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2023.1 年をとること。個人的な形而下の諸問題。不安の正体。

シラスを聞いていて、最近「エイジズム」「老害」「若い人たち」「自分たち世代の役割」などのテーマが寄せては返す波のように響いてきました。それで、もともとずっと考えていたことを、文章にしてみようと思いました。

2023.1.19
東浩紀突発#82 そしてWEEKLY OCHIAIの彼方へ・・・
https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230119001451

2023.1.19 (同日だけどこちらが後です)
【新春公式突発#2】辻田真佐憲×東浩紀「例のなにかの1回目を収録したぜ、そして無の意味がついに解き明かされる放送」
#ゲンロン230119
https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230119a

▼あらかじめおことわり・・・

これは、20歳になった小娘が「ああ、もう私の青春終わったな」「30歳まであと10年しかない」などと言うのに似ていると思う。
高校時代、友人が「30歳になったら人生を終えたい、それ以上生きたくない」と言っていた。私と他の友人は大変心を痛めた。しかし自分たちも30歳になったことがないので、何と言葉を掛ければいいか分からなかった。
彼女は今、子どもを2人産んで元気に生きている。良かった良かった。

だから年上の人からは、こういうことを考えてますと言っても、哀れまれたり、「頑張れ」と思われたり、「アホか! 生きろ」と思われるのかもしれない。

「年を取っていいこともある」、それもだいたい想像ができる。というか、私もそう思っている。
生きるのが確実にラクになった。人格は(もとがひどすぎたので)多少研磨された。ゆるせることが増えた。

でもそういうことじゃない。私のこの悩みは私のものだ。
もっと大変な人がいる。それも知っている。
でも、だから、悩んでいるのだ。
考えているのではない。これは別に解決はしない悩みだ。
考えたって仕方ない。否が応でも私はだらだら年を取っていくのだ。

また、私は誰か一定の条件の人を貶めようとか、「だからあなたはダメなんだ」と言うつもりももちろんない。私とは違う考え方、例えば「なぜそんなに年齢を気にするのか分からない、私はいつも自然体」とか、「40歳にもなって甘いこと言ってんじゃねえ」なども、もちろんあるだろう。

繰り返すがこれは私個人のただの悩みなのだ。

▼外見から老いを実感b

思わず東さんがよくする「b(グッ、いいねのポーズ)」を付け加えてしまう。

私は自分で言うのも何だが童顔だ。若く見えるのではなく、顔がまるくて子どもっぽいと言った方が近い。
20代~30代は、年齢を言うとびっくりされることが日常茶飯事だったし、今でも時々ビックリされる。30歳を過ぎてスーパーで酒買おうとしたら「20歳以上ですか? 免許証ありますか」と聞かれたこともある。(免許証見せて無事買えた)
童顔は単なる遺伝である。年上の従姉でびっくりするくらい童顔の女性がいるのだ。だから「それって自慢かよ?」と思った人は、「若さ至上主義」の日本の価値観に毒されているだけです。
私? めっちゃ毒されてますよ! 日本で、女性で、童顔で困ることはないからな。
お得でした。今までは。

「私って童顔なんで~」で、いろんなことをごまかしてきた私だが、さすがに35歳くらいから「おお?」と思うことが出てきた。

・顔が老けた!(童顔のまま老けるのは、不気味の谷みたいな状態になるということです・・・)
・体型を気にしなくなった!
(これは一概に悪いことではなく、服をラクなものにしたら、生きるのもラクになった)
・白髪!!!

特に白髪である。今までほとんど見たことなかったが、週に1本くらい見つかる。おお。どうしたらいいのでしょう。染めるほどではない。でも白髪は白髪だ。草笛光子みたいなら素敵だが、2~3本出てきた白髪はどうしたらいいの・・・。

よく、体力の衰え(徹夜できなくなったとか、酒が飲めなくなったとか)を感じて「年取ったって実感したわー」という人の話を聞く。
しかし私は子どもの時から体力がそんなになかったので、「ちょっと疲れたな」と思っても、「まあ元からそうだった」と思ってしまう。もともと徹夜はできなかったし、疲れやすかった。

「もう何年も恋してないわー、感性が年取っちゃった」という人もいる。私はこの方面も早々に諦めていた。
「年を取っても恋したい」と言って、ずっと身ぎれいにしてイキイキしている人は、それはそれでいいのだが、大前提として私は「年を取ったら静かに枯れてくれ」と思っている。特に男性。怖いから。

内面(気力がなくなった)から老いを感じる人もいる。確かに私も「若い時から変わったな」という実感はある。しかしずっと若い時のままだったらちょっと地獄だったのではとも思う。
私は怒りの導火線がものすごく短いので、若いときはすぐ怒って、すぐスネて、周りと衝突しまくっていた。
今は「だいたいのことはどうでもいいな」「どうでもいいことは、引こう」と思えるようになった。これは退化なのかもしれないが、ラクではある。
これでも、バイト先のマダムたちには「せっかちでおこりんぼう」だと笑われているくらいだ。

しかし「外見」は・・・外見はクル・・・。

私のような、十人並の容色で、今まで外見(見た目)に気をつけてきたわけではない人間でも、こんなにショックを受ける。
ということは、若い時から「美人、ハンサム」ともてはやされてきた人は、どれほどショックだろうか。

で、まあ、自分も順調に老いていることを突き付けられ、次に思うのは、

「お前は一体何をしてきたのか」。

▼女性だけにある期限

まず子どもである。もちろん子どもがいない人(誰にでも事情がある)をどうこう言っているわけではない。

私自身が結婚していなくて子どもがいないことについては、一言では言えないし、言いたくないし、分かってもらえるように書けるか自分でも分からないので言及はしないが、事実として、私は子どもを産んでいない。

35歳過ぎてからの出産は「高齢」出産である。
年齢差別とかではなく、シンプルに、若い女性の出産より、35歳超えてからの女性の出産のほうがリスクがある。いわゆる障害のある子が産まれる率も増えると言われている。
「タイムリミット35歳」を、もう5年も越えてから、やっと真剣に考えられるようになってきた。
このリミットは10代のうちから知っていた(※女子校で教育された)のだが、結局今こういうことになっている。

本当に産まないで後悔をしないのか。

分からない。分からないよ、そんなの。

子どもを持ったら子どものいない人生は歩めないし、逆も然りである。

でも確実に期限はある。もう期限は切れたのかもしれない。もともと身体機能的に産めるのか産めないのも分からないし。

わからん。

男性はいい。自分が何歳でも子どもを持てる可能性がある。(自分よりずっと年下の女性に気に入られなければならない、という別のミッションはあるが)

里子や養子についても考えたことはあるが、そもそも子どもは「暖かい家庭」で養育されるべきなのに、私が「一人」ではそういう親になる資格もない。
家庭というのは少なくとも二人の人(※血縁は必ずしも必要ない)が必要だ。

▼結婚

これも分からん。。。今まで「ここ(で結婚できる)かも」という機会もなかった。
なかった! 
無理に結婚してたら不幸になっていただろう。
そして、これからもある気がしない。
なぜなら、私は今、女性としか会わない世界で生活しているからだ。

2022.8 やばい私、やばい国
https://note.com/yudetaito/n/n8334a1546e1a

「(ごちゃごちゃ考えず)婚活すれば?」という話だと思うが、そもそも結婚したいのかどうかも分からないのに婚活するってどういうことだろうか。というか、そもそもこういう考え方をする、「ごちゃごちゃ考える」ことが私のアイデンティティなので、だからこそ今結婚していないのだ。
え、トートロジーですか。むふう・・・。

実はちょっと婚活的なことをしようとしたこともあるが、マジで男性と自分への期待がダダ下がり、ついには「男性パートナーは私に必要なのか? リスク(デメリット)の方が大きくないか?」という活動前の理念がさらに強化される結果となり止めた。
自分が結婚しない(できない)のは仕方ないが、今よりもっと男性が嫌になってどうする・・・。

▼キャリア

社会で大活躍している人が同い年だと知る衝撃。
身近には、子どもを産んで、子育てしながら働いている同級生もたくさんいる。

かたや私は履歴書に書ききれないくらい転職を繰り返した挙句、何者(何物)にもなっていない・・・。
今の仕事はもちろん嫌いではないが、この後どうキャリアを築いていけばいいか全然決められていない。

何も為していない。為せる見込みも今のところない。
ただ生活しているだけである。

▼人生詰んだ。

これまでにもそう思ったことある。(就職できないまま大学卒業した時)

しかし今度こそ詰んだ。

一般的に考えられている「成功、とまでは言えないかもしれないけど穏やかでたぶん幸せな人生」からは、遠いところに来てしまった。

別に一般的な「幸せ」でなくても、自分が幸せ(少なくとも不幸せと思っていない)ならそれでいいと思う。それでいいと思うが、しかし。

▼キーワードは「不確実」と「経済」

何のことはなく、将来が全然見通せない、それはだいたいにおいて、死ぬまでに必要な金額を稼げるかの不安とほぼ同一である。

死ぬまで食べていかなくてはならないのに、
私には何もない。

いや私にも何かかんかはありますよ。たぶん。全くないわけじゃない。
40年なんとか生きてきたわけだし、一応四大卒だし、少なくともぼちぼち健康であることには感謝もしている。

ただ、この「食っていけるのか?」という結構切実な問題を、今までは「何とかなるっしょ」と思えていた。

それはアホだったからである。
「まあ生きていればなんとかなるのでは」
と思っていた。

でも「お前の人生、やっぱり、なんともならないんじゃないか」を突き付けてくるのが、「老い」の実感である。

▼ここまで書いてみて

要は、私の「老いた、人生詰んだ」は「どうしても世間並になれなかった」+「金やつながりがなくて不安」ってことに集約されるようだ。
「世間並」てすごい言葉だが、私にささやくのよ…内なる世間が。

あと「後世に何も(子孫も、功績も)残してない、残せる可能性もだいぶ低い」という罪悪感に似た感情。残念感。

機能が衰えて「自己の死」を意識する本格的な不安は、60代くらいからだろう。その前に女性は更年期があるけど。(男性もある人はある)

若いときも不安だった。というより憂鬱だった。
訳の分からない理不尽な世界で生きていかなきゃいけない、面倒だと思っていた。

でも世界の理(ことわり)がある程度分かって、憂鬱もいなせるようになってから、本来考えるべきことを考える時がようやく私にも来たのかもしれない。

だいたいが、こんな悩みを現時点で持っているのがおかしいのかもしれない。
それこそ「10代でやっておいてくれ」ということなのかもしれない。

ああ、私、自分にがっかりしているんだ。

私には、少ないけれど友達がいて、シラスコミュニティがあって、健康で、一応仕事もあって、ギリギリ生きていける金額はもらっていて、社会とつながることはできている。
社会から石を投げられるようなことにはなっていない。

でもきっと、初めて自分に本当にがっかりしているんだと思う。

何も残さないまま年を取ることの恐怖。

辻田さんはよく「無の会話」などと言うが、私の人生こそ「無」である。「有」の照準をどこに置くかにもよるかもしれないが、というか「無」でも生きていて良い、ということになっているのだと思うが、でも「無だわー」と今しみじみ思う。

私は、自分の今までの人生は割と楽しかったのだが、楽しくても「無」は「無」である。

でもそれを感じても尚、「ああ、仕事めんどうだよー」「学校行きたくねえー(行ったら意外と楽しいのだが)」と思ってしまうのだった。。。

あーん早起きしたくないよう。。。

▼悪いことを言うことは親切か

唐突だが、晩婚化・非婚化・少子化について、もし何か私が言うとすれば「悪いことを言い過ぎでは」である。

結婚も子育ても、私が真っ先にイメージするのは、「大変」「自由がない」「体力的にもつらい」「女性のワンオペ」「旦那の悪口」である。
私の周りは、子育ては大変だけど夫婦仲がいいカップルばかりで、別に悪口をそんなに聞かされるわけではない。

それでも真っ先に結婚生活でイメージするのは、「夫が何もしない」「妻への理解がない」である。これはメディアなどを通じて、または、現実生活で見た情報であろう。
男性側にも言い分があると思うが、私にはそういう情報が集まってくるのだ。

子育てや結婚の悪い所を目を輝かせて報告する人たちは、それで意外とうまく家庭をやっているんだと思う。そして「ワクチン」のように、未婚の人たちに教えてくれてるのかもしれない。

「知らずに結婚したら、子どもを産んじゃったら大変だからね、知っておいた方がいいよ」

うん。それはそうだ。恋愛結婚で結婚式がピークでは困るのだ。子育ては大変だし生活はリアルなのだ。

でも悪い所と同じくらいには「いい所」も言ってほしい。

まあ本当に「うちの旦那は自分で何でもできて理解があって、家事も子育ても平等に担当してくれて、私だけを愛していて出世もしてるの」って言われたら、それはそれで鼻白むと思う(笑) でもグチられるよりはいいかな。

年を取る、ことについても似たようなことがある。

年を取ると、あちこちが痛くなって、若い時のように動けなくなって、なんとかでかんとかで・・・と、悪いこと・できなくなったこと(それをなんとかするためのマーケティング)がこの世に溢れている。

今やラジオもテレビも新聞も、高齢者のためのメディアである。
だから広告は病気と介護のものが目立つ。
特にラジオ。膝が痛い、腰が痛い、目がかすむ、過払い金・・・というのは冗談だが、なんか、「はあ・・・あと何年経ったら私もこうなるんだろう」と思ってしまう。
テレビの通販も半分くらいは「失われた若さを取り戻すための商品」な気がしている(※印象)。
新聞も精力剤や夜中にトイレに行かなくて良くなるサプリなどの広告などなどなど。

なんで悪い所を嬉々として語るのかなあとは思う。
子育ては大変だけど得るものもある、と言ってほしいよ。それは子どもを産んでない人(誰にでも事情がある)を下に見るのとは全然違う。


「年とっても全然楽しいし何とかなるよ」「何も残さなくても生きて死ぬだけで十分なんだよ」って言ってほしい。本当は。


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