ピッチャーの母にはなれない
またこんな日が来るとは思っていなかったけど、昨日は最高気温を記録するぐらいから夕方まで、だだっ広い野球場にいた。
野球場といっても河原だから、フェンスもなければベンチもないし、もちろん屋根もない。自動販売機もないので、道すがらのコンビニではポカリスエットが売り切れていた。毎週のようにここに向かう人たちは「飲み物を大量に持参」というのは常識なのだろう。
中学野球って短い。正式には中学生の軟式野球。高校生になれば、言わずと知れたみんなの「高校野球」が始まるので、硬球を使った競技になる。もちろん、軟式野球を続けていくこともできるけど、学校での部活となると、よっぽど体力のある学校運営をしているところでないと、野球部を二つ運営していくのは厳しいのだろう。息子が進学する予定の高校には硬式野球部しかない。中学は軟式、高校は硬式。続けるなら、必然的にそうなる。
好きなこと(野球)を受験で断絶することなく六年間続けてできるから、というような理由で中高一貫男子校の受験に挑戦したわけだけど、なんだ、結局分断はあるんじゃないかと、後で気づいた次第。
彼にとっては、高校野球は子守唄のようなものだった。親の影響大。
途中で別のことが好きになってもいいし、無理やり続けたほうがいいとも何とも言っていないんだけど、自然と次も野球する気分らしい。
「てっぺん目指すぞ」
みたいなテンションこそ全くないのだけど、ジワジワとずっと、野球が好き。おもしろいし楽しいし、なにより「野球」という共通言語で繋がっているチームメイトは、彼の思春期の心の安定剤のひとつだと確信している。
中学でも高校でも、最後の大会は、夏。
そうか、もう夏だったわ。
中一の夏は、まだコロナの真っ最中で、部活も制限的だったし、マスクして練習していた。なんという青春の幕開けだったんだろう。いま思うと胸がキュンとする。夏の高校野球も、東京オリンピックも、この年にはなかったんだった。大変な歴史が刻まれてしまった年だった。
それでも、子どもはたくましい。
好きだったら、どんな状況でも、平常心で取り組めるのだと息子から学んだ。右往左往、上がったり下がったり、そんな風にしか向き合えないことがあるとしたら、おそらく「好き」が足りないのだ。
さて。
中学部活、この大会で終わる。
幸い、競技の種類は変わっても、高校入学を待つことなく硬式野球の体験的な練習はさせてもらえるらしいので、ブランクはあまりないと信じている。(実際には、部活は学校中心で運営されているので、保護者は関与するシーンがほぼなく、仕組み自体もよくわかってない)
硬式に行くのを断念して、ここで野球以外のスポーツに転向する仲間もいる。いまのチームメイトと参加する大会はこれが最後。
娘だったら「このメンバーと別れるのは絶対いやだ」などと熱く盛り上がって感極まるところだと思うけど、息子はまったくもって平常心。でも、なるべく長く、最後まで、ここで野球がやりたいんだろうということは伝わってくる。
「勝ち進めば、土曜日学校休んで試合に行けるからがんばる」
まじか。
で、息子は少年野球ではピッチャーやら内野やら外野やら、いろいろやらせていただきましたが、中学校では外野メインとしつつ、ファーストやサード。昨年は意外なことに捕手もやっていて、貴重な経験になった。個人的には捕手はガタイが良くて頭も使って、いい声出してチームを精神的に支えていくような雰囲気(まぁそれって一部昭和の保守イメージなのかもしれないけど)なので、好き。
この大会はレフトで出させてもらってて、それだけでも「そっちに飛びませんように」(ちゃんと獲れるはずなんだけど、打球が飛んだ瞬間にまさかのケースを何百通りも思い浮かべられるぐらいに不安)とドキドキの観戦なんだけど、それよりなにより、やっぱり、一球一球、淡々と熱く球を放ってくれるピッチャーは神。ピッチャーの母も神。
子どもたちの試合は、文字通りまぶしすぎて、裸眼で直視できないのでカメラのファインダーを通して観戦している。自分の素の心で受け止め続けていると息が苦しくなってしまうから。
それでも、投手が投球の前に自分を整えている表情を見ると、息止めちゃったんじゃないかというぐらいに、胸が苦しくなる。
なんなら胸ぐらをひょいと掴まれて、
「お前にそんな覚悟の瞬間はあるのか」
と問いただされているようで、辛くなる。
見守るしか、祈るしか、できないけれど、君たちはすごいよって心の底からずっと思っているよ。ほんの小さな子どもだった時代から、ひとりでバッターボックスに立つ経験を何度も何度も積み重ねて。自分でバットを振る以外に、戦う方法がない。そんな場所に立ち続けてる君たちは、本当に尊いんだよ。
野球はみんなが主役で、誰一人欠けても成立しないわけだけど、そんな中でも、誰よりも人一倍、心を奮い立たせなくてはいけないのは、やっぱりピッチャーだと思う。
その責任たるや、イメージするだけで重すぎて、倒れそう。
私がピッチャーの母だったら、カメラを盾にしたとしても、試合会場には行けないかもしれない。ずっと目をつぶっていたくなりそうで。
自分が投げなければ、何も始まらない。
投げたら、打たれるかもしれない。
でも、投げなくてはいけない。
打者やその時の状況を考えて、何投げるか決めて、全力で。
最後のアウトを取るまでずっと、投げ続けなくてはいけない。
これを重圧と思うか、生きがいと思うか。
でも結局、
好きじゃなきゃ、できない。
好きだから、無敵になれる。
好きだから、めげない。
好きだから、成長する。
好きなだけじゃ、うまくいかないこともあるけど、
好きだったらがんばっていいんだって思いながら、
大人に向かって欲しいと改めて思った次第。
で、私の好きってなんだろう?大事に抱えてる?使ってる?
好きだったら、がんばっていいんだよ、きっと。
さて。今日もお弁当作って、送り出さないと。
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