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お誕生日会の思い出

って書くと、ほんのりほのぼのストーリーな気がしますが
まったくそうではないので、期待した方申し訳ありません…

ふと思い出した小学生の時の誕生日。

たぶんあれは友達呼んだ最後の誕生日会なんじゃないかな。
その時も「招待する」という行為がとてつもなく嫌で、集まってもらっても大して嬉しくないほどクラスメイトに「好意がなかった」のだと思う。

今思えばあんまり思考回路がおんなじ同世代の子供はいなかったのかもなぁ…

どっちかっていうと「変わってる子」だったわけだから。

そんなこんなで迎えた誕生日会。
ありがちなのかもしれないけど、自分が主役なのにどうにも所在がない感じがすごく苦手。
いつもと違う態度の友達になかば呆れつつ。
そりゃそうだ。
教室じゃ無視されまくっていたはずなのだから、その頃。

私が友達を何かの会に誘うのが苦手なのは、こういう体験から来てるのかもしれない。

思い出したのは、その会が始まってみんなが騒ぎ出した頃のこと。
みんなが騒ぎ出したのであって、私はそれをながめていたんだろうなぁと思う。

誰かがジュースの入ったコップを倒した。

わっと驚くみんな。
席を移動しまくってるし、机に乗り出してる子や立ち上がってる子もいて、誰が倒しても、まぁ仕方ない状況。
私はケーキに夢中になっていた。(それしかなかったからね)

Nちゃんが「わたしじゃないもん!」と突然言った。
Sちゃんが「あー、わたしかも〜」と言った。
Aちゃんが「ぜんぜん見てなかったから、誰かわかんないねぇ」と言った。

そこへ母が来て「とりあえず片付けるから〜」と言って犯人探しは終わった。

ほどなくして誕生日会はおひらきになった。
なんとなくのギクシャクした感覚を残していたのは、私だけだったのだろうか。

母がそこへ「さっきのジュース…」と言ってきた。
畳の部屋でジュースをこぼしたことが結構重罪なのがわかっていたので、しょんぼりしていた。
母は意外なことばを続けた。

「わたしじゃないって言った子が犯人だよ」

私は「えっ」と言ってものすごく驚いた。
誰か覚えてる?と聞かれてうなずいたが、信じられずにNちゃんだとは言わなかった。
母はそれ以上誰かは追求せずに「怒られると思ってとっさに自分を庇うことを言う、そういう人もいるんだよ」みたいなことを言った。
「その子のことよく見てたらわかるよ」というようなことも言った。

人をよくみることで自分を苦しめていた集団の構造を理解していった。

人のあさましさ。

そういうものに触れた最初のことだったと思う。
誕生日会だけあって、大人の階段のぼってるなぁ…(よくないほうの)

ある事件を見ると同じ論理の「わたしじゃないもん」を感じてしまう。
それは、以前住んでいた、そして帰りたいと思う愛する街で起きたこと。
このNちゃんの「わたしじゃないもん」という言葉がずっと私に戒めとして刺さっているんだなぁと感じる。

自分が起こしている良いことも悪いことも単なる「影響」でしかないことも
ほんとうは全部自覚的になりたい。

ま、全部自覚するためには、メンタルが鋼鉄のように固くないとダメだろうなぁ…
キャパシティが足りないな。

せめて。

何かが起きた時に「わたしじゃないもん」という人間になっていないか。
わたしかもしれない、わたしも同じ失敗するかもしれない
そう思えるようにいよう。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。