第3回絵本探求ゼミ振り返り



ミッキーゼミ3回目は、主にケイト・グリーナウェイ賞について学んだ。
私が選書したのは『オオカミ』エミリー・グラヴェット作である。
この絵本を職場の中学校のオープンスクールで読む機会があったので、その様子も併せて書きたいと思う。

1.ケイト・グリーナウェイ賞とは


ケイト・グリーナウェイ賞は、イギリスで出版された絵本の中でもっともすぐれた作品の画家に対して年に一度贈られる賞である。1956年に英国図書館協会によって創設。賞の名前はさし絵画家、ケイト・グリーナウェイ(1846~1901)にちなんでいる。2023年より「カーネギー賞画家賞」と改称。

2.講座で感じたこと


エドワード・アーティゾーニ、ジョン・バーニンガム、ヘレン・オクセンバリー、アンソニー・ブラウンなど、受賞者と彼らの作品の解説が圧倒的な情報量とスピードで押し寄せる中、あらためて驚いたのが、ジョン・バーニンガムだ。
『ボルカ』も『ガンピーさんのふなあそび』も『なにみきをつけてシャーリー』もそれぞれ読んだことはあったが、一人の作家の作品としてあらためて並べるとその画風の変化に驚く。
先生の解説は、その作品がその作家の人生の中でいつ、どんな環境で描かれたかを解説して下さるので面白い。例えば『ボルカ』(1964)の力強くどっしりとした画風から、結婚、子どもが産まれたことで『ガンピーさんのふなあそび』(1971)のような優しい色彩かつワイワイと楽し気な画風へと変化したことは、作家自身も画家である前に一人の人間であり、初めて父親となり子育てを経験したことで見るもの感じるものに変化があったことが感じられ、非常に親近感が湧く。先生の言葉を借りれば「作家自身の成長」である。またそのあとの『なみにきをつけてシャーリー』(1977)では、ポストモダンの先駆けとして、現実と空想が同時進行するパラレルワールドを画期的な方法で描いていたことも学び、講座終了後再度読み返した。現実と空想を単に「行って帰る」のではない新たなファンタジー絵本は、さぞ世間を驚かせたことだろう。
絵本に限らず、芸術作品は作家の人生のアウトプットである。一作家のたくさんの作品をカードのように単体で見るのではなく、その作家の人生に紐づけることで、一人の人間の人生の過程として、作品の理解が各段に深まることをあらためて教えていただいた。

3.選書した絵本


「オオカミ」
エミリー・グラヴェット作 ゆづきかやこ訳 小峰書店
2005年ケイト・グリーナウェイ賞受賞

⑴「オオカミ」選書理由


表紙を見て「オオカミ」なのにオオカミが描かれていないことに興味を持った。

⑵エミリー・グラヴェットについて


1972年生まれ、英国ブライトン在住。17歳で学校を中退したあと、10年間ほど放浪生活を送る。その後、ブライトン大学で美術を専攻し、絵を描く才能に目覚める。2004年に美術を学ぶ生徒を対象にしたマクミラン賞を受賞し、刊行されたデビュー作が、本作「オオカミ」(2005)である。
その後2008年に“Little Mouse's Big Book of Fears ”で再びケイト・グリーナウェイ賞を受賞。この作品も「〇〇恐怖症」を乗り越える為の「辞典」しかけになっているようで面白そうなのだが、邦訳はまだ出ていない。
また受賞ならずとも、次点や次々点であるロングリストやショートリストには2017年頃までは毎年のように名前が挙がっていた。
2016年には来日し、東京国際子ども図書館や大阪府立中央図書館、宮城県図書館で子ども達と絵本作りのW,S,を行っている。

⑶あらすじと作品のしかけ


ある日ウサギが「西バックス公立かくれが図書館」の新刊コーナーで本を借りる。タイトルは「オオカミ」。真っ赤な布張りの本である。
絵本の見返しについているのは貸出票で、実際に封筒から出すことができる。そこには「オオカミ」と記載がある。つまり、あたかも読み手がウサギ本人であるかのような錯覚を持たせるしかけから始まるのだ。
ウサギは歩きながら本を読むのに夢中。途中から背景が大胆なデッサン画=オオカミの身体 に変わる。ウサギは、いつの間にかオオカミの背中から鼻先まで歩いて来ていることに気づいていない。
「オオカミの好物は…」
そこでページをめくると、ずたずたに切り裂かれた赤い布の本。そしてページの切れ端に書かれている言葉は「ウサギ」…。
絶望感でいっぱいになってページをめくると、もう一つの結末が用意されている。それは「オオカミは実はベジタリアンだった」という結末。2人はジャムサンドを仲良く食べた、とある。
半信半疑でページをめくると、そこには散乱した未開封の郵便物。全てウサギ宛のものだ。中に一通、実際に封筒を開けて中身を出せるものがある。差出人は「西バックス公立かくれが図書館」。取り出すと、借りた本の督促状が。タイトルはもちろん「オオカミ」。
「返却期限が過ぎていることをお知らせします…」
そこで物語は終わる。読み手は結末を知らされずに放り出される。否が応でもウサギは無事なのかを考えざるを得ないだろう。
これは、結末を読み手に任せる「オープンエンディング」の手法である。

4.オープンスクールで「オオカミ」を読む


オープンスクールで絵本を取り入れるのは開校以来初めての試みだったそうだ。
私立中学のオープンスクールなので、参加者は小6メイン、小5、小4とその保護者だ。時間も1回20分を2回と慌ただしい。会場には、保護者も子ども達も懐かしいと感じるようなロングセラー絵本を中心に面出しで並べた。
タイトルは「絵本のオオカミを考える~ほんとに悪者?」。
皆が知っているオオカミの絵本を挙げてもらい、もちろんそれらの絵本も見せてから、ドジなオオカミの絵本を読み、ブックトーク。最後に「オオカミ」を読んでみた。

冒頭「あれっ、貸出票が入ってる」と貸出票を実際に取り出した途端、子ども達は釘付け、保護者も何が起こるのかと興味津々。そうか、この本はウサギが借りた絵本なんだとすぐ気づいたのは、さすが高学年だ。読み進むうち誰かが「えっ」、背中を歩く時には「やばいやばい」「あかん!」と口々に声が上がり、オオカミの鼻先ド迫力の見開き場面では、息を飲む音が聞こえたくらいだ。そして、写真画像のズタズタ本と、ページの切れ端…会場はシーンとなってしまった。
気を取り直して次の結末へ。「ベジタリアン?」誰一人納得している表情ではない。
更に最後の郵便物のページへ。督促状を取り出すと「あっ、また何か入ってる」、読み上げると「返してへんやん」と声が聞こえた。

絵本を閉じて表紙を見せ、「オオカミどこにいる?」と聞くと「いなーい」 
「ウサギは何を見てるんかなぁ?」と聞いてみると「こっち(絵本の外)にいるんちゃう」と再びにぎやかに。

ウサギはどうなったかを子ども達に聞いてみると、圧倒的に「やられた」が多かった。保護者も大きく頷いていたので、概ね同じ意見だったのだろうと思う。

終了後、保護者や子ども達がまず手に取った一番人気絵本が、この「オオカミ」だった。小4の女の子はわざわざ私のところに来て
「サンドイッチは食べてないと思う。だってウサギの首が切れてるから」
と、「ウサギがやられた」と思う理由をページを開いて見せ、指で示して説明してくれた。
子ども達が、絵やしかけから自分なりのエンディングを考えているやりとりも聞こえてきた。

5.おはなし会でのオープンエンディング効果


結末が用意されていないので、聴き手は完結させようといろいろ考える。その時意見のやりとりや、ちょっとした議論もあるかもしれない。それは、同じ絵本と時間を共有した子ども達同士のアウトプットという意味で、とても意味がある事ではないだろうか。高学年のおはなし会でぜひまたこの絵本を読んでみたいと思った。
また、自分が選んだ「ウサギはやられた」という結末なら、あのリアルなズタズタ本を目の当たりにしても、子ども達にあまり悲愴感がないように感じるのが不思議だ。「自分で考えた」からだろうか。

6.ブッカーの壁


ウサギが借りた本は、真っ赤な布張りの本だ。私が図書館から借りてきた絵本は、白いカバーごとブッカーがかかっていて本体が見えないのだが、背表紙のわずかな隙間から覗き見るに、本体は明らかにウサギが借りたのと同じ真っ赤な絵本だ(しかけから考えても当然だ)。しかし残念なことに絶版で入手できない。出版社に問い合わせたが在庫なし重版未定。どうしても「オオカミ」とタイトルが書かれた赤い本体が見たくて諦められず、少し高くはなったが綺麗な中古本を手に入れることができた。次回のおはなし会では、ウサギよろしくこの赤い絵本を読んでみよう。


タイトルが「オオカミ」なのにオオカミがいない。
ウサギの視線の先には…


やっと手に入れた絶版本「オオカミ」
カバーを取ると真っ赤な布張り本体が。
(図書館本ではブッカーのため見ることができなかった)



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