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100周年イヤーを迎えて、取り留めもなく書いてみた

新年あけましておめでとうござます。
2024年4月で木村石鹸は創業100年を迎えます。
ついに100周年イヤーがスタートしたということですよ。はい。

三重伊賀工場 IGA STUDIO PROJECT

僕は2013年6月に木村石鹸に戻ってきました。
後継ぎなので、「戻ってきた」という言い方をしているのですが、これにはいつも違和感を感じます。僕にとって木村石鹸は「戻る場所」「ホーム」という感覚はなく、ずっと逃れようと逃走してきた果てについに捕まってしまい、強制連行されたような、そんな感覚で、どちらかというと「連れ戻された場所」だったからです。各所で言ってますが数年ぐらいで元の会社に戻れればなぁ、なんて気持ちで木村石鹸にはやってきたので、気づいたら10年経って、あれよあれよという間に100周年イヤーを迎えることになってるのも、人生とか運命って不思議なものだなぁと思うわけです。

100周年を見たがった親父

戻ってきた時、親父はよく「ワシは100周年までは生きる」「100周年を見たいんや」と言ってました。そんな言葉を聞くたびに、僕は、そもそも今の会社をあと10年継続させるにはどうしたらいいんだろうか、と思案してました。自分が経営していく気はさらさらなく、どうやって経営者を見つけるか、育てるか、最初はそんなことをよく考えてものです。(実は、10年経って、再び今も同じことは考えてるのですが…)

まだその頃は親父は透析はしてなかったのですが、このまま数値が悪化すると透析確実みたいな状況で、体調を崩すことも多く、10年元気でいられるのだろうか、という心配も正直ありました。その後、親父は予想通りに透析が必要になりました。

2022年の秋には大腿骨骨折で入院。入院中にやや認知症っぽい症状になったり、独りではお箸を使うことも歩くことも出来ない状態になりました。退院して家に帰ってくるも年末にコロナ感染。透析患者専用の隔離病棟に入院となり、2023年のお正月は完全隔離の病院で迎えたのです。あの時も、僕は100周年まであと1年ちょいではあるが、親父がそのことをちゃんと理解した状態で復帰するのは難しいんだろうなと思ってました。コロナ入院前は、一時期、僕の名前もうまく口に出すことが出来なくなってましたし、このまま認知症が進んで、歩くこともできず、独りでは何もできない要介護状態になってしまうだろうと思っていたからです。

2022年12月10日80歳誕生。 退院して直ぐの頃。この後、コロナでまた入院。

ところが、コロナも無事重症化を避けて退院でき、それからの回復は凄かったです。2023年は親父がどんどん元気になっていく1年でした。記憶や認知も以前の状態の戻り、両手を動かすことも出来るようになりました。少しづつ歩くことにも挑戦して、今では杖や補助するものは必要ですが、ベットから自分で起き上がり、歩いてトイレに行けるようになりました。大好きな車の運転は免許返上して出来なくなってしまいましたが、それでも電気で動くシニアーカーを購入して、透析のない日は近所を走り回ったり、伊賀の工場まで出かけたりしてドライブを楽しんでたりします。勿論、両親とも高齢なので、いつ何時、突然どうなるかはわかりません。ただ、昨年の年始の状況を思えば、本当に元気になってくれたなぁと驚くと共に、その生命力に感動しています。100周年とは言わず、110周年も115周年も元気でいて欲しいなと心から願うばかりです。

2023年12月10日81歳の誕生日。すっかり回復。元気になって満面の笑み。

10年前に較べたら随分変わった会社

会社の状況としては2013年から比べると、かなり変わったなぁと思います。当時はほぼゼロだった自社ブランド事業が、今は全体の40%を占めるようになりました。全体の売上は2倍以上になってます。
商品も北海道から沖縄まで日本各地色んなところで取り扱って頂けるようになりました。最近は台湾や中国への輸出も少しづつですが増えてます。

自社ブランド第一弾 SOMALI
ニッチ洗浄剤 クラフトマンシップシリーズ
本気で髪を良くする12/JU-NI


毎年、新卒が入ってくれるようにもなり、平均年齢が40歳を切りました。(全体平均年齢は38.3歳。現場職だけに絞ると36.6歳)
若い人も増えて職場の雰囲気も随分明るくなったように思います。

東京オフィスを開設し、リモート社員含め関東で仕事に従事するスタッフが2名。沖縄で研究開発をするスタッフが1名。三重県伊賀市に新工場ができ、そちらでも20人ぐらいのスタッフが働いてます。
2013年当時、女性社員は3人しかいませんでしたが、今は20名を超えて、全体の40%が女性社員になりました。

本社前。全員じゃないけど。
こちらは伊賀工場 IGA STUDIO PROJECT

少しづつ会社のことを知ってくれる人も増えてきたと思います。
数年前、自社でのSNSの活用を考えてた時の一番の課題は、そもそも木村石鹸のことを取り上げてくれる投稿がめちゃくちゃ少ない、ということでした。自分たちの発信力を高めていくことより、もっと自分たちのことを取り上げてもらえるような存在にならなければ、そんな風に考えたものの、どうしたらそんなことが可能なのかはよく分かっていませんでした。
でも、気づいたら、今では毎日のように誰かが木村石鹸のことを紹介したり語ってくれたりするようになりました。会社内には自動でSNSを特定ワードでエゴサして、ヒットしたものをチャットグループに投稿する、というシステムが組まれているのですが、そこに流れるメッセージを僕はいつも楽しみに見ています。

会社内には相変わらず様々な問題が山積みです。
僕自身は約30年、経営立場で会社と向き合ってきてますが、一時たりとも問題がないなんて状態はなかったので、会社や組織というのは、そういうものなんだろうと思っています。
でも、とても良いメンバーたちが揃ってるので、色々問題も大変なこともあるけど、楽しく前向きに乗り切っていけるんじゃないかなと思ってます。

これからの木村石鹸
100年だからどうってわけでもなく、基本、これからも正直に真面目に楽しくやってきたいなと思ってます。
僕は事業にはあんまりこだわりがありません。木村石鹸と社名に石鹸が入ってるから、石鹸や洗浄剤だけをやるべきとも思ってなくて、自分たちが自分たちらしいやり方で出来るなら、それが誰かしらにとって価値と感じてもらえる、良い商品だと思って貰えるなら、別に何をやったって構わないと思ってます。(何をやっても構わないとは言っても、自分たちでやってちゃんと価値を出そうと思うと、それなりに出来ることは勝手に限られてくるとも思うんで)
木村石鹸の歴史を丁寧に紐解いていくと、もし石鹸だけにこだわってたら、多分、今会社はなかったと思います。その時々で出会ったこと、遭遇したことに、ちょっと首突っ込んだり、チャレンジしてみたからこそ、今の木村石鹸があります。
これからも、そういうチャンスはちょくちょくはあると思うんですね。すべてうまくいくとは全然思ってないのですが、やっぱりチャンスには少しでもいいから手を出しておきたいなと思ってます。貧乏性なんですよね。
勿論、石鹸の可能性はまだまだあると思ってるので、そこの追求はしようと思ってます。今年は、固形石鹸もリリースする予定だし、石鹸でも出来ることはあるだろうと思ってます。

この数年、ウェルビーイングについて勉強してます。ウェルビーイングって勉強すればするほど深く、面白い概念なんです。
今更ながら、組織のウェルビーイング、仕事のウェルビーイング、生活のウェルビーイング、色んなウェルビーイングを高めたいです。会社としても一個人としてもね。僕らが提供する商品も、何かしらウェルビーイングに繋がるものでありたいとは思ってます。単に劇的に汚れが落ちるとか、キレイになるとか、効果がある、とかではなくてね、キレイにすることそのものに楽しさや喜びを感じてもらうとか。商品使ってると幸福感上がるとかね。
買う前から、買って実際に使って、廃棄するところまでもね。プロセス全体を通じて、どんなステップにおいても、何かしらウェルビーイングに結び付けられることはありそうな気がしててね。そういうことも考えていきたいなと思ってます。

100周年イヤーは自分たちも楽しもうと思ってます!

この100周年イヤーは、お世話になって皆さまに感謝しつつ、せっかくこんなタイミングでこの会社にいてるのだから、せっかくだしスタッフ自身で楽しもうと言ってます。一般の皆さん向けのイベントは9月ぐらいにやろうと企画してます。また詳細決まったらお知らせしますので、楽しみにしていてくださいね。本年もよろしくお願いします!

昨年末に作った移動販売車グットラック。この車でいろんなところ行きたいです!


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