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僕がホームレスだったときの話《後編》

こんばんは、サホユウダイです。
ガレージファクトリーという会社の経営をしています。

ちょっと日が空いてしまってすみません。なるべく毎日更新できるよう頑張っていきます。

さて今日は、「僕がホームレスだったときの話」の後編です。

ついに家を出ていくことになった僕は駒沢大学駅の近くに住んでいた高校の同級生の家に転がりこむことになります。

しかし、その家は1Rで5畳ぐらいしかない部屋で男2人で住むにはさすがに狭すぎたんですね。さすがに居候させてもらう身なので、なるべく家主に迷惑がかからないようにしてたんですが、1Rで男2人で住むというのは当然プライベートはないですし、だんだんとストレスが溜まってきた家主の態度がヒシヒシと伝わってきたんです。

さすがにこれ以上いると友達なくすな、と思ったので一緒に住み始めた3週間後に最低限の着替えだけ置かせてもらって僕は近くにあった駒沢公園で寝ることにしたんですね。

運がよいことに、そのときは4月の下旬。だんだんと暖かくなってきていて、外で寝ても大丈夫ぐらいの気温だったんです。

もうそこまできたらドレッドヘアを切って坊主に一度なりました。僕がなぜドレッドだったかというと、やっていたバンドがラウド系といううるさい音楽だったのにも関わらず、顔が強面でもないしごくごく普通の顔をしていたので、ピアスをあけたりドレッドにしないと迫力が出せないと思ってたからなんですよ。

なので少しでも音楽性にあった雰囲気をつくるために、顔中にピアスをあけてドレッドヘアにしてたんですね。

でも家もなくなり、さすがにそんなことは言ってられないということで可能な限りのピアスをとり、髪も切り、当時は最高で4つぐらい掛け持ちでバイトをしていました。バーテンダー、メキシカンレストランのウェイター、音楽スタジオ、そして日本棋院という市ヶ谷にある囲碁の本部ですね、そこで囲碁教室の受付とかをやっていました。

なるべく暇な時間がないようにLIVEやバンド練習以外はすべてバイトを詰め込みました。

お金を貯めて、家を借りるための資金を稼がないといけなかったんですが、バンドをやるにもスタジオ代とかLIVEするにもお金がかかるし、ちょうどレコーディングもあったり全国ツアーもあったりでめちゃくちゃお金が必要だったのでそんなに働いても全然手元にお金が残らなかったんです。

その前に追い出された家の滞納していた3ヶ月分の家賃36万円を分割して返さないといけなかったし、本当にお金がなかったんです。

少し余裕が出てくると渋谷の漫画喫茶に行けば6時間で980円パックというのがあり、シャワーも借りれたのでそこに泊まっていましたが、基本的には駒沢公園のベンチで寝ていました。

すごく広い公演だったのですが、夜中といってもたまにカップルが歩いているんですね。僕はなるべくひっそりと寝ていたかったので、公園のなかでも明かりが届かない暗いベンチで寝てたんです。

そこにカップルが来て僕に気づかずに近づいてきて彼女の方が座ろうとしていたベンチに僕が寝ていたことにビックリして「きゃぁーー!!」とか言うわけです。

スヤスヤ寝ていた僕はそれを聞いて飛び起きるんですが、すぐさま状況を理解し、申し訳なくなってそさくさとその場を離れてまたひと目のつかないところに行って寝るんですね。

雨の日は明るくても屋根のあるところで持ってた上着をかけて寝るんですが、やっかいなのが夜中に急に降り出す雨。バイトして疲れて爆睡している僕に夏とか土砂降りの雨が降ってくるんですが、それに気づいたときには僕はもうびしょ濡れだったりするわけです。

そのときが一番つらかったかもしれないですね。全身濡れて寒いし、目が冴えちゃって寝れないし、次の日バイトもあるから風邪なんてひけないし、もう必死でした。

幸せなことにホームレスのときは風邪ひとつひかなかったのは、気が張ってたからかなぁとか後になって思います。

バンドメンバーのギターが面白がって一日同じ体験をしたいって言って僕が普段寝ているベンチに2人で寝るわけですけど、一日で風邪ひいてましたからね。

しかも次の日がレコーディングでギターパートの録音で、鼻水をズビズビいわせながら録っていたのですが、なんか申し訳ないなぁって気持ちになりました。

全国ツアーのときは、機材車に乗って全国を回るわけなんですけど、最高に楽しかったですね。車で寝られるし、寂しくないし、何よりLIVEが楽しかった。けど、それも終わり東京に帰るんですが、車で静岡に差し掛かったあたりから「あぁ、またオレはあのベンチで寝る日が始まるんだ」ってすごく憂鬱でした。

公園に付き、またベンチで寝るわけですけど、「昨日まで楽しかったなぁ」とか思い出しながら寝るわけですね。

誕生日は6月なんですけど、さすがにその日はちょっと贅沢したい、ということでバイト先のジョナサンでいちごパフェを深夜0時を回ったときに注文して食べました。

これがめちゃくちゃ美味しかったんですね。「これは一生忘れない誕生日だわ」と思いながら味わって食べてました。


そんな生活を続けていて、前の家賃も返し、家を借りるお金も貯まったのでやっと家を借りるところまできました。

あぁ、この話をすると「親に援助を頼まなかったの?」ということを言われるんですが、僕は父親が国家公務員で母親も結構堅い仕事をしていて小さいときから凄く厳しい家庭のなか過ごしてたんです。

親としては長男である僕に大学に行ってほしい思いがずっとあったんですけど、僕はバンドをやりたくて東京に出てくるときに結構壮絶な喧嘩を高校3年のときに1年近くしていて啖呵きって出てきていたので、親に助けてもらうっていうのは僕の中でなかったんです。

なので、自分ひとりでやりくりするしかないので、ホームレスしながら過ごすことにしました。

新しい家を借りるときは正直震えました。もうメジャーデビューしたかのような嬉しさでした。4月1日から10月26日までの約7ヶ月間、冬が来る前に家が借りれてよかったと心底思いましたね。

そしていざ借りてみると、もう初期費用だけで全額払っちゃったのでもうお金が全然ないわけです。なので布団も買えなければカーテンも買えない。カーテンないから向かい合ってるマンションのベランダから僕の部屋の中は丸見えなんですよ。それでもよかった。屋根とお湯があるだけで僕はめちゃくちゃ幸せだったんですね。

特にお湯!!日本は裕福な国で屋根があるところはちょっとしたトンネルであったりとか公衆トイレとかどこでもあるんですけど、お湯ってなかなか手に入らないんですよ。

シャンプー使っても水で洗うと髪の毛がキシキシしちゃって全然スッキリしないんですね。なのでお湯が自由に使えるこの嬉しさは本当に何事にも買えられなくて、映画『ショーシャンクの空に』のパッケージのような気分でした。

以上が僕がホームレスだったときの話です。
結構濃い話ばかりだったと思うんですが、いかがだったでしょうか。

感想などありましたらコメントなど頂けると嬉しいです。

最後まで聞いていただき、ありがとうございました。
サホユウダイでした。それではまた。そして、おやすみなさい。

最後までお読みいただき、ありがとうございます(`・ω・´)ゞ共感、反論なんでも結構です。SNSなどでシェアして頂けるととても喜びます。