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命の期限。夢の期限。

歳を重ねていくうちに必ず訪れるのが〝別れ〟。
例えばそれは恋人とのほろ苦い〝別れ〟だったり、卒業などの旅立ちという意味の〝別れ〟であったり様々な〝別れ〟の形がある。

その中でも二度と会う事が出来ない、死による〝別れ〟について書こうと思ったのは、父の死でそれを身近に感じるようになったから。

世間が新型コロナで大騒ぎをしている時、日常が変わりゆくなか、そこまで気にはしていなかった。確かに新型コロナが指数関数的増加(ドラえもんの道具のバイバインで栗まんじゅうが増える感じ)で入院率10%で医療崩壊を招く可能性があるから大変で緊急事態宣言が発令されたのだけれど、どこか遠い世界の話を聞いているようだった。

(緊急事態宣言後)いつも通り在宅で仕事をしていると電話がなった。園長先生からサボっていないかの確認だろうなと思いながら、携帯をみるとそこには叔父の名前が。その電話で告げられたのは父の死だった。頭が真っ白になるという表現を耳にする事はあっても体験する事はないと思っていた。嘘じゃない事ぐらい電話越しの声でわかってる、叔父の声が聞いたこともないぐらい震えていた。それでも僕は「嘘だろ…」とは言わずにはいられなかった。

叔父自身も実の弟が死んだのを目の当たりにして頭が真っ白になる中、息子である僕に連絡をすぐにしてくれた。自分の感情と使命のような感情が渦巻く叔父の気持ちを考えると胸が張り裂けそうになる。

僕の親は離婚をしていて、父は岩手に住んでいる。だからお葬式も岩手で行われる。泣き止んだあと、すぐに職場に連絡をして岩手に向かう準備をしていると叔父からまた電話がかかってきた。

この緊急事態宣言の中、東京の人は息子であっても葬儀に出る事は出来ないという知らせだった。

どこか遠い世界の話だった緊急事態宣言がとても身近な存在になった。色んな気持ちでぐちゃぐちゃになる。離婚をしてお父さんに全然会えていなかったから最後ぐらいちゃんとしたかったのに。でも日本が大変な時だから仕方がなかった。と思うしかなかった。

僕はお葬式は亡くなった人の為にするものだと思っていたが、残された人が前に進む為に、悲しみを乗り越える為にあるのだろうとも思った。

お葬式に出られなかった事はお父さんにも申し訳ないけれど、前に進まなければいけない。

叶えたかった結婚式に家族全員呼んで6人揃いたいという夢は2度と叶う事はなくなった。(そもそも彼女いないのでいつになる事やら)
いつか叶えたいで、のほほーんとしていてはいけない。命に期限があるのと同じように、夢にも期限があるのだから。考え悩み頑張って行動する。
今回のことで1番感じました。

そして家族や友達、周りにいる人への感謝を常に伝えとかないとね。もちろん家族だったら喧嘩もするだろうし強い言葉を使う時もある。それでもちゃんと謝って仲直りしてテレビなんか観ながら笑ってご飯を食べる!それが幸せの1つだったりするんだから。
色んな家庭があるから一概に言えないし、当時の僕が今の自分の話を聞いて変わるかもわからないけどね。

本当は僕がもっと伝えられる側の人になってから書いた方が良かったのだけれど、気持ちの整理の一環で書かせて頂きました。
死について考える事ってなかなかないと思うので前向きに向き合うきっかけの1つになれば幸いです。
お父さんと最後に話した時に〝若いうちに実績を積め〟って言われたのでこれから実績を積めるように頑張っていきます。

サポートしてくださった方ありがとうございます😊 このサポートに恥じぬように日々精進していきます!! 何卒よろしくお願い致します。