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安くしていく努力の行き着く先

少し前、ある大手メーカーのとある部品の加工を請けている会社を訪問した時のことだ。初めてのお伺いということもあり、僕は滅多に着ないスーツで上下固めていた。立ってるだけでも汗が噴き出す、そんな暑い夏のある日だ。

工場に隣接する事務所に入り、受付を通って、目的の担当者がいる三階へ向かうように指示をされた。エレベーターは使えないので階段でお願いします、と言われ、階段を三階まで上がる。

事務所に入った時から、やけに暗いなと思っていたが、階段も通路も一切の電気が消されてる。事務所棟内に入っても、まったく涼しさを感じないので、冷房類もつけていないようだ。

三階まで上がるだけで汗だくだ。目的の担当者が出迎えてくれて、商談席に案内される。廊下もとても暗く感じるし、廊下から見える執務室は真っ暗なところもある。でも、各机の上のモニターから淡い光が漏れ出してるので、その暗い部屋で、仕事をしてる人はいる。かなり異様な光景だ。

商談席は、大きい部屋にいくつかのブースが区切られたよくあるタイプのものだが、ここも暗い。ブース内もとても暗い。部屋自体に窓がなく、採光できてないので、光は、担当者のPCモニターの明かりぐらいだ。そして、ものすごく暑い。エアコンは動いていない。

三階まで歩いて上がってきた時点で、汗が止まらなくなってたが、ブースに通されても、サウナに入ってるようで、僕はただただひっきりなしに流れ落ちる汗をハンカチで拭いていた。

何の話をしたのかは、まったく覚えてないけど、これらの光景はかなりインパクト強かったので、それだけは覚えてる。

最後の方で、この異様な光景の話になった。どちらが切り出したのかも忘れたけど、担当が説明してくれたのは、こういうことだった。

毎年、その会社の発注元である大手メーカーさんが価格交渉に来るそうだ。それは恒例行事で、必ずコストダウンを強くお願いされる。

その会社は、何年も、何十年もそのお願いに応えてきて、改善を繰り返したきた。しかし、製造工程や原料などのコストダウンはもう限界のところに来て、さすがにもう無理。勘弁してくださいとお願いしたそうだ。

すると、その発注元の会社さんは、「この事務所棟の電気代は年間いくらですか?」「冷暖房を必要最小限の利用にしたら、いくら削減できますか?」「エレベーターの利用を止めたらコスト削減できないですか?」「部屋の電気は本当に必要ですか?」みたいなことを突っ込んできたそうだ。

発注元の担当や営業がいつ来ても、もう限界までコストダウンしてるんだ、ということを見せないといけないので、本社棟ではエアコン使用不可、エレベーター使用不可、各部屋は必要最小限の電灯のみ、という対応を徹底しているということだった。

その話を聞き、実際に、そういう取り組みをしている会社の姿を見て、憤りを覚えずにはいられなかった。

その発注元の会社さんは、少なくとも当時は、過去最高益を記録したりしていたからだ。自分たちはしっかり利益を確保しながら、発注先の会社には、真夏でもエアコンも使えない状況に追い込んでる。あまりにも不条理すぎないかなと。(でも、発注元の会社も同じような経費節約はやっている、みたいなことを、その請負側会社の担当は仰ってたけど)

こういう話はどこの業界でもあることかもしれない。

少しでも安く良いものを、これを追求していく姿は美しくもある。

でも、この真夏の最中に、エアコンさえ我慢し、暗いオフィスでPCに向かい合う。そこまで切り詰めて提供しなければならないモノって、何だろうかという気もしてくる。

どこの業界でもサスティナブルみたいな話もあるし、フェアトレードなんかへの注目も高まってるとは思うけど、日本国内の足元のモノづくり基盤みたいなものにも、いい加減、フェアトレード的な概念が広がっていかないと、こんなことをこのまま続けてたら、ホントに気づいたら、日本でモノづくりなんて出来なくなってしまうんじゃないか。

もちろん、そもそもそんなにまでして、コストダウンの要求に応じる必要ないじゃないか、嫌なら止めたらいいんじゃないかという意見もあるだろう。

それもそうかもしれない。

でも、その会社さんの売上は大部分は、発注元の大手会社さんに依存してて、一度できてるその構造を抜け出すのは、かなり大変だったりもするんだろう。

少なくとも、戦後から高度経済成長期を駆け抜けて、発注元/請負企業が一蓮托生で、規模を拡大していく、売上を伸ばしていく、みたいなモデルが、非常にうまく機能していた時期はあったのだと思う。

毎年のコストダウン要求に応えれば、その分、トータルとしての製造数量は伸びていって、請負会社の売上も拡大、事業規模も大きくしていける、そういう時期は確実にあった。だから、その会社さんも、何十年もその慣習になんとかしようと対応してきたのだろう。

しかし、さすがに、こういう構造は、もう成立しないんじゃないかと思う。構造そのものが変わらないと、この沼から抜け出すことは難しい。

そもそもモノがどんどん売れていく時代ではなくなった。去年より今年、今年より来年と、毎年販売量が拡大していく時代は、とっくに終わってる。少なくとも日本市場ではそうだ。

コストダウンの努力は、決して、それ自体が悪いものではないし、メーカーは絶えず、如何にして安く品質の良いものを製造できるかに創意工夫を凝らしていく必要はあるとは思う。

ただ、利益の源泉を、そこに求めすぎてしまうのはどうなんだろうか。請負会社の価値づくりという意味では、どうしても単価しか、競争力を保持しえない、というのはあるのかもしれないけど、でも、何かそういう価格を安くしていく努力ではない、ところで価値づくりができなければ、そう遠くない将来、この仕事や業界は働ける人もいなくなり、成立しなくなってしまうだろうと思う。

そして、請負会社が行き詰まれば、その一社が駄目になったというだけでは済まないケースも多い。生態系そのものが変わってしまう、その請負会社に連なる他の会社にも影響が及んでいき、気づいた時には、日本では、その工程はできません、みたいな状況になってしまってたり。

そうやって、日本で作れなくなってしまったものは、実は、かなりの数に上るんじゃないか。それによって失われた職業もかなりの数になるんじゃなかろうか。これを単に「自然淘汰」であり、仕方ないものだと片づけて良いのかどうか。僕にはよく分からないのだけど。

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