誰も彼もが「おめでとう」と祝福の声をかけられる。否応がなしに注目を浴びる日という意味では自分が主役の日、というのも頷ける。今となっては、恐らく話の流れからして「自分をいたわる日」という意味で言っているのだろう。
そんな心配りを感じて、今度は心からの笑顔と穏やかな声色で感謝を紡いだ。
「ありがとうございます。大切に使いますね」
「おう。今日は沢山食って沢山飲んで、早めに寝ろ」
ウキグモは、ジャンニの肩をポンと叩き頷いた。

 プレゼントはアロマキャンドルだった。入浴を済ませてから、枕元で火をつけて堪能することにしてみた。
 穏やかな火が自分の周辺を仄かに照らし出していくのと同時に、ラベンダーの優しい香りが部屋を包み込んでいく。
 ゆらゆらと揺れる火を見つめていると、心にざわめく波がゆっくりと凪いでいくのが感じられる。辺りに漂うラベンダーが更に気持ちを落ち着かせていく。
(こんなに穏やかな気持ちで居られたのは久しぶりかもしれないな)
ベッドに腰掛けて、本を読み始めながら、和やかな時間を過ごした。

 1時間ほどもすると、充分なリラックス効果が発揮された部屋の中で自然と眠気が訪れてきた。ジャンニは本を仕舞い、キャンドルの火をそっと消し、床に就く。
 アロマの香りが染み込んだ布団は、ふわりと鼻腔をくすぐり更なるリラックス効果を産んだ。
(これは良いものだな……)
ウキグモへの感謝の気持ちを思い浮かべながらも、ほとんど眠気に支配されていたジャンニの意識はあっさりと闇に溶けていったのであった。

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