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専業主婦でも、家庭の経済は「自分事」である。

全ての家庭を豊かに幸せにし、
より平和な世界を作っていく、
「現代版あげまんのすゝめ」提唱家、
古川裕子です。


「専業主婦が豊かになるのは
メンタルと夫婦協調による部分が大きい」
と、書きました。

メンタルと夫婦協調、
どちらも大切だし、連動します。
そのことについて書きます。


これまでの文章に
「ワンオペ育児」という言葉が度々入りましたが、
「そこまでワンオペだった?」
と、先日夫にツッコミをもらいました。

いやぁ、たしかに。

前の記事でも書きましたが、
夫に一緒に家事育児をやってもらうために、
職場の近くの横浜に、居を構えたんです。

この作戦は我々には大正解で、
長男の幼稚園のお弁当は、
卒園までの2年間、
毎朝夫が作ってくれました。

(年中さんになる直前に転入園したので、
幼稚園生活は2年ちょっとでした。)

幼稚園で年1回作る「お弁当ありがとう」の
メッセージが入った工作、

うちの長男の作品には
「パパいつもありがとう」と、
タイトルに「パパ」が入っていました。

長男を朝幼稚園に送るのも、パパ。

朝は貧血と低血圧と前夜の夜間授乳で
ほとんど活動できなかったので、

朝の夫の家事育児の遂行が無ければ
我が家はままならなかったです。

お昼休みに帰って来てくれることもありました。
ランチがてら戻り、
ちょっと次男の相手をしてくれる間に、
私がお昼を食べたりして。

帰りも早かったです。
仕事が終わったらすぐ帰って来て、
お風呂を用意したりしてくれました。


私にとっては
夫不在の昼間のシンドさばかりが記憶に残り
「ワンオペ育児」と脳内タイトルが付いてましたが、
実際の世の中の「ワンオペ育児」と比べたら、
全然ワンオペじゃ無かったです。

私には1人でシンドさに耐える生活は、
できません。
それがわかってて、
このような生活形態を創ってきたわけです。

今でも、
夕飯の片付けは夫の担当で、
仕事終了後に、お風呂を用意してくれたりもします。


私たち夫婦が、
こんな風に協調して生活してきて、
今でも協調してやれているのは、

我々はどうしたいか?を
都度、一緒に話し合って来たからです。



たいていわたしは、

「今こんな課題がある、
これがつらい、
これがこうだったらうれしい」

と、課題と理想の両方を
普段な会話の中で普通に夫に伝えます。

例えば、
「低血圧で朝は起きられない、
 長男は早く幼稚園に転入させたい、
 でも朝のお弁当作りはできない。

 希望の幼稚園はお弁当が必要だから
 給食と園バスのある別な幼稚園を検討するべきか?」

と、わたしが悩んでいる、
と夫に話すと、

「気に入った幼稚園に入れることを優先しよう、
 お弁当と朝の送りはオレがやるよ。」

という感じで、
夫が解決策を出してくれます。


私が課題と理想を話す
→夫が解決策を考えてくれる

私たちの場合、
大抵はこのような形です。

夫に何かお願いしたいときは
「◯◯してほしい」と具体的に話しましょう

という話をよく聞きます。

確かに、その方が伝わりやすく、
相手を動かすという点では有効だと思います。

私も「片付けよろしくね」で済ますこともありますし。

でも、
「解決したい課題が何なのか?」
「今私は何を考え、何に悩んでいるのか?」
それを共有しておくことは、
けっこう大事なことだと思っています。



「貧血で朝は動けないんだけど、
 朝の家事育児をどうにかしたい」って、
そういう話し方でもいいと思っています。

「あぁそうなんだ」
で終わっちゃう場合は、

「それでね、解決策がわからないから、
 一緒に方法を考えてほしいの」
って、付け加えたらいいと思うんです。

私は疲れ過ぎて思考停止しているときは、
「どうしたらいいかわからないから、
 どうしたらいいか考えてほしい」
って、そのまま伝えます。


うちの場合、
そんな風に課題を共有しながら
一緒に解決策を考えてる習慣があるからか、

結婚当初から、
夫は家事育児も自分事として捉え、
「妻を助ける」のではなく、
「一緒に家事育児」しています。


結婚してすぐに長男を妊娠したのもあり、
同居してからずっと家事も育児も一緒にやってきましたが、
実は一時期、それが抜けたことがあります。

タイの極貧期です。


「メイドさんがいるんだから、いいだろう。
 オレにはとにかく仕事をする時間が必要なんだ。」

これが、当時の彼の言い分でした。


私は当時、次男妊娠中で
長男のときと比べてつわりも酷く、

切迫早産でしたが
夫に話しても重大さに気付いてもらえず、

安静にしてると「何もしてない」と言われ、

長男が膝に飛び乗って膝を脱臼し、

つわりでコーヒーセミナーもやれないので
収入も無くなり、、

毎日ただベッドに横になりながら、

「私は長男とお腹の子だけは絶対守る!!
 お金よ、降って来い!!
 日本に帰れるチケット代だけでも!!」

と、心の中で唱えていました。

ありがたいことに、
実際にお金が降ってきたお話は、
また後日書くとして。

タイの極貧時代の話をこんな風に書くと
めちゃくちゃ酷い夫のようですが、
当時は、彼も必死だったのです。

彼は、
「オレ1人だけが頑張ってる」と、
家族を守るために、
孤独な戦いをしていました。

実際は
妊婦さんは生きてるだけで赤ちゃんを守っているし、
それぞれが違う努力をしているだけなのですが、

その頃の私は、
「私は理解されない」
と思い込んでいたし、

「夫が私を幸せにしてくれている」と、
自分の幸せを夫に依存していたのです。

「夫が私を幸せにしてくれている」
という考えは、
一見謙虚な考え方のようですが、

このような考えの元で夫に接すると、
夫は「オレ1人が頑張らないと」と
孤独な戦いをするようになるのが、
想像できますでしょうか?

当時の私は、
とにかく夫に仕事で成功してもらいたくて、
「あなたなら大丈夫」って、
一見耳当たりの良い薄っぺらな応援文句で、
彼に接していました。


当時の私は、
「夫は好きでこの仕事をしているから、
 彼の仕事は私には関係がない」
と思っていました。

これって平たく言うと、

好きな仕事をさせてあげているし、
成功するかしないかはあなた次第、
その上で、私を幸せにしなさい。

と言う感じです。

こう書くと非常に感じが悪いですが、

「この人は好きでこの仕事をしているから、
 私には関係ない」

という考え方は、
一見理解があるようで、

実は「家庭の経済」と言う観点では、
非常に軽薄で責任に欠けた考え方です。

私が家庭の経済の源泉である夫の仕事を、
「自分事」として捉えていなかったので、
夫は孤独な戦いをしていたのです。

これ、
「自分事」として
家事育児をしていた夫の行動と比べると、

夫の仕事を妻が「他人事」として捉えることが
どれだけマズイことか、
想像つきますでしょうか?

孤独な戦いをしていると感じている夫は
もちろん家庭のことをやる余裕も無くなり、
仕事のために時間を作るなら家庭の時間を削ろう、
と考えるようになります。

メイドさんもいるし、いいよね、と。

でもメイドさんは24時間いるわけではないし、
育児のピークタイムは、
むしろメイドさんのいない朝と夜なのです。

そんな話も
伝えても彼の耳から頭には届かず、
私は伝える努力すらしなくなり、
私自身もだんだん孤独な妊婦になっていきました。

この頃の夫婦仲が一番最悪でしたし、
経済の状態も一番良くなかったです。


このあと、
私が「降って来い!」と願っていた
お金の一件で、

ある日突然、私達の目の前に
状況を改善させる道が開けるのですが、

そんな道がひらけたのも、
私の無意識の中には
ちゃんと楽園計画があったからだと思います。

この話はまた追々書きますが、
気になる方は過去記事のコチラをどうぞ。
(クリックで記事に飛びます。)


タイの会社を畳み、
日本で一緒に再出発をするときには、

「夫と一緒に家庭の経済を建て直す」

そんな意識でした。


夫の職探しにも率直な意見を出して
一緒に就職先を検討しました。

この話も、おいおい。


「夫の仕事」も、
「家事育児」のことも、

お互いが自分事として捉えると、
夫婦の会話が格段に増えます。

お互いが仕事仲間であり、
同士になるからです。

「仕事」も「家事育児」も、
「相手の話を聞く」のではなく、
「共通の話題」になります。


この辺りから、
私達の経済もグングン上向き始めます。



あなたが専業主婦の場合、

「夫の収入を自分の収入として捉える」
というのを、まず意識してみてください。

彼にだけ仕事させて申し訳ないとか、
彼に働いてもらって幸せにしてもらってるとか、
彼は好きな事やってるから自分には関係ないとか、

極貧時代の私みたいな考え方、
していませんか?

もしそうだったら、
それは貧乏思考のモトなので、
「私はどんなふうに豊かになりたいか?」
ちょっと考えてみてください。


ついつい貧乏思考で考えてしまう場合は、

それって自分のどんなところから来ているのかな?と、
自分を見つめ直してみてくださいね。




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