見出し画像

イラストレーターが【選挙ポスター】を絵解きしてみるー2020東京都知事選・都議会議員補欠選挙(2)

ほぼ単なる趣味になってきたこの「選挙ポスター」絵解きシリーズ
今回はお題目が多すぎて絞っても3部構成になってしまいました…(白目)
他の2編もぜひご覧ください。

(1)張り替えられた選挙ポスターたち
(2)選挙ポスターじゃないのに「小池候補」を思わせるポスター!?←イマココ
(3)北区都議会議員補欠選挙のポスター

今までのnoteよろしければあわせてご拝読ください。
ということで、マガジン作ってしまいました。

毎度のことながら、政策的な批判や批評では一切ありません。また「なぜ当選したか」ということを言いたいのでもありません。あくまでデザインや視覚的にどういう「メッセージ」があるのかを解いていくという主旨です。

「炎上」した選挙ポスター以外のポスター

あまりSNSでの「炎上」は取り上げたくないと思うものの
選挙におけるポスターの位置づけや「広告」の「好感度」という意味で
かなり良い「教材」にもなるのかな、と思ったので書いていきます。

今まで「選挙ポスター絵解き」シリーズは「伝達力」や「ブランド力」というポスター自身の持つ「機能力」を選挙ポスターに見てきたのですが
今回は選挙にまつわるポスターから「広告の受容され方」「受取り手の変容」みたいな部分を見ていきたいと思います。

さて、SNSで問題になったのがこちらのポスター

画像1

シルエットがまさに小池候補で「公職選挙法ギリギリのやり方で潜り抜けたようなポスターを作って」ということで一部から非難がありました。

公職選挙法では「特定の候補者名」を使用したポスターについて任期満了6ヶ月前から禁止されています。特定の個人が類推されるようなものは禁止、とされているので写真も同じくだめでしょう。
ただ上にあげたポスターが類推されない…とは微妙なのですが、おそらく確認団体のポスターとして使用が認められたものであると思われます。

どちらにしても証紙が右下に貼ってあるので、選挙管理委員会より認可されているポスターであることは間違いがなさそうです。

(2)候補者の氏名・後援団体の名称を記載した政治活動用ポスター
任期満了の6か月前からは、選挙運動性がなくても、個人の氏名等が類推されるようなものは禁止されています。 (公職選挙法143条16)
(3)候補者の氏名を記載していない政治活動用ポスター
掲示責任者及び印刷者の氏名及び住所を記載しなければ掲示できません。
(5)確認団体の政治活動用ポスター
選挙運動期間中に特定の政治活動を行うことが認められた、政党その他の政治団体が掲示するポスター
確認団体とは、決まった数の立候補者を擁立して申請を行い、確認書の交付を受けた団体です。

それを踏まえて「選挙ポスター」と比較してみましょう。

画像2

構成はだいぶ違うものの、8割のテキスト・イメージカラーという共通点が多くあります。
というよりも
「候補者名」と「候補者写真」という部分以外はほぼ同じ内容です。
しかも「候補者名」の代わりに「女性初の東京都知事」という文言が、「候補者写真」の代わりに「シルエット」が入っており、誰を指すかはわかります。
これが「個人の氏名等が類推されるようなものは禁止」を回避しているのかは一般的な感覚としては正直微妙ですが
認可されているということは、ギリギリセーフなラインということでしょう。
その上で受取り手が「選挙ポスターと同じ内容を訴えている」と見ることもできるものです。

このことは特に小池候補をよく思っていない有権者にとってとても悪い印象を与えるものでした。
規制の内容は少し検索すればわかります。それをギリギリ潜り抜けているという事がまず良い印象を与えません。
またズバリ言いたいことを言うのではなく「誰を想像しても自由です」という建前で煙に巻いたように感じる物言いも「良い印象ではない」でしょう。
良い印象のない積算に、もともとの心象の悪さが重なったことで、周りを巻き込んでSNS上に悪印象の渦を作ってしまったのではないかと思います。
このポスターを非難した投稿で使われた「脱法ポスター」という表現がそういう印象を物語っていると思います。

合法かどうか、選挙管理委員会が認めている事実がある…ということが、ここでは主眼ではありません。
発信者が「どんなメッセージを伝えたかったか」に対して「無理矢理合法化した」と一般の人々に思われた結果になってしまったこと。
それは、選挙でのポスターの「メッセージ」の伝わり方として注目に値します。

特定の候補者を印象付けて有利にしたいはずのポスターが、とても印象の悪い「メッセージ」を持ってしまうこと
これは結構最近の「広告」を考える上でよく起きる現象のように思っています。

他候補者の似た手法

ではこういった手法は小池候補だけの戦法であったのか…
実はそうではなくて、他の候補も似たような手法のポスターを掲示しています。

次の画像は左が大田区都議会議員補選の「松木かりん候補」を思わせるもの
右が東京都知事選の「宇都宮けんじ候補」を思わせるものです。

画像3

ではそれぞれやはり選挙ポスターと比較して見ましょう。

画像4

松木候補の選挙ポスターとの比較です。
主張する政策内容としては別のものがそれぞれ書いてあります。
しかし、シルエットを記載している点や年齢を掲載してアピールしている点などは共通点があります。
大田区の都議補選ということで候補者も地域も限られているので、年齢と「女性議員+1」だけでも松木候補を示すと十分わかります。
実は大田区の都議補選は元都議の鈴木氏が有力候補で62歳でした。その点で年齢を打ち出しているのは理解できます。そこで両方のポスターの大きい共通点の一つとなっているのでしょう。

画像5

宇都宮候補の選挙ポスターとの比較です。
こちらはシルエットの記載はないものの、一貫して書かれている「正直、公正」というキャッチフレーズや「弁護士」といった職業を記載しています。
その共通点で「類推」を全くしないものかというと、そうではないと思われます。

どちらの例を見ても、どの候補を指しているのかは選挙公報などを確認している人であればすぐにわかる内容です。
先に小池候補で見たものと同様に、一般的な感覚で見ると「個人の氏名等が類推されるようなものは禁止」をクリアしているのかは疑問がある、というわけです。
小池候補だけSNSで取り沙汰されていたのは、現職でもありやはり注目度が高かったということの裏返しなのでは?と(今になると余計に)思ってしまいます。

ということで、今回の選挙戦でこういったポスターはそれなりに他の候補者も使っていました、ということは確認できました。

2019年埼玉県知事選との比較

では、今回の東京都知事選や都議会議員補選だけでこんなポスター掲示がされていたのでしょうか。

実は同じようなポスターを埼玉県知事選で私は取り上げています。(若干リンク先noteでポスター規定に対して無知な発言していますね…)
つまり以前も似たようなポスターはあったということです。(そもそも結構慣例になっていたのじゃないかな〜と個人的には思ってます)
埼玉県知事選の時のポスターがこちら。

画像6

実はちゃんとポスターを読み解くと、今回の都知事選でのポスターと決定的に違う点があります。

画像7

もちろんどのポスターも「一票を」と促す文言は入っています。
埼玉県知事選の「大野候補」のポスターは「知名度か政策か」という「選択」を促しています
しかし、都知事選の2候補のポスターは「この人を都知事に」と「要求」しているんです。
もちろん埼玉県知事選は一騎討ちだったということでこういった表現が可能だったという側面はありますし、もちろん「誘導された選択」ではあります。
同時に書かれた「55歳新人へ一票を」が要求とも取れます。

それでも一度「選択」を促されると受取り手の印象が全く違います。
実はその点を埼玉県知事選の絵解きでも「意見広告」のようだと書いています。

ポスターを見た時に
自分に選択する余白が残っていて、それをきっかけに考えさせることと
考える余白もなくこの人を選んで欲しいと言われることでは
そのメッセージの伝わり方が違うのです。

こういった「この人がふさわしいんです!」とある種「押し付けられる」ことは
主義主張の異なる人にとって「不快」である
ということ。
選択肢があると「まぁ私はこっち選ぶけどね」で終わり受け取り側にも余白が生まれます。

寛容さのないメッセージは、相手にも寛容さを与えないということなのではないでしょうか。
寛容さのないメッセージに耐えかねた人々が、寛容さのない反応として、SNSという負の感情が大きくなりやすい場所で一気にあふれだした。今回の投稿を見たときに、そんなふうに感じました。

何が足りなかったのか・今後の展望

非難された原因を探って
「目立つ候補者だったから」なのか
「選挙ポスターそのもの」と似ていたからなのか
「価値観の押し付け」だったからなのか
このあたりは論議してもあまり建設的な回答は出てこないと思います。

とにかく一定のあまりよく思わない人が「不快感」を抱いたことは間違い無いのです。
このことは選挙にしろ広告にしろしっかり認識しておく必要があるのではないだろうか、と私は思ったのです。

無意識に印象付けるような手法に気づいた人たちが、特定の手法の広告やポスターに嫌悪感を抱くようになったということです。
WEBやメディアで繰り返し流れてすり込みされるような広告
とにかく「これを見ろ!」「わたしを見て!」「こうするのがいい!」などの広告にあふれていて、それに辟易していることも関係しているのではないかと推察しています。

ただただ「名前を売れば支持してくれるだろう」という情報提供側の意識と
実際の有権者や消費者の意識にはどんどん乖離が生まれていると感じます。
「何をやってもいいから注意を引いてとにかく覚えてもらう」なのか「ちゃんと向き合って『支持』をしてもらう」なのかという「どこに目標を置くか」です。
広告でも選挙でも何かメッセージを伝えていくには、自分たちがよりよくなっていくには「どうしたいのか」をしっかり見据える必要があると私は感じています。

何をやってもいいから注意を引きたい!という浅い発信は、もうほとんど届かないんですよね。(ハッシュタグでの宇都宮餃子ツイートの件もそうですよね)
むしろ「嫌悪感」すら抱かせてしまう。

「どう伝わるか」「どう伝えたいか」をしっかり考えた上で、誠実な「支持される発信」が求められているということ。

情報を受信する側にそういったリテラシーが形成されつつある。
特にSNSでは敏感で、ここでとりあげたポスターが非難をされ、浅はかなハッシュタグに嫌悪感がすぐに拡散されていく。情報がどういう意図でどういう性質かというのはすぐに見破られてしまいます。

だからこそ選挙におけるポスターも「法律ギリギリの潜り抜けた訴え方」が
「今まで良かった」とか「誰でもやっている」とか、そういう理由で
今も支持されるということはないのです。

むしろ、有権者や消費者の意識が変わったことをしっかり認識した上で
どこでどういう情報発信をするのが「支持を得る」のかを
今、選挙としても候補者としても変えて考えていく必要があるのでしょう。

もちろん「広告」もおなじだと日々思っています。
ただ注目をされるだけのことが本当に良いのかどうかは、しっかり考えなければならない。
「誠実な支持される発信」とはどういったものなのだろうか
それをしっかりと考えていくことが大事なのでしょう、と自戒をこめて。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。