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感受性を守れなかったばかものの話

ようやく自分の感受性が生き返ってきた、息をしてきた
と思えるようになったのが、ここ2〜3週間のこと。
長かったし、年明けからここまでが一番苦しかった。

これは長い独白になります。

■私の心はことばで殺された

こうやって書くと、まるで人のせいのように思うけれども
このタイトルでも引用させてもらった茨木のり子さんの詩にある通り
「自分で守れ」
なんですよね。それができなくなってしまったできごとがありました。

もう約3年も前の、4月の終わりだったと思います。
それは会社でのできごとでした。
その人のことは見知っていたのですが、同じ仕事をするのは初めてで、ましてや自分の上司になるとは思っておりませんでした。ただあんまり印象は良くなかった。

4月、上司はミーティングのあと一人残るように私に言いました。
そこまで酷い仕事もしていないし、まぁかと言ってすごく貢献しているわけでもないので、一体どんな話をされるのかも全然想像がついていませんでした。

「つかはら、仕事で怒りすぎなんだよ、二度とやめろ。お前のためにならない」

その一言で私の心が死ぬなんて、上司はきっと思ってなかったんだと思います。
サラリーマンとしていつでも冷静に淡々と仕事をするべきだというのはわかります。
迷惑を被った、連絡と相談をしてほしい、何で言わなかった、と話したことを例にとってその上司はずっと私を注意し続けました。

その瞬間で、何を思ったかを正確には覚えてません。
強烈に「怒る」ことをやめろと言われ続けた、と覚えています。

■そして何も感じなくなった

その5月から一気に心身症の症状が悪化し、通院と服薬がないと会社に行けなくなるまでになっていました。
仕事は企画開発だったので何かを生み出さなければならないのですが
ゴールデンウィーク明けから「何ひとつ思い浮かばない」という状況に陥りました。

その時点で何が起きているのか、自分でわかってなかった。
でもよくよく思い出してみて「怒り」を封じたせいで、他の感情も失っていた。
何がおもしろくて楽しいか、自分の心が動くのか、もはや全然わからない。
そうなると、A案とB案どっちが楽しくて売れるのか、みたいな判断ができない。

あとからこの記事を読んで本当に自分に起きたことが「そうだった」と確認できたように思って救われました。

伝える仕事。ーほぼ日刊イトイ新聞 第7回「思う。」
https://www.1101.com/takataakira/2017-08-23.html

生き馬の目を抜くように、
感情を捨てればうまくいくと思っている人は
あんがい多いんですけれども、
きっとそんなことはありません。人の行動にはつねに、
前提にある、言葉にならない、
「感じる」や「思う」が、つかず離れずある。(糸井氏)

「感じる」をなくしてしまった私は何もかもできなくなって心身症というか「うつ」状態になり本来なら「動けない」状態になってしまっていました。
もうまったく、一切気付いてなかったんだけれども。

■感情のないまま仕事を続ける

その年の年末ごろ、事業部の忘年会で色んな方に声をかけられ
「辞めると思われてる」「仕事に詰まってるのバレてる」と察しました。
まぁ、あまりの手抜き仕事っぷりにチーム長(↑の上司より上の立場)に直接注意されるくらいのレベルの会議資料とか平気で出してたので。笑

その時、事業副部長から言われたのが
「ウチの会社じゃなくてもいい、心からやりたいと思うことをやってほしい」
その心がなくなっちゃってるんだから、そんなやりたいことなんて無いに決まってるじゃんね。

ひとつ転機になったのは、別チームのチーム長が転職するという話で驚愕し
そこから「何の足枷もなく合否とかも気にせず好きな仕事をするなら何をやる?」とランチタイムの話題として盛り上がったこと。

ぼぅっと考えて、間もなく「イラストレーター」と答えが出ました。
そもそもイラストレーターになるのに何か足枷があるんだっけ?と思ったのが始まりだったように思います。

もやもやと何かを変えなきゃと焦ってきていました。

■仕事を辞めようと思って気づいたこと

2月の人事発表で4月の組織変更を見て、上司が変わらなかったら即辞める、上司が変わったら6月のボーナスで辞めると決めました。
どちらかというと、もやもやと焦ってたからというよりも、上司と合わなさすぎてその上司と一緒にもう1年は絶対に無理だと思ったからなのですが。

ただ出た結果が…4月の組織では上司は変わるんだけど、6月には上司が戻ってくる&6月から自分がずっとやりたかった仕事に挑戦できる。
というなんていうか生殺し判決みたいな人事発表で…

色んな人に相談して「あと1年で辞める」と決めて、チーム長にも6月にその事を告げ、さらに翌年の3月で仕事を辞めました。
ラスト3ヶ月、上司と会話したのって本当に片手くらいの回数だったと思います。

4&5月だけ、上司として面倒見てくれた方がいなかったら1年も保たなかった…
その方は、人の適性や何を目指したいかとかヒアリングや性格、作ってきたものの分析をしっかりしてくれて
「つかはらの作るものはこういう特徴で強みはここで、だからここを頼りたい」
としっかり伝えてくれたんです。
企画開発の自信というか、そういうものはここで取り返したようなものでした。

あとは死にそうにやる気のない中、唯一デザインが楽しいと思えた2月発売商品
(まぁ、それも意見の違う例の上司の話が全然わかんなくて嫌になってたけど)
その商品を色んな人に直接声をかけてもらって褒めてもらったことも大きかった。

でも、その商品の良さが自分では全然わからなかった。

そこで初めて気付くんです。
自分の「楽しい」が評価されることに。
楽しいって何だろ?って思ったら、感情を殺して何もかも死んでいたことに。
いいものを作る時の感受性が鈍っていることに。
ほめられた「よさ」を感じる心がなくなっていることに。

ゾッとしてスマホの写真を眺めていたら、2年前(上司変わる前)までの写真と今の写真との面白さの違いにびっくりしました。

上司の一件の前

そしてその上司の一件のあった後

下手か。自分ではかっこよく撮れてると思ってるのが怖い…

感情が、感受性がなくなってると気付いて
自分がなりたいものが「感受性を売っていく」みたいな仕事でもあることに恐怖を感じずにはいられませんでした。

■イラストレーターとして

描くこと自体ができないというより、
自分は何を描きたいかとか、何がしたいかとか、そういうことを聞かれると、たちどころに答えられなくなるのを感じていました。

ただ描くっていう行為は本当に楽しいと思えています。それはずっと。

結局、何かを「感じる」から始まることが全然できなかったんです。
何が楽しいか、何を綺麗と感じるか、何で感動するか
全然わかんなくなっていました。

それどころか、どちらかというと
何が得意で、何ができて、何のスキルを持ってて、何をやってきて
そういうものが必要なのだと思っていたので
「感じる」に焦点を当てられてなかった。

そんな状態のままイラストレーターの活動を始めて半年経って
「絵を描きたい」以外のやりたいことがわかんないことに気付いて(遅い)
年明けから本当にずっと「自分のやりたいこと」「自分の描きたいもの」を考えに考えていて、本当に迷って迷って、それでも答えがなくて。

自分の内側で出口がない迷路に入ったみたいでした。

■生き返った

救われたのは人の言葉でした。
「自分の世界を作ればいい。描いてて楽しいものを描こう」
そう言われたことで何か憑き物が落ちたようでした。

「自分の世界ってどんなところなのか」ということを考えてみたり
あの一件の前までは、その世界がしっかりと見えていたんだなぁと気づいたり。
小さい頃から好きだった作品を見直すために美術館行ってみたり。
気づいたから前に見えてた世界を昔の自分の作品で感じてみたり。

その方に、昔の作品を見てもらって「ここ」に自分があるって信じられた。
人の中にある自分が、答えを見せてくれるんだって思った。

自分を殺すも生かすも「誰を信じるか」だけなのかもしれない。

そうしたら、やっぱりまずは写真が変わった。

何をきれいだって感じて、何に感動して、何が好きで、何が楽しくて
世界のかたちが見えてきました。

目が捉えていてても意識しないと、ものって見えないから。

自分の世界にあるものを少しずつ少しずつ見て
いつかそれをちゃんと1枚の作品に詰め込めるように。

ようやくスタートラインに立てました。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。