見出し画像

逆境に弱いのは教養が足りないから?

保坂和志さんの「途方に暮れて、人生論」の「教養の力」という話にこんなことが書かれてあった。

保坂さんの知り合いの大学の教授(文学の)が、某官庁のトップとOBからなる委員会みたいなところから相談を受けた。

最近の中堅以上の幹部職員は逆境に弱い。彼らは簡単なことで挫折してしまう。その原因を探っていったら、『教養が不足している』ということに行き当たった。中堅以上の幹部職員の教養を育成するプログラムを教えてもらえないだろうか?

こんな相談だったそうだ。

保坂さんは、この話に紐付けて、人間を支えているのは教養であり、教養の中核になるのは文学・哲学なのだ、と断言する。
(ここで言う文学や哲学にはもちろん芸術や心理学など広く文系学問が含まれる)

最近の若い奴らはストレスや逆境に弱い、なんていう指摘は、それこそ老兵の戯言に過ぎず、いつの時代も老いたものは若者をそんな風に捉えるものだと言えばそれまでなのだろうけど、実際、「文学や哲学」を経由するというか体験するというか、そういう経験がない人は、そういう部分に向き合ってきた人より、心は弱いんではないかという気がする。恐ろしく個人的な主観に過ぎないのだけれど。

若い頃に「世界を知りたい」「世界を発見したい」「自分を知りたい」「自分は何者なのか」という幼稚的といえば幼稚的だが、哲学やら文学やら芸術が根本的にテーマとするような根源的な問いや欲求に対して悩んだり、苦しんだりするってことをしてないから、ストレスや逆境への対処ができないのではないか。というと、すごく極端かもしれないけれど。

「生き苦しい」とか「生き難い」なんてときに、スピリチュアル本や誰にでも言えるような励ましをそれっぽくしただけの詩とか、霊感商法すれすれの自己啓発本みたいなものに手を出してしまうのもよくない。こういうのは安易に解決を得ようとしているだけだが、こんなものに解決なんてない。どれだけ悩むかと、どれだけ考えるか、そのプロセスこそが価値であり、それをすっ飛ばして「解決」を得ても、そんなものが解決になるわけがない。

(この記事は、2008年11月に自身のブログに投稿したエントリーをnoteに再編集して移行させたものです)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?