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思考中のたわごと

引きこもりの夏を満喫中。

今はひとりの時間がとにかく幸せ。
パーソナルスペースに誰も入ってほしくない!ソーシャルディスタンス万歳!という気持ち。

疲れてるんすねー。本当は「あれ読んで、これやって、この計画も進めて…」とか張り切ってたんですけど。
今なんでこれを書いてるかっていうと、張り切りの一部だけでも実行したいから。なんとかやる気を出すために筆を執っております。
貴重な自分の時間なのに、ただ寝てるだけで終わってしまったら本気で落ち込みそうなので。

………
今、情勢は乖離してますね。どう考えても新規荒波が来てるのに、見て見ぬ振りをしているような。

ところで、第1期ステイホーム推奨期間、普段からほぼ家でごろごろしてる自分は、そんなに生活が変わらなかった。まあ、変な高揚からの鬱、みたいに踊らされたりはしたけど、「人に会えなくてつらい」みたいのは皆無だった。むしろ距離が出来てありがたいくらいだった。

この心の動き、なんでかな、と思って色々調べてみました。
前エントリで紹介した本では、そういう人を、

(画像はAmazonにリンク)

「境界線を壊されて育った人」と定義している。

真ん中に「自分」じゃなくて「他人」がいる人
(p.18)

簡単に言うと、幼少期に粗末に扱われた経験があると、自分を大切にする方法が分からなくなるということ。
なんでも自分のせいにしてしまったり、自分の痛みを他人にも分かってほしい、とすごい勢いで寄りかかったり。アルコールなど、何かに依存するのもその一環だ。

自分は当該本に出てきた人たちほどヘビーではないけど、当てはまる事を否定できない。他者との境界線は薄いです。共感力という言葉では説明しきれない部分がある。
あと、元々の気質も大きい。HSPなので。

つまり。
元から他者との境界線が薄かった。
今回の情勢で推奨された物理的距離によって、ひとりの時間と空間が増え、心的距離も適切に取れるようになった。で、境界線が回復したってことだったようだ。
普段いかに無理しているかがよく分かった。普通の人ならどうってことないコミュニケーションでも、自分にとってはかなりの負担だったんだなあ、と。情けないですが。

でも、こういう人意外に多いんじゃないかな…?とか思ったりもしてる。医療機関にお世話になるほどではなくとも、この種の痛みを抱えて生きている人たち。

その辺りをお話にしたいな、創作頑張りたいな、と色々画策しているのですが、全然先に進まないいんですよね。完全に煮詰まっております。
回復の物語が書きたいわけではないのだ。だって現状なんて一時的なものだし。今後に生かしたくはあるけど。
じゃあ何?と言われると返答に詰まる。今はそんな段階です。はー。

発想の転換が必要な気がするな。或いは掘り下げか。
とりあえず、コーヒーでも飲んでじっくり対峙してみます。つらい。めんどい。
でも、大事なことはだいたい面倒くさい、と宮崎駿も言っていたのでがんばります。つらいけど。

………

ちなみに自分は、弱すぎる心を守るために、たくさんの趣味を鎧にして生きてきました。ヲタ気質の根はわりと病的なんすよね。アディクトホッパーの自覚はある。
なのでシンプルに「楽しいねー!」って感じで何かを好きになってる人を見ると、本当にびっくりします。すごい、なんて健全なんだ、でもそうだよね、それが普通か、みたいな。

余談ですが、「境界線破壊」の例としては小さくなるけど、これ、逆パターンもあるんですよね。家庭では大切にされてきた子どもが、子どもの残酷な社会に出て傷つく、というやつ。
「男らしくねえな」「女の子なら当たり前じゃない」等々の価値観で傷つけられる子って本当に多い。
端的に言うと、ジェンダー論に無知でホモソーシャルな親御さんと、それを推奨する社会が悪いです。教育は大事だ…、大人も子どもも。
家庭の愛情でカバーできればいいけど、これも結構難しかったりする。子どもの人間関係に親が口出すと、だいたい変な感じになることが多いからなー。

で、強引に話を戻しますが、自分がいま夢中なのは筒井チャンネルです。

(画像はチャンネルにリンク)

お料理系YouTubeですが、短くて見やすいし、家庭料理なのですぐ真似出来る。上がってるやつは全部見たし、サブチャンネルも登録しました。
今夜は何作ろうかなあ。

生きることが苦手すぎて悲しいけど、美味しいもの食べたり笑ったり、「パンと薔薇」精神でがんばります。

サポートいただけたら泣いて喜び、創作活動に活用します。