見出し画像

木曜日限定:おばあちゃんの洋食

90歳を超える祖母は、認知症や入院が重なり今は施設で暮らしている。
私が結婚して家を出る数年前までは一つ屋根の下で暮らしていたのだが、祖母は料理上手だった。本当に。

平日の木曜日の夕食は、祖母が作ってくれる日と決まっていた。
昭和一桁の戦前生まれだったが、とにかく洋食が上手だった。もちろん和食も美味しかったのだが、木曜日の朝、時には前日から仕込んでくれる洋食は、絶品だった。

洋食上手なわけは、祖父が関係していると聞いた。山奥育ちの祖父は、父親を早くに亡くしたので、母親はひたすら裁縫の内職で家計を支えていた。そのため炊事はすべて江戸後期生まれ祖母の担当で、質素な煮炊き料理しか食べたことが無かったらしい。大学に行くため町に出て、寮で出されたコロッケを初めて食べ、「こんなうまいものがあるんか!」と感動したそうだ。その経緯があり、祖母と結婚してからは、ことあるごとに洋食屋さんに連れて行っては、「この味を覚えて作ってね!」ということで、祖母は言われるがまま、一生懸命洋食の味を覚え、レシピを調べて勉強した、ということだった。

そんな特別な祖母の作る木曜ごはんの中で、私が好んだメニューをご紹介したい。

野菜スティック

ニンジン、きゅうり、セロリをスティック状に切っただけ。
マヨネーズのようなディップソースもあったが、ひたすら野菜だけ食べるのが好み。大人が使うような側面に細工がしてある綺麗なグラスに、3種の野菜が入っている。

いかセロリ

通称いかセロ。
皮が付いたままの烏賊と、スライスしたセロリを片栗粉にまぶし炒める。お酒の風味、塩コショウでシンプルな味付け。烏賊の肝も少し入っていたのか、うまみが凝縮。
早めに完成され皿に盛られ、ラップがかけられている。食事の際にレンチンするも、必ず烏賊が爆破する。
一般的には中華ともいえるが、なぜか私の中では洋食のカテゴリー。

カレー

前日から下処理されたブロックの豚肉や、野菜、市販のルーで煮込まれたシンプルカレー。朝から玉ねぎを飴色になるまで炒めていた。
一晩置いてまろやかにして翌日食べたいが、全員お代わりをし過ぎてその日中になくなることもしばしば。
小学校低学年までは甘口を別で作ってくれていたが、3年生になってからは大人と一緒の中辛に。その際、辛みをまろやかにするため生卵をトッピングしてもらい、それ以降贅沢の極みのカレーの食べ方となる。

オムレツ

特別なメニュー。
両親が結婚記念日で外食する際、私と兄と留守番する1年に1回だけ出される。(例外的にこの日は木曜日ではない!)
合い挽き肉、みじん切り玉ねぎ、小さな角切りジャガイモを炒めた具を、ふんわり卵で包み込む。オレガノ等のスパイスがたっぷり。お好みでケチャップをどうぞ。
小学校3年生の時に初めて食べ、その美味しさにあまりにも感動し、両親が帰宅するや否や、翌年の結婚記念日も外食してほしい、と懇願した。

ちなみに祖母の料理はある日突然封印された。
いつも通り木曜日の料理を作ってくれたのだが、その日のメニューは大皿に盛られた肉の香味焼きだったと思う。お腹を空かせた兄が取り分けようとした際、不審な顔をした。肉の下に敷いてあるドリップシートが付いたまま調理されていたのだ。私たちも驚いたが、祖母はこんなん食べたらあかん、と料理を捨ててしまった。
翌週から、本人は年で目も見えなくなってきたし、立ち仕事も辛いからと、台所に立つことを辞めてしまい、二度と作らなくなった。あの失敗が祖母にとっては衝撃だったのだと思う。

大人になってからも時々食べたくなって、自分で作ってはみるものの、あの味が出せるのは数回に1度程度しかない。
元気なうちにレシピも聞いたのだが、あまりちゃんと教えてもらったことは無い。いつもこう煙に巻かれた。
「あんたは美味しいもんを食べてきたんやから、料理も上手や。手際もいいし、なんでも作れるよ」

祖母ほどおしゃれで凝った料理は作っていないし、ほとんど我流で時短な料理ばかり食卓に並ぶけど、「私は美味しい料理を食べてきたし、手際もいいし、料理上手!」という揺らがない自信が私の根底にしっかりある。どんなに疲れて台所に立っても、目指す味が分かっているから、迷うことは無い。

祖母の作ってくれていた木曜日の洋食が、今も私の活力になっている。

#元気をもらったあの食事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?