見出し画像

豆腐怪談 59話:呼ぶ声

最近山に登るのが楽しいんですよね、とその人Gさんは言った。
山に登ると言っても日帰りで行ける、または一泊する程度のハイキングに毛が生えた程度だがその気楽さで山を楽しむのがいいという。

山友達もできた。山友達のFさんとは仕事で知り合った仲だ。
Gさんに言わせるとFさんは寡黙だがいい人だ。
彼は本格的な登山が趣味でそれを中心に一年間のスケジュールを決めるという人だったが、登山と言えるかどうか微妙なGさんとの山登りにも付き合う幅の広さがあった。Gさんも経験豊富なFさんにいろいろ教えてもらったり、他人の噂話なぞせずお互い趣味の話を訥々としながら登るのは気が楽で楽しかった。
Fさんも山友達が増えたことが嬉しいと言う。


そのFさんとある初夏の日にある山に登った。
前にFさん、続いてGさんという並びで登る。
その日は良い天気だった。新緑の香りに包まれて、明るい木漏れ日の下を歩くのはなかなかいいものだった。

その途中で休憩しているときだった。
「おーい」
山のはるか向こうから声がしたような気がした。
Fさんの眉が僅かに動いた。
「おーい」「だれかー」
やはり誰かが呼んでいる。
「おーい、おおーーい、だれかーー」
くぐもっているように聞こえるが、山の向こうから男の声が聞こえた。どこかで誰かを呼んでいる。
思わずGさんは立ち上がった。声の主はどの方向か、と周囲を見渡す。

Fさんは動かず眉間に僅かに皺をつくり、耳をすましているように見えた。
「おーい」「だぁーれぇーかーーー」「おーい」
声はこだましている。
返事をする声はない。ひょっとして怪我でもしているんだろうか。
返事をしようと口を開いた。
「まて!返事はしないほうがいい」
Fさんが止めた。

「え?」
「連れていかれるぞ」
「連れて行かれるって…?」
「山の奥に連れて行かれて二度と戻れなくなってしまうってこと」
「え?どういうこと?」
Gさんは怪訝な顔を隠さなかった。
「あれは人間じゃないからだ。山には稀にああいう得体が知れないやつが出る」
Fさんの目は真剣だった。とてもウソを言いているようには見えなかったという。
「でもずっと呼んでますよ。怪我かなにかして助けを呼んでいるかもしれませんよ?」
「だったら、助けてという言う筈だ。それに、この声はどこから聞こえるか方向の特定すらもできない」
「あッ…?!」
Gさんの背中に寒いものが走った。
「ここから離れよう。反応はしてしまったから、目を付けられてしまったかもしれない。」
Fさんは立ち上がった。

しばらく歩くと霧が立ち込めてきた。いい天気だったのにたちまち霧は濃くなりGさんたちの視界を奪ってしまった。仕方ないのでその場で座り、休憩を取ることにしたそうだ。
「Fさん、前が全く見えませんね」「そうだな」
Fさんはコンパスとヘッドライトを取り出し、地図を照らして位置確認をし始めた。

今はこのあたりだろうとFさんが話すのを聞いていたGさんは、ふとFさんの肩の遥かに向こう、霧の中に何かがいるのを見つけた。
「Fさん、誰かが霧の中にいます」
「ん」
Fさんに耳打ちしながらGさんは霧の中を見る。人の影がこちらに向かっているのが見えた。

「おーい」

あの時の声だった。

Gさんはビクっと震え、Fさんは顔を上げて、周囲を見る。
人影は一体だけではなかった。
霧の向こうで一人が二人、二人が三人と増えていく。
「おぉぉぉーーい」「だぁぁぁぁれぇぇぇぇぇかぁぁぁぁぁぁ」
追い付かれた…!
Gさんは思わず体が強ばるのを自覚したそうだ。Fさんは右の眉を上げ警戒する。

人影は次々と増えていく。その人影の群れは壁となり二人を囲む円となりゆっくり近づいていく。
声は段々大きくなり耳を抑えたくなるほどだった。
「おぉぉぉーーい」
「だぁぁれぇぇぇかぁぁぁぁ」
霧の中にヒトの影がびっしりと埋まり壁となり迫る。
「だぁぁぁれぇぇぇぇかぁぁぁぁぁ」
「だぁぁぁれぇぇぇぇかぁぁぁぁぁ」
「おぉぉぉーーい」
「だぁぁぁれぇぇぇぇかぁぁぁぁぁ」
「おぉぉぉーーい」
「だぁぁぁれぇぇぇぇかぁぁぁぁぁ」
Gさんはこの説明しがたい状況を前にしてパニックに襲われそうになったそうだ。
「ひ…」
思わず立ち上がって逃げようとしたGさんの肩を強く抑える手があった。その肉厚の手はFさんだった。

Fさんは声を立てずにしーっと人差し指を口の前に立て、静かにGさんを見た。Gさんが落ち着きをなんとか取り戻し頷くのを見て、Fさんはリュックの中から何かを取り出した。
くしゃくしゃになったそれは、煙草の箱だった。緑と白の箱メンソール系の煙草。
Fさんはおもむろに一本取り出し、ライターで火をつけた。

Fさんは煙を吸い、しばらく溜めてから、ふーっとゆっくり口から吐き出す。
紫煙が立ち込め、煙草の匂いが二人を包む。Fさんは人差し指と中指で煙草を挟み、無言で吸ってゆっくり吐くのを繰り返した。
異様な声と人影に覆われた中、二人の間を張り詰めながらも静かな沈黙が流れる。

そのうち得体の知れない声は消え、霧の中の人影がだんだんと薄れていった。
やがて人影どもは霧に溶け込むように消えていった。人影が消えると霧も徐々に晴れてきた。

「ウエッ!ゲッホゲホッ!」
沈黙を破ったのはFさんだった。ゲーホゲホ!と涙目になりながら噎せている。
「Fさん、あなた煙草吸えないんかい!」
「おれは、ゲホッ、非喫煙しゃッゲホゲホ!だ」
「じゃあなぜ煙草を持ち歩いているんですか」
「おれの祖父さん、おれをよく山に連れていってくれた人が、ゲホゲホ!その人が山で、ゲホッ」
「無理しなくていいから」
「大丈夫だ、落ち着いた。山で“変なモン”に出くわしたら、煙草を吸いなと教えてくれたんだ。連中は煙草の煙と匂いが嫌いだからそうだ」

Fさんは吸い殻入れに煙草をしまった。
「だから吸わなくとも、山に行くときはお守りがわりに持ち歩いてるんだ。実際効果があっただろ」
「へええ、成程そうだったんですね。ありがとうございました。おかげで助かりました」
「いいってことだ。あのままほっといたら俺も無事では済まなかっただろうし」
Fさんは控えめに片手を上げた。

Gさんはふとある疑問が浮かんだそうだ。
「ところでFさん、その煙草はいつ買ったものですか?」
「あー、5年ぐらい前かなぁ」
「ああ…。とりあえず山を下りたら、煙草を買い替えましょうか」


【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

ヘッダー引用先
Photo by Julio Arcadio Santamaría Reye on Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?