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aikoのサブスク解禁による “再”リリース

岡崎京子が「pink」で表現した“愛”と” 資本主義”をめぐる冒険と日常の話を、aikoは「キラキラ」と表現したのだ。
ここで、愛と資本主義は直感的に想像する通りの相反する概念では決してなく、ほぼ同一のものである。

それは凶暴で恐れるべき対象であり、今「あたし」たちが生きているのはそれらが蔓延る世界だ。
資本主義というのはネガティブな意味での現実、つまり「理想に向かって生きる中でぶつかってしまう壁」のことである。

羽が生えたことも
深爪したことも
シルバーリングが黒くなったこと
帰ってきたら話すね

つまり、「キラキラ」は愛がある現実、あなたのことを思い続けていても会えないままで、現実の時間である「悲しい日」だけが残酷にも流れていく様子が描かれている。

あたしができるのはただ離れずにあなたを待つことだけである。
でも、その待つことだけはたとえ世の中が終わってもやり続けてやる、というあたしの確かな意志があり、凶暴な恐れへの参加表明をしている。

そんなあたしの目が「キラキラ」しているし、
その目から見た世界もまた「キラキラ」しているのだろう。

サブスク解禁によって二度目のリリースが可能になった

今までサブスク系サービスに配信していなかった大物アーティストが続々とサブスク配信を解禁している。

ミスチルやサザンなど、もはやCDなど瀕死の状態に近い現代から20年以上前の、下手したらシングルCDが縦長だった時代の楽曲を改めて聴くきっかけが生まれている。

「ミスチル」、「サザン」はまだ自ら選ぶということができなかった自分の幼少期にカーステレオでずっと鳴っていて、日本で一番すごいアーティストだと教えてこまれていたが、それが間違いではなかったのは今となっては明白だ。

その答え合わせと同時に、リスナーとして、もしくはそれと無関係な触覚が変化している今では、新鮮な解釈とともに触れることができる。

新たな音楽との出会いは、①楽曲のリリース(それに伴うマーケティングも含む)によるアーティストの存在発信、②アーティストとリスナーのマッチング力学であるレコメンデーション(これについては前回のnoteで書いた)、③ライブやフェスといったアーティストとの密なコミュニケーション、がある。

サブスク解禁のタイミングで、リリース時のようなアーティストの存在発信が再び行われるという意味で、サブスク解禁は2010年代以降における再リリースである。

今回のaikoのサブスク解禁は、新曲リリースに合わせたものであり、それがきっかけでKing Gnu井口のラジオでカブトムシのデュエットがバズる、Mステの出演でさらに話題になるなどといった“マーケティング”の一環であるかもしれない。

しかし、リリースされた新曲の「青空」以外の楽曲も改めて「リリース」されたかのように、多くの人が改めて聴き、解釈し、沸いた。

良質な火種が生じれば、それはほぼ確実に広がって目の前に何度も現れる。

私にとっても、今回のサブスク解禁がaikoを聴くきっかけになった。
その中でも特に「キラキラ」という曲のメロディ、世界観、歌詞、すべてが凄まじいと感じた。

「キラキラ」の構成は“資本主義”的なつらい現実を映す

1Aメロ→1Bメロ→1サビ→2Aメロ→2Bメロ→2サビ→3Bメロ→3サビ
という構成の中で、最初の1サビと最後の3サビの歌詞は全く同じ歌詞である。

最後の3サビを聞いたときにこの曲の真意を掴むことになるのであるが、そこまでのストーリー展開がフィクションのような切ない現実に誘い込む。

1Aメロの歌詞は、ザふつうの女の子の恋愛話を描いた、ごくありふれた詞から始まる。

遠い遠い見たことのない
知らない街に行ったとしても
あたしはこうしてずっとここを離れずにいるよ

1Bメロでは、え、なんで!?離れろよ!会いにいけばいいだけの話だろw、とツッコミたくなるほどのそれである。

1サビでは、あなたに会いにいきたすぎて羽が生えた(?)のかもれない。
羽が何のメタファーなのか、このタイミングで少し考える。
深爪とかどうでもいいことだし、シルバーリングが黒くなることは滅多にないことではあるけど、まぁどちらも何でもないようなことだ。

この世がなくなってもあなたを待ってる。ここに来てすごい執着心。
これを愛と呼ぶのかはわからないが、風になってでも、つまり自分が実体としてこの世に存在しなくなったとしても待ち続けるというのは、この段階ではさすがに壮大すぎてしまう。

「悲しい日を超えてきた」というのは超えていくではなく、超えてきたである。
現在進行完了形であり、つまり昔から超えてきたが、今もそれが続いているのである。
この辺からじわじわと深みを増してくる。

2Aメロ〜2Bメロでは、あなたと会える希望はまだ消えてはいないのであるが、それが徐々に薄れていく様子が思い浮かぶ。
一日一日、その希望を確かめることでそれが薄れないように、いわば自己暗示をかけているような生活を送る。

友達との会話で、自然と励まされている気持ちになる程に思い悩んでいるのであるが、この悩みは必ずしもネガティブなものではない。
「あなたを好きということだけで あたしは変わった」という確信がそこにはある。

2サビには何か違和感があったが、aikoの「ボーイフレンド」の歌詞のサンプリングであることに偶然に気づいた。

雨が邪魔しても乾いた指先に残る
あなたの唇の熱 流れた涙が冷やした

「ボーイフレンド」では雨は止んで星がこぼれるのであるが、ここで「雨」が邪魔してくる。
「雨」はものすごく悲惨なものではないが、常に身近にあるような、会えない残酷さのシンボルである。

そんな状況でもあなたの唇の熱が指先に感じられるのであるが、涙によってその熱が冷やされ、徐々にその感覚を失ってしまうことを恐れている。

でも心臓が止まりそうなほど強烈な愛をもって、あなたのことを本気で考えていた「あの夏の日」を思い出すことでその熱を取り戻そうとし、希望の光を探すのである。

遠い遠い見たことのない
知らない街に行ったとしても
離れ離れじゃないんだから
あたしはこうして、、、

「離れずにいる」から、「離れ離れじゃないんだから」この1Bメロから3Bメロへの歌詞の変化は、希望の光がだんだん淡くなっていくにつれて、だんだん透明になって存在感すら無くなり風になってしまいそうな儚いあたしを想像させる。

そしてここまでのつらい現実の展開の果てに、最後の3サビに1サビの繰り返しが来ることで、この楽曲が伝えたい"愛"の輪郭がくっきりと現れ、その大きさを強調する。

「キラキラ」の3サビが伝える大きな“愛”

言うまでもなく、同じ歌詞で繰り返されることで耳に残ってしまうサビの歌詞がこの楽曲の主題を提示する。

羽が生えたことも

これはどう考えても現実ではありえないことであり、ただの冗談であるのか、夢で見たことなのか、ギリギリ想像できる範囲の何かのメタファーなのか。
いずれにせよ、あなたに会いたすぎて羽が生えて今にも飛び立ってしまいそうだけど、離れずにいるよということの強調であろう。

深爪したことも

最近、深爪したのはいつかと聞かれても思い出せるはずがない。
もはや深爪とか気にしたことがないほどだ。
別に痛くもないし、だいたい死ぬほどどうでもいいことである。

「羽が生えた」と対極にある、深爪をした時のような何気ない瞬間にもあなたのことを思っているからこそ、話したいことのうちの一つとして挙げられている。

この2フレーズで非日常と日常の二軸から構成される広大な面が広がる。

シルバーリングが黒くなったこと

経年劣化の描写であり、時間の経過を想起させるものであろう。
シルバーが黒くなるのは、銀が硫化することで、硫化銀の皮膜をつくってしまうかららしい。

この化学反応は随時進行するが、皮膜のできはじめは、指や布の摩擦程度で取れる。
つまり、いつも身につけているようなシルバーリングであれば黒くなりにくいのである。

もう随分前に、着けることがなくなったシルバーリングを久しぶりに出してみたら、黒くなっていたくらいのものであろう。
もしかしたら、「あなた」からプレゼントされたシルバーリングを大事にしすぎて、つけていなかったら黒くなりかけていたのかもしれない。
この詞は物理的な時間経過を表しているに止まらない。

この曲の核となる部分を最もキャッチーに、リズミカルに歌い上げる。

ここで、時間軸というもう1次元が追加され、上二つで構成されている面を空間に引き上げる。

このあなたに話したいことの空間の大きさを通じて、あなたに対する愛の大きさを表す。

資本主義のストーリー展開の終着点に、愛の大きさの存在を貼り付けてあるのだ。

再リリースが誘発する再解釈によって、コンテンツの価値は増幅する

aikoはこの楽曲に「キラキラ」というタイトルをつけた。
PVでは女の子らしい部屋で子猫みたいな動きをしながら、だだっ広い大きな草原の真ん中にぽつりとたたずみながら歌う。

冒頭の繰り返しにはなるが、「キラキラ」は“愛”と“資本主義”の冒険に出る「あたし」の力強さだ。
「キラキラ」という肯定を飛び越えた憧れのワードを使うことで、そんなあたしの背中を押してくれる気がする。

本当のところは何がキラキラしているのかなんてわからない。
あたし自身、そんな日々、愛されてるあなた、なのか。
キラキラは光で伝播する波のようなもので、羽、シルバーリング、瞳、なのか。

もしくは対象は行為なのかもしれない。
あなたを待っている日々がキラキラして見えるし、誰かを一途に思えることはキラキラしているし、恋するあたしはキラキラしている、キラキラしたあなたを空想しているのかもしれない。

解釈によって意味が生まれるものであるからこそ、違う時代の多くの人の解釈の対象として、投げ出すという意味で再リリースと言えるだろう。
さらには、それによってコンテンツが世の中に与えることのできる影響は増幅されうる。

この「キラキラ」という曲は、むしろ今の時代だからこそ、埋もれてしまっているキラキラを思い出させてくれる曲であるのかもしれない。

コロナウイルスであらゆるイベントは中止になっているし、自粛ムードで社会全体の空気がどんよりしている。
花粉症が本格化してきているのにマスクどころかティッシュまでもが売っていない現実がある。

でも、そんな“資本主義”と紙一重に“愛”は存在するのだ。

この曲がリリースされた当時とは異なる“愛”と“資本主義”であることは自明であるが、こんないま現在だからこそ、受け取るべきメッセージはあるはずだ。

サブスク解禁はコンクリート時代の木造建築のような、再解釈を誘発し、価値を増幅する契機となるような“再リリース”である。

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