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挑戦派と慎重派の両方が組織には必要

新しい取り組みを始めようとする時には、大抵、ネガティブな意見や声もあがる。

これは健全な組織にとって必要なことで、そもそも声が上がらない、どんな取り組みに対しても、全会一致みたいな状況が普通だとしたら、その組織はかなり危ないとも思う。

それは本当に皆賛成しているわけではなく、意見を出すことが無意味と諦めていたり、賛成してたほうが面倒臭くないとか、どちらかというと意見を出すことがネガティブな環境や風土が蔓延ってることが原因の可能性が高いからだ。

人のタイプとしても、新しいことや、よくわからないものに、「面白そう」という興味から入る人と、何より先に「大丈夫か?」という疑問や不安から入る人がいる。

前者の人は、大抵、「どうしたらうまく出来そうか」と、やれる方法から考える。後者の人は、まず「どんなリスクがあるか」を検討して、リスクを潰すことから始める。これはストレングス・ファインダーではないけど、資質の違いなんだろうと思う。どちらの人が優れてるとか、良い悪いなんてことはない。

端的に行ってしまえば、挑戦が好きな人と、慎重な人、ぐらいの感じかな。もちろん、ある人はどちらの派とすっきり分かれるわけでもなく、大抵の人は、両方の資質を持ち合わせていて、時と場合によって、どちらかの派が優勢になったり、劣勢になったりしつつ、バランスを取っているんじゃないかと思う。

組織には、挑戦派、慎重派、どちらの派も必要で、あまりどちらか極端に偏ってると、組織運営は難しくなりそうだ。そもそも新しいことに挑戦してるベンチャーなんかは、挑戦派の割合が高くなるんだろうと思うけど、でも、慎重派が一人もいないと、それはそれで一度、冷静になって考えてみる、みたいな場面を作り出しにくく、それが組織の暴走を招くケースもあるだろう。ベンチャーなどで大きな問題が起きたりするのは、この辺にも原因があるんだろうと思う。挑戦派があまりにも支配的で、慎重派が声を上げにくいとかね。そういう雰囲気や文化もあったり。

レガシー企業になると、どちらかというと慎重派が多くて、挑戦派が支流になってたりするのかもしれない。慎重派からしてみてたら、挑戦派の行動や発言にヒヤヒヤしてて、自分は巻き込まれたくない、と思う人も多いだろう。挑戦派にありがちな「走りながら考えよう」「やってみてから考えたらよい」みたいな思考方法は、ものすごく短絡的に思えるし、出来る限りのリスクは実行前に潰しておくべきだろ、と不満が募る。ただ、実行前にリスクやリスク回避方法ばかりを考えてても、実際、やってみないと分からないことはあるし、ここのバランスのとり方は、人によっても組織の文化によっても変わってくるので難しいところだ。

組織には挑戦派と慎重派のどちらも必要ではあるけど、一番の問題は、この二派がお互いの存在を認められない、否定してしまう場合が多いということではないかと思う。

挑戦派からしてみれば、慎重派のやり方では何も事が進まない、スピードが遅い、時代の変化についていけない、という苛立ちがあるだろうし、慎重派からしてみれば、挑戦派のやり方では身を亡ぼす可能性もあるし、大きな問題を招いてしまい、その時には手が施せなくなってしまう危険性もあるじゃないかと懸念してる。お互いの存在が双方にとって「邪魔」だったりする。

お互いがお互いの資質を非難してる状況では、どんな決定をしても、結局、どちらかに不満が残るだけになる。最悪は、お互いを排斥しようと画策し合ったり。

必要なのはどちらが正しい、正しくないの問題ではなく、今の状況や環境や戦略に於いて何を優先してるかというスタンスの違いに過ぎないということ。それを明確にして、お互いがそのことを理解することだと思う。

そして、どちらの派のモードを採用したとしても、一方の派は、自身の特性をもって、その決定に最大限貢献できるように協力する、ということだと思う。どっちが勝った負けたとか、採用されたされないではない、ということをしっかり理解しておく必要がある。

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