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豆腐怪談 65話:追いかけてきた

「オレが学生の頃の話です。まだ陸上をやってた頃でした」
あの時と体格はだいぶ変わりましたけどね、とNは体脂肪の少なさそうなシャープな体を指さした。
ご謙遜をと言いたかったが、本人は本気でそう思っているようなのでツッコミを入れるのはやめた。


Nは某政令都市郊外にある大学の出身だ。今も走るのが趣味の彼は当時は陸上で中距離走をやっていたそうだ。
Nは試験など部活が無い日が続く時は、朝に軽いジョギングなどをしていた。当時は走らない日がしばらく続くと落ち着かなかったらしい。


Nは学生寮周辺にある、ゆるい傾斜がある長い長い一本道をジョギングコースに入れていた。細い道で車が入れないから後ろを気にしなくていい、というのがコースに入れた理由だ。その道沿いには林が鬱蒼と茂っていた。手入れがされていなかったのか、雑草が伸び放題で道路にところどころはみ出るぐらい伸びている。

「あの土地は誰も管理していないのかい?とその地元出身の友人に聞いてみたんです。友人は僕もよくは知らないがと前置きして、ずっと関係者同士で揉めているんだと返ってきました。関係者同士が管理を押し付けあっているようです」
そりゃ手入れがされないよなあ、とNは密かな環境の改善の願いを放棄した。

「そのすぐ横でジョギングしてるから荒れ放題は困るなあと、その地元出身の友人に愚痴りましたら、そこでジョギングは止めときなとと警告されたんです。何故って聞きましたら、そこは曰くつきのよくないところだからと。昔から神隠しが起きるとかそういう噂があるそうです」

神隠しはナンセンスだとしても、地域の犯罪情報マップによると、その道で不審者に追いかけられる事態がしばしば起きているらしい。
たしかにあの道は人気がない。特にあの林周辺は家もないから不審者が待ち構えるにはちょうどいいんだろう。
Nは迷ったが、車が多いこの土地で車が入れない長い道は貴重だ。
毎日走るわけじゃない。今のような試験時期とかに2~4回走るぐらいなら遭遇することはないだろう、とNは判断した。
「今思えば浅はかでした」


ある試験期間も後半に差し掛かった日だった。晴れなのか曇りなのかはっきりしない日の朝だったという。
Nはあの細い道をジョギングしていた。あの細い道の地面には霧がうっすらとかかっていたという。
静かな朝のジョギングというのはこんな天気でも、一種の爽快感がある。

「あの荒れ放題の林にさしかったときです。オレの後ろから、タッタッと軽快に走る音が聞こえてきたんですよ。オレは振り向かなかったんですが、ペースを落として“どうぞ”と脇に寄ったんです」
しかし、後ろを走っていた音はNと同じようにペースを落とし、追い抜くことはしなかった。

「変だなあとは思いましたが、オレを先に行かせてくれるのかなと判断して、元のペースに戻したんです」
後ろを走る音はNと同じペースで一定の距離を保ちながら走っているようだ。
「ふと後ろを走る音が変なことになっていたことに気付いたんです。あ、後ろを走る音が急に増えてるって」

後ろの足音は一人だったのが、二人、三人に増えているようだった。
そして後ろを走る音たちは急に一斉にペースを上げ、Nのすぐ後ろにまで迫ってきたようだった
「ひょっとしたらこれが地域犯罪情報に掲載されていた、追いかける不審者じゃないかって急に思い出したんです」
冗談じゃない。不審者の群れに襲われてたまるか。
Nもペースを上げた。そこは現役の陸上競技者、後ろの足音たちをすぐ突き放した。
その筈だった。
5秒もしないうちに、自分の真後ろから足音が聞こえてきた。
タッタッタッと軽快に走る音が。ザッザッザッという集団で走る音に変わっていた。

何者かのふっ、ふっ、という呼吸音がNの背中にかかる。
何者かの指が、Nのシャツの襟首や短く刈った後頭部の髪に触れる感触がする。
「何人もの手が一気にオレに触れるような感触がしたんですよ。あれはさすがにビビって叫びそうになりました」

それはじっとりと湿った生暖かい手だった。生きているというには冷たく、死んでいるというには温かい手。
それがNの腕に、足に触れ、肩を、頭頂部の髪を、掴もうとする。
見えない手が急にNの顎を掴むように触れ、顔の向きを強引に変えようとした。
「こいつらはオレに後ろを振り向かせたいんだ、そうまでして連中が見せたい後ろにいる“もの”は見てはいけないものだと判断したんです」

ふっざけんな!
吼えたNはその不快感を振り払うように頭を振り、一気にペースを上げた。
1500mを3分台で走る男の本気の走りだ。一気に腕どもを引き離した。手の感触は消え、ザッザッザッと不気味に走る音が急速に遠ざかり、代わりに風をきるいつもの感覚を顔に受ける。
背中に触れようとする空気の揺らぎと追いかける足音は未練がましくついていたが、徐々に薄れ寮に戻った頃には完全に消えていた。

「寮の門を汗だくのヘロヘロになって入ったら、寮母さんがオレを見るなり悲鳴をあげたんです」
君その体どうしたの?!と言われてNは自分の体を見た。
Nが真っ先に見た右腕には白い手形が付いていた。老人の手や子供の小さい手、女の手、男の手など様々な無数の手が、Nの体中に付いていた。
手形はシャワーで洗い落とせたが、あの不快な感触は今でも忘れないという。


「あの時後ろを振り向いていたら、オレは神隠しってやつに遭っていたかもしれませんね」
神隠しから逃げきった男Nはあれ以来、二度とその道を通っていない。



【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

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Photo by lucas Favre on Unsplash

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