Clown in the mirror

 掲題の概念はわりと好まれており、最近だと『ボヘミアン・ラプソディ』でも流れたらしい「Show must go on」等、「心はこんなに慟哭しているのに、鏡に映る顔は笑っている」という引き裂かれた状態を指すようです。

 わたしはなにもない人間がひたすらに失い続ける物語を愛してしまう質なので『JOKER』に耽溺してしまったわけで。ええ、これはわたしのために撮影された、2019年の『タクシードライバー』であるので、最早出来が良い・悪いという話ではなく、これは戀なのです。

 アメリカン・ニューシネマのリアルタイマーではなく「何故、あの時、誰もあいつの側にいてやれなかったんだ」と、何故、あの時、誰もわたしを告発してくれなかったんだ、という喪失をやっと埋めてくれたと言いますか。

 人は誰しも鏡に向かって「Are you talking to me?」ってしてしまう、そういう成長過程って、ありますよね。

 「あの」文脈であるため、場所としてはゴッサム・シティな訳ですが、映像としては1969年ぐらいに撮影されたL.A.のような、汚らしくも艶かしい夜が郷愁を誘います。トレーラーだと酷薄で無機質な白昼のビル街を俯瞰してありますが、事が起こるのは夜です。

 ほら、わたし達、雨なのかなんなのかねっとりじとじととした夜の街に、ドラム缶の火がゆらゆら揺れる風景に、心を置き忘れて来ちゃったじゃないですか。

 おおよそ希望と呼んで良さそうなものを、一つまた一つと剥ぎ取られていき、クライマックスはドストエフスキーの『地下住人の手記』の風情(無視されるより軽蔑された方が、いくらかましってもんです!)。ああ、そして彼は暴動からも疎外されているのです。

 あの致命的に美しい、軽やかなステップで映画が終わって欲しかった、というのはありますが、「……っていう冗談を思いついたんだけど」と一呼吸入れる事で一層事態は深刻になるのであり、「どうせ理解出来ないよ」の後、どちらであれ彼は善悪の悲願を跨ぎ越したんだな、と知れ、最終的にスラップスティックのようなものが置かれて「そんなもんスよ」と投げやりな感じになるあたりまで含めて、100点満点中5京点献上してしまうのです。

 ……そしてわたしは、紅いセットアップを衝動買いしてしまうに至る、と。まあまあまあまあ、そんなもんです。頭が変な人が一般人みたいな顔をして社会に溶け込んでいたら、困るじゃないですか。90年代ぐらいに流行ったサイコホラーみたいで。

 頭が変な人は頭が変な人だと一目で分かるような格好をしていた方が、穏当ってもんです、ええ(ああ、やってしまった、と頭を抱えている)。

なんかくれ 文明とか https://www.amazon.jp/gp/registry/wishlist/Z4F2O05F23WJ