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クリエイエティブは多数決で決めない

少し前ですが、何気なしにしたこちらのツイートが、意外にも反響があったので、この辺について思うことをもう少し掘り下げて書いてみようと思います。

あくまでも、クリエイティブを創る側の人間ではく、クリエイティブの判断をしたり、ディレクションしたりする側の人間としてなんですが、こういうことはやるべきではない、やらないでおこうと思ってるのが、この2つです。

  1. 複数の案から『多数決』で最終案を選ぶ

  2. 案に対して、色々な人の意見を聞き、それを可能な限り全部盛り込もうとする

「クリエイティブ」なんて、えらく抽象的な言葉を使ってますが、ここでの意味は、テキストにせよ、動画にせよ、イラストにせよ、プロダクトデザインにせよ、ウェブページやバナー広告にせよ、何か対象のモノゴトの魅力だとか本質を伝えて、人々の感情を動かしたり行動を促したりする創作物やら装飾やら仕掛け・仕組みやら、それらすべてを「クリエイティブ」という言葉で括っています。

これはあくまでも僕のポリシー的なものです。何かロジックとか根拠とかがあるわけでもなく、僕としてはこうしたいと思ってるだけです。

先に補足しておくと、「多数決はダメ」なんて言うと、じゃあA/Bテストどうなのか、という声が上がったりします。最近だとバナー広告やウェブページなんかもA/Bテストも簡単にできる。出来る限り効果の高い、レスポンスの良いクリエイティブ案だけに絞っていくというのはすごく合理的だし、その手法ややり方が悪いとは全然思いません。

ただ、そもそもA/Bテストは、A/Bテストにかけるクリエイティブの範囲内でしか「多数決」は実施できないわけです。そして、当然だけど、A/Bテストで測定できる、数値化できるものしか最適化できません。A/Bテストにかける前に、あるいはA/Bテストではそもそも測ることができないものに、クリエイティブの良し悪しを決めないといけない領域はあるんじゃないかと思うんですね。

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こういうポリシーを持つようになったのは前職時代の経験が影響しています。

前職時代、クライアントワークで、クリエイティブや企画のディレクションを5-6年やってたんです。大手企業になる担当者には決定権がなく、結局、部内の色んな人や上司、あるいは役員レベルまで合意を取らないと進まない、みたいなケースには何度か遭遇しました。

大体、確認すればするほど、意見や指摘が入るんですね。で、担当者はそれをそのまま伝えてくる。しかも、そのクリエイティブの目的には関係なく、単に、会社内の序列とかで、位の高い人の声を優先的に反映しようとしたりする。

そうやって、色んな人の声を盛り込んだものって、その声一つ一つは反映されてるかもしれないけど、全体としてはどうしようもない凡庸なものになってしまって、本来、そのクリエイティブが目指した役割や目的とはどう考えてもそぐわないものが出来上がったりするわけです。(そういう色んな人の声を盛り込んで、それでも凄いものを成立させるのが本当の「クリエイティブ」だろう、と言われてしまえば、何も反論できないのですが)

そんな苦い経験もしてきたので、自分が発注側、依頼側に立つ時には、皆の声を集めてそれを全部反映して、みたいな依頼の仕方だけは絶対にするまいと思ってました。

木村石鹸で、クリエイターさんとの仕事が本格的にスタートしたのは、自社ブランド事業を始めてからです。最初は僕が担当者&責任者なので、クリエイティブの決定も僕が決めれば良かったわけです。

しかし、徐々に自分の手から事業を引き離していく中で、現場の担当とクリエイターとの間のやり取りで気になるところが見えてきました。

クリエイターさんからプランが上がってくる。すると、担当は、部内のメンバーにそれを見てもらい、意見を求めます。意見を聞く分には良いのですが、ついついそこで上がった意見をそのままクリエイターさんに返してしまうシーンに遭遇したわけです。さらに何案かの中から社内投票で多数決でクリエイティブを選ぼうとしたり。

これも、社内にはこういう意見がある、すべての意見を反映させる必要もないが考慮してもらって、これこれこういうところを中心に再度プランを練り直してもらえないか、みたいなオーダーであれば、ありかなと思ったんですけどね。そうじゃなかったんですね。ただ、そのまま全部返すみたいな。出来るだけ全部盛り込んで欲しいとか。

その時、ふと気づいたんですが、クリエイティブって、このクリエイティブで良い、このクリエイティブが良い、って決断を下すのって、実はすごく難しいことなんだなと思ったんですね。なぜなら、どこまで行っても、もっと良いクリエイティブはありえる、その可能性はずっと残り続けるからです。その可能性を断ち切るって凄く覚悟がいることなんです。

一方で、ここがダメ、ここがイマイチ、みたいな駄目だしは簡単なんです。「なんか違う」でもいいわけですから。言語化できなくても違和感を表明することはやりやすいわけです。

クリエイティブについて、会議とかで皆に意見を求めると、だいたい駄目指摘か、なんかもうちょっとこうしたい的な抽象的な指摘ばかりになることが多いんですが、それはそもそも「これが良い」って言うには、ある種の覚悟が必要だからです。

もちろん、本当に素晴らしいクリエイティブは、これよりもっと良いクリエイティブがあるかも、みたいな予兆なんかも一切感じさせないぐらい、誰が見ても文句がつけらないような強さを持ち合わせてるものかもしれません。そんなクリエイティブは本当に理想だと思います。でも、ビジネスとして予算や時間の制約の中で、クリエイティブも考えないといけないという前提であれば、少なからず、自ら「これが良い」と覚悟を持って、その他にまだ良いクリエイティブがあり得るかも予兆を断ち切っていく必要もでてくるはずです。もちろん逆に本当にどうしよもない、ダメなクリエイティブってのもありますし、そういうものは部分最適とかでどうこうしていくのではなく、もう根本的にダメなんだと、これまた覚悟もって判断していかないといけないんですけどね。

僕は、その担当に、多くの人に意見を聞くのはいいし、それを参考にするのはいいけど、皆の意見をそのままクリエイターにフィードバックして全部盛り込んでもらおうとするのはダメだし、多数決で決めるのもやめて欲しいと言いまし。自分で判断して決断するようにお願いしたのです。

皆の意見を盛り込もうとする態度も同じですが、クリエイティブを多数決で決めるということも、これはある種、覚悟の回避だと思ったんですね。

逆説的ですが、自分で決める、判断するという覚悟を持たない限り、そもそもクリエイティブを判断するセンスは磨かれないだろうと。皆の意見を聞いても、それを自分がどう消化して、どう活かすのか、どこまで配慮するのか、それも全部、自分の責任として決めていくべきで、クリエイターとやり取りする担当であるなら、担当が自分の責任と覚悟をもって判断していかないといけないと思ったんです。

そのクリエイティブが良いのか悪いのを判断する能力は、もうこれは磨いていくしかない。勉強するしかない。そう思ってます。何度も覚悟と責任をもった判断を繰り返していくしかないじゃないでしょうか。
(あと、クリエイターさんの力を信じるとか、信じることが出来るクリエイターさんとお付き合いするとかって方法もありますね。)

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