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豆腐怪談 60話:湯舟

最近入浴剤に凝り始めた。
凝ったといってもネットやドラッグストアで手に入るような入浴剤を日々試してる程度だ。

以前は入浴剤なんて全く興味が無く、風呂はお湯だけ張って体が温まったらすぐ出るを繰り返していた。
それが、ひょんなことでどこかの温泉を模したらしい入浴剤に貰ってしまった。捨てるのも勿体ないなと軽い気持ちで湯舟に入れたら、これが暖かくてで血行が良くなったと思うぐらい快適だった。
おかげでいまやどっぷりと入浴剤の沼に浸かり続ける日々だ。風呂だけに。

普段は円形のブロック形のあの入浴剤を入れている。値段のわりには効能が高い入浴剤だ。しかも残り湯を洗濯に使えるのもポイントが高い。仕事がある平日はこれが使いやすい。
そして、金曜の夜にはとっておきの、各地の温泉を模した高性能入浴剤を投入している。
社畜は遠くの温泉なんて滅多に行くことができない。そこで温泉地のお湯を再現できる入浴剤の出番だ。


今夜投入する入浴剤は北海道の某所の温泉を模した入浴剤だ。
早速湯船に入れると、じわりじわりと乳白色が霧のようにお湯の中に広がっていく。この乳白色がいかにも温泉らしくて良い。乳白色が広がるととも、にほんのりと硫黄に近い匂いが鼻をくすぐり、自然と期待が高まってくる。

今夜は丹念に体を洗い、頭皮ケアも今日は念入りにやる。
今週は特にハードな一週間だった。いつもより肌が荒れていたようだ。入浴剤で体を温めてケアすることも大事だが、風呂桶に入る前のケアも大事だ。
泡を流し落とすと垢と共に体の強張りも流れ、一皮むけたのような爽快感がお湯と共にきた。

洗い終わった頃には乳白色は湯船全体に広がり、湯船は某温泉となっていた。
爪先からゆっくり湯船に身を沈める。爪先から温もりが体を包み込む。
肩まで浸かると自然と「あああ〜〜〜!」と気の抜けたなんとも表現し難い声がつい口から漏れていってしまう。
体を包み込んだ温もりが体の中に浸透し、芯から温める。芯から温もりが末端まで血管を押し広げ、デスクワークで固まってしまった筋肉をほぐす。

さすがは某温泉地を模した入浴剤だ。ハードな仕事の疲れが湯の中へ溶け霧散したかのようだ。
お湯の温度自体はぬるめに設定してある。完全防水ケースに入れたタブレットを取り出し、ミュージックアプリ起動させた。Bluetoothで繋がった防水仕様のスピーカーから音楽が流れる。
この癒しの湯船に浸かりながら好きな音楽を聴く。なんと贅沢でたまらない癒しの時間だろう。
しばし天井を仰ぎながら浸ることにした。


数曲ほど聴いたところだろうか。天井から水滴が肩に落ちた
「うあっ」
冷たさに思わず変な声が出た。
湯船に目を戻す。
ほんの一瞬だけ、湯船の中の広げた己の足の間に何かが見えた
ん?と瞬きすると、それは消えた。長風呂をしすぎたかもしれない。
しかし天井を仰いでまた寛ぐ。心地よい静寂が沁みる。

げほっ!

不意に自分のではない、誰かが咳き込む声が風呂場で響いた。
「幻聴か?そうとう疲れているんかな…」

げほっげほっ

再び咳き込む声が浴室に響いた。音源は、浴槽で広げた足の間の上、自分の目の前。質感ある響きが鼓膜を刺す。
間違いない、これは幻聴じゃない。
温まったはずの背中に寒いものが走る。

げほっ…ごほっ
ビシャ…
ごほっごほっごほっがっ……!

苦しそうに咳き込む声は止まらない。
咳き込む声に混じって、水を吐き出す音が混じり始めた。

がっがっ、ごほがはっがはっ!
…ごぼっごぼぼッ…

ごばぁっ!
ビシャッビシャ…ボタボタ…
がっ…はっはっ…

まるで誰かが目の前でおぼれているかのように、咳き込み噎せる音は止まらない。
これはしばらく聞き続けて良いものなんかじゃない。
頭では早く浴槽から出るべきだと、分かっている筈なのに動くことができない。

バシャ!
突如として目の前の湯に波紋が広がった。

ごぼっ、ごぼっ、ごぼぼッ!

目の前で顔を水面につけられたかの様な声のような音が響く。

ごぼ…………ごぼ……ぼ…………ぼ………………

ついに音が消えた。
いま目の前で起きた音について、どうしても想像したくないとても嫌なものしか連想できなかった。

不意に乳白色の湯の中で、小さな黒いものが現れた。
それはお湯にほぐされたかのようにゆっくりと広がっていく。たゆたうその先端は細く繊細なものだった
ああ、これは……ヒトの頭だ。
乳白色の水面下、己の足と足の間にヒトの頭が沈んでいる。広がる髪が揺らめきながら足に触れる。

髪の隙間から、気泡が一つ現れ、ゆっくり上昇し水面でぱちとはぜた。
足と足の間で、頭が身じろぎ、立ち上がる気配がした。


【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。


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