家族だからこそ必要な、お互いを思いやる気持ち
夫婦といえども元は他人です
家族だからこそ必要な気遣いがある。僕は子育ての初めの頃、多くの間違いを犯しました。
相手の望まないことを、さも子育てに積極的です!という態度でやっていました。
それはまぁ何というか…そりゃ勿論だい・だい・だい・だーい喧嘩になりますよね😅
そこでお互いに本気でぶつかり、話し合い、そして自分の間違いを認めました。
そこからは何をして欲しいか、報・連・相で行動するようになりました。
人格者の義両親
義父と義母は僕の両親(何というか少々品が無い感じですね😆)とは違い"正しい大人"というイメージ。
堅苦しいなぁと、思うことはあるけれど、良い人達であることは間違いない。
実の息子のように接してくれるので、こちらもあまり苦もなく接することができます。
でもそれ以上に奥さんの存在が大きい。
実家への気遣い
僕は3人男兄弟なので、特に娘の欲しかった父は、本当の娘の様に、大事に大切にしている(えっと…僕は雑なのですが)のを感じられます。
奥さんもそれに嫌な顔1つせずに、本当の両親のように大事にしてくれています。
お年賀に、父の日、母の日、誕生日と、いつも悩みに悩み相手を思いやる、そんなプレゼント🎁を探して来てくれます。
それがあるので僕も、特別養護老人ホームに入った義父のお見舞い(昨年に亡くなりました)にも、1人でも気持ち良く行くことができました。
たまに遊びに来てくれる義母にも、お土産に持って帰れるケーキを、山ほど用意して持たせることも自然にできます。
優しさや気遣いは循環していく
もちろん義両親が良い人達だというのはあります。
でもそれ以上に奥さんが、僕の両親を大切にしてくれる。だから、僕も義両親を大切にしよう!と心構えが自然と生まれる。
こうやって優しさや、気遣いをお互いキャッチボールするだけでなく、他の方向に投げてみる。
優しさや気遣いが、循環していく。
これが世界を住みよくするメゾットなのです。
なんて少しだけ偉そうに、知ったかぶりをしてみました。
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