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忘却の四畳半

わたしがまだ、
ゆらゆらとした恋をしていた頃のお話だ。

ひとと出逢ったりイベントに顔を出すことが好きだったわたしは、なにかイベントがあるとひとりでも参加した。

だいたいは皆同じ穴のムジナ(別に悪事を働いている訳ではない)で、ひとりでの参加も多くみんな初めましての状態から仲良くなる。
その時も13人くらいだろうか、
集まっては小さいイベントを開いた。

年齢層が幅広くいろんな職業のひとがいて、
それもまた面白かった。
普段出逢えない類のひととも知り合える。

そこでわたしは不思議な男性に出逢った。

直感的に言うと、「違和感のある」ひとで、
とても優しいけれどなぜか怖かった。

今になって思うと自分を信じて距離を置けばよかった、と思うのだが、決して悪いひとではないので距離を置く必要が無かったし、友人のひとりだった。

確か年齢が一回りほど歳上のひとで、
当時のわたしはまだ若かった(25歳くらいかな)。
なんとなく年齢の近いグループに分割されたので、
彼と仲良くなる機会も無かった。

ここからは写真のように一場面を何ヶ所か覚えているだけで、全てを語ることができない。

まず彼に誘われてふたりで珈琲屋さんに行った。
「ひとりでもたのしめるタイプかなって」
と言われたことは覚えている。
その通りだったので頷いたが、
会話という会話も無いままにさよならをした。

ああ、あと、彼は背が高かった。
「181cmくらい?」と聞くと、
「そう、ぴったり」
静かな湯気に揺られて、夢のように所在無かった。

そしてわたしは彼と恋人になった。

なぜそうなったのか、
どうやって距離が縮まったのか、
思い出せないのだ。

ただわたしが彼のお部屋でやはり所在無い気持ちになっていたことは覚えている。

その時、なぜその戸を開けようと思ったのだろう。
厚かましいことはしないはずだったのに。

彼の気配は無かった。
わたしはその引き戸を開けて驚愕した。

あらゆるものが言葉通り本当に投げ込まれていた。
煩雑という言葉では足りない。
あれは混乱に近い、
「未だ整理のつかないもの」の山だったのだ。

愕然としていたら、
まだ新しいメッセージカードがわたしの目に入った。
まるでわたしに訴えかけるように開かれて。
勿論それも、投げられていたのだけれど。

"お誕生日おめでとう!
好きだと言っていたので〜にしました。
素敵な歳にしてね"

名前は、わたしが仲良くしていた女の子だった。
その子とどうこうより、
わたしはその優しさがあの混乱に投げ込まれていていたことが悲しかった。

ほかにもありとあらゆるーー思い出せないけれど、
きっと彼の中で「扱えないもの」が山になって、
その狭い部屋が埋まってしまっていたのだ。

わたしは一角で三角座りをして泣いた。

彼にとって「扱えないもの」と一緒になって泣いた。
わたし自身さえ、混乱に溶けてしまいそうで。
今でも、あんなに悲しい部屋をわたしは知らない。

彼に関して話せることは、ほかには無い。
勿論そのあと揉めたのだろうが、
本当に大雨の日になにも見えなくなってしまった。

忘却は救済である。
刹那さを燃料に昇華して、わたしたちは生きる。

How happy is the blameless vestal’s lot!
The world forgetting, by the world forgot
Eternal sunshine of the spotless mind!
Each pray’r accepted, and each wish resign’d.

幸せは無垢な心に宿る
忘却は許すこと
太陽の光に導かれ
陰りなき祈りは運命を動かす
Alexander Pope


わたしはいつでもこの詩を胸に抱いている。


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