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豆腐怪談 68話:張り紙禁止

「もう10年以上は前の話ですがね、無許可のチラシを貼るバイトをやっていたんですよ。そのチラシというのがちょいといかがわしいやつでして、見つかり次第はがされても文句が言えない内容です。バイトの詳細は今も言えませんから、根掘り葉掘り聞くのは勘弁してくださいよ」
そう言って、知り合いTは肩をすくめた。


「そのバイトは悪い先輩経由で紹介されました。当時は食うための金もちょいと事欠いていまして、とにかく金が欲しかったんです。なァんにも知らん無知な学生とはいえ、無茶したものです」
バイト自体は簡単だった。渡されたチラシをすべて貼って、貼った証拠の写真を撮る。それだけだった。

「簡単がゆえに、めぼしいところは既に先客がベタベタ貼りまくっていたんです。新参者が貼る隙間なんかありゃァしない。かといって上から貼ると何故か怖いオッサン経由で上司からカミナリが飛んでくる。足を棒にして新規開拓するしかなかったんですよ」

何もない壁を見つけて貼ると、家主が飛んできて怒号を上げてせっかく貼ったチラシを破り捨てることもあった。下手すれば殴りかかってくることさえも。
「そういう家って、しょっちゅうチラシが貼られてしまっていて、ピリピリしてるんですよ。そんなわけで、他にどっかいい新規開拓先はねえかなーと悩んでいたら、ある場所を思い出しました」



ある通りの一部に空き家が連なっている箇所があった。築昭和40年代の二階建て長屋が連なっている年季が入った空き家群だったが、一番端だけリフォームしたのか人が住んでいた。

「人が住んでる家以外の家は一目で空き家と分かるぐらいボロボロでした。ボロ家共を潰さないでそのまま荒れたままになっているのは、一つ家が倒れるとドミノみてェに全部倒れてしまうからだそうです。なので空き家だけ真ッ平に潰すッてことが出来ないんらしいです」
Tがその昔聞いたところ、昔長屋だったそれは大正時代は一つのお屋敷だったそうだ。家を支える横の芯が昭和になって長屋に改装されても、そのまま使用されているらしい。あの時代でしかできない再利用の家である。


ボロ長屋群とはいえ、ここはそこそこ人の通りが多い。この壁と窓なら、チラシを全部そこにはればノルマ達成になるだろう。しかも空き家だから、怒号を上げる家主もいない。
Tはそこに向かった。ボロ長屋群には何もチラシの類が貼られていなかった。
「こいつはツイている、と思いましたよ。早速チラシを窓に貼るべく近づきましたら、窓すぐ近くの壁に小さな紙が貼ってあったんです。で、その紙には何かが書いてあった」

『張り紙禁止』

お世辞にもきれいとはいえない手書きで、そう書かれていた。
「しかしここは空き家だ。遠慮する義理なんてないですし、なにより誰にも迷惑をかけてない。張り紙禁止なんて誰も知ったこっちゃねえよ、問題ねえだろと思ったんですよ」
Tは肩にかけたカバンからチラシを引き出した。

そのチラシの四隅に固定用のテープを貼り、チラシをのばしながら窓に貼る。2枚目を引き出し、同じように貼る。
貼ったチラシの伸ばしている指先に重なるように、何か白いものが見えた。
「紙の上端をなぞって伸ばした指先を、なぞっている白いものが見えたんですよ。それも窓の向こうから。思わず固まってしまっていたら、紙の下からせり上がるように白い大きなものが、ヌーッと現れたんです。それは目を思いっきり見開いた人間でした」

思わず短い悲鳴を上げのけぞったTを、窓越しに何者かが表情を変えずに見ていた。
「そいつは真っ白で目ェ見開いて、ジッとオレのことを開いた瞳孔で見てるくせに焦点は定まっていないんですよ。あ、こいつこの世の人じゃねえなとオレは思いましたね」

Tが固まっていると、ソイツはのけぞって手を思いっきりガラスに手を打ち付けた。
ばん!ばん!
チラシを剥がせ、ということらしい。
「俺の目の前で幽霊が暴れてるんです。さすがにめっちゃ怖かったですよ」
しかしTはそのオバケを見なかったことにして、3枚目を取り出し、貼り付けた。

「ソイツは何度も何度もガラスに手ェ打ち付けてましたがね、こちらにゃ、明日生きてくためのメシ代がかかってるんです。幽霊が怖くて引っ込んでいられるかってんだ」
4枚目も貼り付けると、窓はいかがわしいチラシで埋まり、打ちつける手は見えなくなっていた。
さらにTは窓の下の壁にもいかがわしいチラシを数枚貼り付けた。
「隣の窓と壁にも貼ろうと移動しましたら、玄関のガラス戸越しに立っている白い人影が見えてしまいました。まあ何とか無視できましたがね」


隣の空き家の窓にもいかがわしいチラシを貼り始めた、その時だった。

ばん!

内側から窓ガラスに白い手が打ち付けらた。
打ち付けられた手と手の間、Tの目の前のガラスに白いものが映り、徐々に迫ってくる。
さっき見た瞳孔が開いているあのアイツだった。
「なんでお前またこんなところに出るんだよ!壁抜けとかやるんじゃねえ、怖いだろうが!って思いましたよ」
そう思いながらも、Tは壁にも窓にもいかがわしいチラシを貼り付けた。
「飯代の為でしたが、とっととチラシで窓を埋めてアイツの顔を見えないようにしたかったんです。アイツに顔を見られるのも嫌というのもありました」

Tがいかがわしいチラシを貼り付け、次の空き家に移動するたびに、ソイツは窓の向こうから現れ、チラシを剥がせと手を打ち付ける。
ばん!ばん!ばん!
チラシとガラス越し真正面から、光のない瞳孔が開いた虚ろな目が、あきらかに死んでいる虚無の顔がTの顔をじっと見つめる。目を合わせようとする。
Tは逃げ出したいのを堪えながら、必死になっていかがわしいチラシを貼り続けた。


そしてついに最後の家、今も使われている家の隣の長屋の窓と壁に最後のいかがわしいチラシを貼り終わった。これでノルマは達成できた。
「あーやれやれ、あとは写真を撮ってお終いっと、カメラを空き家共に向けたんです」
ファインダー越しに長屋を見たTは悲鳴を上げ、カメラを落としそうになった。
「なんと各家の玄関の磨りガラスがヒトの顔でびっしりと埋まっていたんですよ」
さっきからいたやつに似た顔、老人の顔、子供の顔、壮年の顔、女の顔、それらが各空き家の玄関を覆うように集まり、びっしりと埋めている。それらが俺をじっと見続けている。
Tは震えている手をなんとか抑え、写真を撮った。
ふりかえることなくTはその場から逃げ去った。

「雇い主にプリントアウトした証拠写真を見せましたら、反応が真っ二つに分かれました。一気に貼ったなあとあきれた人と、写真を見るなりうわーっ!と悲鳴を上げた人と。写真はパッと見では幽霊は映っていなかったんですが、悲鳴組には何かが見えたんでしょうね。たぶん、あの時俺が見たやつと同じモノが」
悲鳴組は何故か強面が多くて心底労わる顔をしたのが気持ち悪かったですねー、とTは苦笑した。

その悲鳴組のひとりが、お前あの長屋に貼ったのかと話しかけてきたそうだ。あの長屋のことを知っているかのような口ぶりだった。
「絶対なんかあっただろって。実はオバケいましたわーとこっそり打ち明けましたら、そうかと困った顔をしたんです。そして今日何かあったら、お前明日チラシを剥がしてもいいぞって言ったんです」
Tが思わずいいんですかそれ?!と返すとその人は仕方がないんだと答えたそうだ。
「どうせすぐ剥がされるしな。そして明日ならまだ間に合うから、と。不穏しかない返事を頂いてしまいました」


その場で賃金をもらったTは自宅に戻るなり悲鳴を上げた。
自宅のドアが手形まみれになっていて、細かくちぎれた紙くずが散乱していた。
その紙屑はTがあの長屋にはったいかがわしいチラシが細切れになったものだった。
「翌日にあの長屋に向かったら、やはり一部のチラシが剥がれていたんです。もう震えながらその場で残りを全部剥がしましたよ」
剥がす時は何も起こらなかったという。


「あの『張り紙禁止』というのは、“迷惑だからやめろ”ではなくて、“ヤバイからやめろ”という警告だったんですね」
Tはそれ以来、いかがわしいバイトは懲りて二度とやらなかったという。


【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

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フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)

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