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評価ではなく「覚悟の交換」

僕らがやってる「自己申告型給与制度」では、根本的に、人が人を正確に評価することなんて出来ない、という前提がある。なので正しい評価制度とか、評価方法みたいなものも幻想だと思ってる。そんなのはない。

だから僕たちは「評価」をしない。正確にいうと「評価」と「給与」を連動させない。仕事の評価は、随時いろんな形では実際にはやるけど、それはあくまでもその人の仕事のパフォーマンスを上げたり、成長のためのもので、それを賃金に連動させることはしてない。

じゃあ評価しなくて、どうやって給与を決めるのか、と疑問に思うかもしれないが、僕らがやってるのは、社員から「こんな貢献をするから、いくらの報酬にしたい」という要望を出してもらい、それに対して「その額にする覚悟がまだ会社にはないよ」と伝えたり、「もっと報酬上げてもいいから、これぐらいの貢献をして欲しい、君なら出来ると思ってるんだ」みたいな期待を伝えたり、そういうやりとりだ。これは「評価」ではない。

これを僕らは「覚悟の交換」と呼んでいる。社員が自分の希望や意思を伝える、ここにも覚悟が必要だし、その覚悟に対して、会社がどこまで覚悟できるかを表明する。ここでも覚悟が求められる。

「覚悟の交換」にロジックはないし、何か技法やテクニックがあるわけでもない。「その貢献にその報酬は難しい」と会社が判断するとき、その根拠は何?と聞かれても、きちんと答えることはかなり難しい。ただ、それを認める覚悟は持てないんだ、という、それだけでしかない。

判断の適切さを求められても正直答えることはできない。その貢献内容や、その人が持ってる様々なスキル、能力、またその人が周囲に与える影響など、いろんなことを総合的に見る。何かの特定の項目を切り出して点数つけたりマルバツ付けたりするのではく、すごく抽象度は高いが、その人の「全体」を見て、その貢献内容と報酬に、会社がコミットできるかどうかを判断するのだ。それは正解を求める、正しさを求める行為ではなく、やっぱり覚悟を持てるかどうか、そこへ向き合うこととしか言いようがない。


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