豆腐怪談 46話:夢の視界

Bさんはたまに同じ内容の夢を見ることがあったという。
「夢そのものはそんなに怖い夢じゃないですよ。むしろいい夢です」
Bさんは短い顎髭をさすりながら話してくれた。

夢の舞台はいつも同じだ。
ふと目を開けると、いつも小高い丘の上にBさんはいる。
丘というよりは崖に近い急斜面の頂上が近いかもしれない。その頂上の大きな樹の下にBさんは立っているんだそうだ。


「そして僕は自分ではない誰かの体になっているんですよ。それとも自分の意識が誰かの中に入り込んでしまっているかもしれません」
Bさんは夢の中で、なぜか知らない若い女性になっていた。
「初めてその夢を見た時は、自分の体に違和感を感じましてね。そこでどうなっているやらと体を見ようとしたら、あの、そのですね、女性の……大きな胸があったんです。それで女になっていたと気付きました」
胸が大きいと足元がみえないんですね、とBさんは少し恥ずかしそうな顔で続けた。
「服はガーリー系というものでしょうか?花柄のロングスカートに白地にパステルカラー系のかわいらしいブラウスを着ていました。柔らかい雰囲気の女性だったようです」

さて女性となったBさんが夢で何をしているかというと…
「何もしていません。そこに立ったままです」
本当そこからの景色を眺めているだけで、何もしていないんだそうだ。

丘の上の木陰にはいつも爽やかな風が吹き、セミロングのウェーブがかかった明るい茶色の髪をゆらす。
そよ風に乗ってきた花と新緑の香りが鼻がくすぐるように入ってきた。
丘の下には、高低差のある住宅地がひろがり、その隙間を縫うように電車が走っている。青空の下であちこちのベランダや庭の洗濯物がゆれ、庭では野良猫が伸びをしながら日向ぼっこをしているのも見えた。
時折浅く深呼吸して春の空気を吸い、春の穏やかな光に照らされたその景色をBさんは静かに眺める。
「あまりにも心地良い夢でして、その夢を見るたびに朝から穏やかな気分になったんですよ」
夢の限界なのか、他の人間の姿を見ることはなかったが、とても心安らぐ夢だったそうだ。


さて話は変わるが、Bさんは転勤により最近引っ越しをした。
「独身男性のつらみですね。いいように会社都合であちこちへ飛ばされてしまいます。まあ、これまで職場までバスと地下鉄通勤だったのが、今は電車一本で行けるようにはなったのだけはありがたいですかね」
電車は高低差のある街の間を走っていた。ほとんどその路線には乗ることがなかったはずなのに、Bさんは何故か強烈なデジャヴを覚えたそうだ。

「このマンションを抜けたら、次はこんな感じで斜め上から日が差してくる。この橋の向こうには小さな公園があって今は藤が咲いている。そんな感じで景色の細かいところを何故か覚えていたんですよ」
その電車を利用して2週間が経った。いつもとは反対の窓側にに立っていたBさんはデジャヴの正体を見つけた。

「なんとですね、あの夢に見た丘があったんです。大きな木がある、あの丘が!」
駅で停車している電車の窓越しに見るあの丘は遠かったが、たしかにあの丘だった。
そして感動に目を輝かせて丘を見ていたBさんの視界の中に、白いものが見えた。
白地にパステルカラーのブラウス、花柄のロングスカート、肩までのウェーブがかった明るい茶色の髪の女性。
間違いない。夢の中でBさんが性転換していた、あの女性だった。木陰で顔ははっきりと見えなかったがそうBさんは確信した。

「まさか彼女まで存在していたなんて!いやあ、もう吃驚して声が出そうになりましたよ。でも合点もいきました。僕が見ていた夢は彼女の視界から見た、この街だったんです。おかしな話でしょう。僕もそう思います。しかし、素直に自分で納得してしまいました」

でも彼女がいたということは、原因はわからないが彼女の視界を自分は借りてしまっていたということになる。おそらくそれは決して良いことではない。
ひょっとして僕は無自覚の生霊として顔も知らない彼女へ憑りついてしまったのだろうか。そんなことをBさんはつい考えてしまったのだそうだ。

そんなことを考えているうちに、Bさんはある違和感を覚えてしまった。
「あれ?おかしいとも思ったんです。あの丘の頂上に生えている木の種類か全く分からないぐらい遠いのに、何故僕は彼女の髪がウェーブのセミロングとか彼女のスカートの柄まで見えているんだろうと」
Bさんは今度は彼女の正体を見極めようと観察するように見たんだそうだ。その彼女の口元が動いたのが見えたBさんの背中を嫌な悪寒がゾワゾワと足から首へ走った。
「これは見てはいけないものと分かってしまったんです。でも、僕はなぜか目を逸らすことはできませんでした」
さらにBさんはあることに気付いてしまった。


「彼女の体は左右にゆっくりと揺れてました。こう、ぶらーんぶらーんと」
Bさんは人差し指を下へ弧を描きながらゆっくり振り子のように左右に振った。
「気付いてしまったんです。僕が夢の中で感じていた、爽やかなそよ風だと思っていたのは、彼女が揺れることによって生じていた風だったと」


得体のしれない怖さに襲われたBさんは、目を下に向けて彼女と丘から目を逸らした。
次の日からは電車の中ではスマホを見て、極力車窓を見ないようにしている。
そしてあの日以来、あの心地よい風と、“彼女”の夢は見ていない。
「でも、またあの夢を見てしまうんじゃないかと思うんです」
Bさんは落ち着きなく髭をさすった。


「彼女が何者か察してしまった僕は、次は彼女の視界で何を見せられてしまうのでしょうか。前と同じ穏やかな景色でしょうか。それとも全く別の何かを見せられてしまうでしょうか」

僕は夢を見るのが怖くなってしまいました、とBさんは締めくくった。


【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?