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【回答】かーちゃん子だったはずなんだけどなぁ…

▼この記事は育児トークユニットのU-BARS(うーばーず)の3人で綴るゆるい交換日記の記事です。

▼From ゆかぴょん

わたしのママライターネーム「ゆかぴょん」だったっけ…ま、いっか!

今回ははなみきからの問いかけ

について、考えました。

ということで、年子の男女育児にあるあるだと思う、下の子はゴーイングマイウェイ、だわね!!!!!ほんとにほんとに、そういう感じ。

なんだけど!

ママっ子だった息子→しなやかな使い分け。臨機応変

我が家も例に漏れず、長男である息子は超ママっ子でした。置いて留守番できないぐらい。生まれてからずっと抱っこし続けていたぐらい。もう一生トイレに行けないと思ってた…(いま思えば育児ウツだった気がするわよ)

産後3カ月で髪の毛切りたいって思って、行くことになるとは思えなかった近所の美容室に1時間ぐらい行ったのが初の離れ離れのはず。(その時とにかく短くしてくれと頼んだら、水前寺清子みたいな髪型になった🐆)

とはいえ、息子は緊急帝王切開で産まれてすぐに母子分離の入院となり、10日間ぐらい離れ離れの生活を過ごしていたので、最初の分離の不安から、母と離れるのが怖かったのかなと、今となっては思います。

哺乳瓶(搾乳もミルクも)NGで、結果としての完全母乳育児。寝かしつけも母じゃないとダメでした。夜泣きももちろん母の対応以外はおさまらず。歩き出しても、保育園に行っても、どこにいっても、抱っこか膝のうえ。

小学生になってから、変わったなー!それでもやっぱり、平日はほぼ母のワンオペだったのでママっ子になるよね。何でもかんでも、息子のことは把握していたし、息子も父より母を頼りにしていたと思います。

少年野球を始めてから、パパっ子というよりは、母と父の使い分けができるようになった気がします。その頃から、寝るのも、母がいなくても自分たちで先に寝るね(もしくは寝なさーい)になってきました。

成長したんだわ。

中学受験期を乗り越えて、思春期の中学生。もう親との距離感遠め〜なわけだけど、それも彼は使い分けてる。(アセンダントが天秤座、月も天秤座、太陽は牡牛座)

臨機応変。

お困りごとや衣食住は母、エンタメやスポーツ観戦(夫がスポーツオタク)は父。それはそれはしなやかに、使い分けていらっしゃいます。

ママっ子だと思ってたけど→自分が楽しいのが一番。唯我独尊の娘

娘は息子が1歳10カ月の時に生まれました。卒乳もしていない状況下。必然的に両脇に二人を抱えての生活。寝る時は文字通り両脇に抱えてたし、一人に授乳していると息子もやってくるので、常に一心同体の三人組でした。

外に出る時には、スリングに娘を放り込んで(失礼)文字通りの一体化、一心同体状態。息子とは、手を繋いで歩く、という感じでした。

スリングが前にあると、息子を抱っこできないので、息子には手を繋いでひとりで頑張ってもらわなくては出かけられない状況。ベビーカーは都内移動難しくって、逆に手がかかるのでほぼ使いませんでした。そう思うと、息子、私と娘のためにがんばってくれてたんだなぁ…(しんみり)

だからさ。もう、娘は私と一緒のほぼ一心同体の濃密な時間をめいいっぱい過ごしたんだわね。

息子より早く、ママっ子卒業。

歩くのも、走るのも、自転車に乗るのも、スキーをするのも、一人でおばあちゃん家に行くのも、兄よりも早かった。やりたいことがあったら、やりたいことができるなら、人や場所や状況は気にしない、牡羊座全開です。(ちなみに月蟹座)

唯我独尊。

私は甘い声で「ママ」とか呼ばれるのが本当に嫌で、かーちゃんを貫き通していたんだけど、小学校の高学年ぐらいから突然「ママ」って呼ばれるようになりました。都合がいい時だけ「ママ〜」みたいな感じで遊びに行きたいとか、物を要求されたりとか、しています。

出かけると手を繋いできて、仲良し親子風に歩きたがったりしてたけど、まぁ私が割とアッサリしてるんで、そんなことも少なくなり。我が道をいく娘です。

夫の方が私よりも口うるさくないので、娘&夫の組み合わせでスキーに行ったり、ドライブしたりも。状況に応じて人とフラットに関われる素質があるのは、一家の共通項かもしれません。

で、最後。

自分の子ども時代のことを思い起こしたけど、独立派だったかも!

父は厳しくて苦手だったし、母は頼りなかったし(ごめん)!妹を引き連れて、気分は棟梁、お山の大将、ジャンヌダルク🐎

個性でるよねー!

ということで、はなみきにお戻ししまーす!

From ゆかぴょん


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