新年早々悲嘆にくれる、或いはLuckとPluck

学がない僕は何が罪なのかわからないんだけど
おそらく生まれて来た事とかそういう話なんだ

 新年のおみくじで大吉以外を引くことが稀であるわたしですが、7年程正念場をやっております。そろそろ実りの秋が来て欲しいのですが、おみくじによると「悪い人に邪魔されて仕事も恋愛も何もかも上手くいきません」などとあり、なるほど、それなりに自分の守り方を学ぶべき時期かも知れない……などと。

 いやいや、『ダーク・ナイト』じゃあるまいし、わたしを是が非でも失脚させねばならないと欲望されるような一角の人物でもあるまいし、誰かの恨みを買うようなことがあるかしら、と神社近くのハンバーグ屋さんで一頻り悩むふりをしてみる、冬の晴れた日。

 悪い人というのは畢竟自分の悪心ではないか。

 UFOでも何でもいいんですけど「わたしは狙われている欲望されている」、即ち「欲望されている」と誤認する構造についてはジャック・ラカンに詳しいです。氏の言葉に「性格とは狂気の度合いである(従って、性格というものはない)」というものがあり、わたしはこれがとても好きです。

 わたしたちが「ツキがいい」と呼ぶものは、しばしば試行回数である。

「あいつばっかいいめみやがって / わたしは上前をはねられている」とは所謂『公平世界誤謬』と呼ばれるもので、幸福の総数があって、パイの奪い合いをしている、という信念は端的に誤りです。『ヨブ記』を読め。

 ただし、わたしたちが生きるこの冷厳なランダムネスの渦中に於いて、試行回数でねじ伏せられることは少なくないです。村上春樹が言うところの「システム」の前でわたしたちは無力では? そうかも知れません。そこに立ち向かう狂気を勇気と呼びましょう。

 その時リソースを投じる環境にいるという事を「ご縁」と呼んでもいいかも知れません。

 何もしないよりもいいし、それをあなたがやった方が成功率が高いと考えるのであれば、あなたがやった方がいいです。そのような「おまえがやりなさい」という御指名、或いは「鐘の音」に備えていつ使うのかそもそも使う機会があるのかわからない牙を一心に研ぎ続けるわたしたち。なんという滑稽!

 でもベル・ウィングの「運を右回りにする努力を怠ってはいけないよ」とは畢竟そのような意味です。懐疑論者らしく本質的に一切が無意味であり、個々人が勝手に価値を見出している投影劇場的に世界を捉えたとして、それはそれで結構ですが、じゃあそこで立ち止まるの、そうはならなくないですか?

 これが今年の書き初めとなります。Luck/Pluckで韻が踏めて大変縁起が宜しい。結局何を言っているのかわからん、或いは何か言った風だけど何もいってないのではないのか、と仰る向きもおられましょうが、世界はそんなもんです。

「唯一罪があるとすれば、それは己の欲望に譲歩することだ」とはジャック・ラカンの謂。

なんかくれ 文明とか https://www.amazon.jp/gp/registry/wishlist/Z4F2O05F23WJ