見出し画像

豆腐怪談 70話:霧の中から

小雨が降り続いている。
「霧が出てきたな。しかし…」
小雨が降る日は見慣れた山々は霧の中へ消え、代わりに白い世界に包まれる。その筈だった。
小雨の向こうで視界の先にある山々はグレーの空の下で鬱蒼と濃緑の塊を誇示したままだ。

逆に普段は霧に包まれることがない麓の住宅街に霧がどこからか流れ込み、住宅街の道路を覆うようにゆっくりと広がりながら迫る。
ここに住んで10年以上は経つがこんな景色は初めて見た。
「なんだか気味が悪いなあ」
昼間だからまだ明るいが、それがかえって不気味である。



くるぶしの高さまでうっすら地面を覆う霧はしばらく晴れそうにない。
少し急いで帰った方がよさそうだと、歩くペースを速めた。
霧が這うように私に迫り足元を覆う。交差点を通り過ぎ、曲がり角を曲がるたびに霧の高さが増していく。
家の近くの黄色のカーブミラーがある交差点にたどり着いた時には、霧が町全体を覆っていた。

視界は真っ白で10m先も見えない。
「これではどれが誰の家か分からないな」
カーブミラーの交差点を曲がって先を進んだ突きあたりが自宅だ。すぐ近くだし単純だから、この霧の中でもなんとかたどり着けるだろう。
私は角を曲がり突きあたりにたどり着いた。その筈だった。
しかし、次の瞬間には私はカーブミラーの下に立っていた。
「あれ?」
確かにさっき自宅らしき影が見えた筈だ。
もう一度同じように曲がって突き当りに向かう。しかし自宅らしき影が見えた時、また私はカーブミラーの下に立っていた。
何度繰り返しても、カーブミラーの下に立たされていた。

どうも普通の霧ではないらしい。人を惑わす霧ってやつかなんかがあるとオカルト番組で見たことあったが、まさかその当事者になるとは思わなかった。
携帯のマップはアプリはGPSが起動していないのか無反応。
周囲に歩行者や車が通る気配もなく、私はひとり惑い孤立しているようだった。

「なんてこった…」
自宅近くで迷子になるとは。
「ではやり方を変えて見るか」
私はカーブミラーの交差点で曲がらず、2ブロック先の交差点で曲がり、遠回りして帰る方法をとってみた。
しかし曲がった瞬間カーブミラーの下にいた。
「進むがダメなら、引き返してみよう」
引き返して10mほど歩いたところで、またカーブミラーの下に立たされていた。
私は思わず頭を抱えて呻いた。
「なんなんだこれは…もう…」
交差点の真ん中で私にできるのは霧が晴れることを祈るしかなさそうだった。

「家に帰りたいでーす。神様仏様、この霧をなんとかしてくださーい」
とりあえず祈ってみた私の背中の向こうから、なにかの足音らしい音が聞こえてきた。

ずるっ…べちゃ、ずるっ…べちゃ、ずるっ…べちゃ…

背中の向こうからからなにか大きなものが、何かを引きずりながら粘着性の足音を響かせ迫ってくる。
見えやしないのに、とてつもなく嫌な予感がした。
私は塀を背にし脇に寄って足音の主に道を素直に譲る。
「ひっ…」
足音の主の影が見えた時、思わずのけぞり背中を塀に押し付けた。

それは普通車ほどの大きささの、灰色の巨大なオオサンショウウオのような生き物だった。
私の知る限りではオオサンショウウオが一番近い形状だが、ソイツはオオサンショウウオとは全く違っている。これは両生類とや哺乳類などでは区別できない何か別の存在だと悟った。

まず足が長かった。足だけならワニが最も近いかもしれない。しかしワニと違い指が長くサルか人間の指に似ていた。
両生類であるオオサンショウウオと違い、ソイツの皮膚は乾燥し、なにより硬さがあった。体全体が犀のような固い皮膚の鎧に覆われているようだ。体全体にヒビらしい線が走っている。しかしソイツの足音には何故か粘着性があった。
大きな口には不ぞろいのサメのような歯が口の奥までびっしりと並んでいる。
そして、ソイツには目がなかった。

ソレが涎らしき液体を垂らし口を開け閉めしながら、巨大な尾らしきものを引きずりながら歩く。ソイツは間違いなくこちらの方向へまっすぐ向かっていると分かった。
ゔあー、ゔあー、ゔあー…
ソイツが近づくにつれ、ヒトの呻き声のような何かの獣が唸るような声が聞こえてきた。

「なんだこれは」と私は言いかけてやめた。たぶん声が聞かれたら、とても悪いことが起きる、そう直感したからだ。
ソイツは私の近くまで3歩ほどの距離でいったん止まり、目がないのに頭を私の方を向けて見るようなしぐさをした。
私がソイツからの存在しないはずの視線を避けようとした、その瞬間。

ソイツの頭部のヒビが一斉に開き、頭部全体に無数のヒトの巨大な目が現れた!目は開いた瞳孔を一斉にぐるりと私に向ける。
「…………ッ!」
私は悲鳴を口で押えなんとか飲み込んだ。嫌な汗が体全体に湧きたち滝のように伝って落ちる。
その私を、ヒトの目を無理矢理に横に伸ばしたかのような目たちが、見開き、細め、眇め、じっと見ている。
ゔゔゔゔ、とソイツの口元から耳障りという表現だけでは足りない、神経を刺すような声が私の鼓膜を刺激する。


ソイツの声と目から、悪意とは違う、邪悪さとも違う、とりあえず異物を排除したいという排他的意思が、私の頭に伝わり霧のように覆った。
その瞬間、私は強烈な吐き気に襲われた。
おそらく私を容易に瞬殺できる、この世のモノではない存在の意思に襲われ晒される。おぞましさと恐怖、そして絶望。それが臓腑の底からこみ上げてくる。
私はそれをぐぐ、と声にならない呻き声と共に必死になって抑えた。

ソイツは私のその様が見えているのかいないのか、分からない。
ソイツはひと声呻き、興味を失ったように頭を私から正面に向けた。目たちは一斉に閉じ、元のヒビのような線に戻った。

ソイツは足を一歩踏み出した。ずるっ…べちゃ、と粘着性の足音を響かせゆっくりと私の前から去っていく。
私は塀から離れ、ソイツが霧の向こうに消えていく様を呆然と追っていた。


ソイツが霧の中に消えた時、霧が薄くなり始めた。
霧が何かに吸い込まれるように、勢いよく町から消えていく。私はソイツが去った先、霧が吸い込まれる一点を呆然とまだ見続けていた。
そして霧が完全に消える瞬間、ほんの一瞬だけ朽ちた鳥居が見え、そして消えたように見えた。

「助かった、のかな…」
助かった、そう思った瞬間、抑えてた強烈な吐き気の存在を体が思い出した。
(やばい!)
私はダッシュで自己新記録の超高速帰宅を決め、なんとか無事に?トイレで盛大に胃液をぶちまけることができた。


町がいつもの町に戻った後、私はあの鳥居の存在が気になった。郷土資料などをあたるなどして探したりしたが、新興住宅地であるこの地にはそのような言い伝えの類はなかった。
ここはそういう謂れのない地だった。
ではアレとあの鳥居はなんだったのか。それは今でも分からない。


【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

ヘッダー引用先
Photo by niklas_hamann on Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?