見出し画像

不便な本探しと幸せの関係

今日は昼から青山ブックセンターさん主催のオンラインイベント「青山ブックカーニバル」がある。会社は休日なのだけど、イベントに備えて午前中に会社に来てみた。休日の人のいない工場や会社が僕はけっこう好きだ。とても平和な感じがするから。

ちょっと思いつくままに書いてみる。

今よりずっと自由に使えるお金が少なかった若い頃。インターネットなんて便利なものもなく、人々が個人の電話を持つようになるずっと前。

今なら読みたい本はアマゾンですぐポチってしまうし、ついつい手軽さに負けてkindle版で買ってダウンロードしてるけど、当時は、新刊本を買うのは、金銭面的に多少の躊躇はあったので、休日などに古本屋を巡っては、気になる本をどっさり買い漁ってた。新書買うより遥かに安価にそして大量の本と出会えるのが嬉しかった。

もちろん図書館も利用してたけど、古本屋や、古本市などの方がわくわく度も高く、満足度も高かった。予想しない出会いがあるからね。

画像1

今なら、新品中古問わずネットで欲しい本は探せば大抵は見つかるし、読みたいと思ったらその場でダウンロードできる本も多い。当時に較べるとなんて便利になったんだと思うけど、でも、便利になったから幸せになったのかというとそうでもない。それとこれとは違う話だ。

不便だったけど、でもあの頃、古本屋を巡って、沢山の本を買って、家に帰る時のなんとも言えない高揚感みたいなものとか、仕入れた本にめちゃくちゃ面白い本があった時の喜びとか、そういうものは今の生活にはなくなってしまったなぁと。

幸せを比較することも難しいけど、あの頃の不便さとか面倒にはそれなりに幸福感に繋がる何かがあったように思う。

世の中の進化は、基本的には、不便の解消がベースにある。一般家庭で使われる白物家電はほぼそうだ。洗濯機にせよ、冷蔵庫にせよ、電子レンジにせよ、ポットにせよ。最初は便利の追求ではなく、不便の解消からスタートして、基本機能が満たされると便利の追求競争になった。便利が行き過ぎると、デザインとかセンスとか、そういう情緒的な要素が差別化の要素になったりと、この辺はよくマーケティングの話で取り上げられるようなことだろう。

不便の解消⇒便利の追求と、僕らの生活が進歩していったこの数十年。僕たちの暮らしは幸せになったのかというと、必ずしもそうでもないなと。いや、もちろん生活はほんと楽になったし、今更、不便な生活に戻れるかと言われれば、1日、2日はいいけど、ずっとはやっぱり嫌なんだけど。

出勤中の車の中で、Voicyで「荒木博行のBook Cafe」を聴いてたら、「うさぎ狩りに行く人に、うさぎを差し出す」という表現がでてきた。

うさぎ狩りに行く人は、うさぎも手に入れたいのはもちろんだけど、狩りという行為やその工程も楽しみたいとか、そういう話だ。

先の本探しの話でいくと、僕はまだ出会ってない面白い本を手に入れたいという目的はあるのだけど、京都の町を自転車でうろつき、一軒一軒、古本屋を巡るというその行為自体が楽しかったのだし、好きだったのだろうと思う。そういう行為や工程、体験も含めての本探し、本との出会いに幸せを感じていたんじゃないか。

それ言っちゃえば、本探しは、やろうと思えば、今でも出来るんだし、やればいいじゃないかとなるわけだけど。それが、なかなか不思議なことに出来ないんだなぁ。楽さや便利さの方に引き込まれてしまってるというか。

「便利」という価値があまりにも高いため、見落としてしまいがちだけど、多分、その「不便さ」ゆえに体験・体感できてた幸福感みたいなものはあるんだろうなぁ。自分でもよく分かってないのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?