【回答】海とわかめおにぎりとうどん
▼この記事は育児トークユニットのU-BARS(うーばーず)の3人で綴るゆるい交換日記の記事です。
▼From はーちゃん
こんにちは!9月だよ!あっという間だね…
あっという間だって言うのが嫌になるぐらい、毎度毎度あっという間だって言ってるよね。でも最近は、そうやって日々が過ぎていくことって本当に幸せなことなんだなって思うようになってきました。
子どもが小さい時だったらさ、毎日が怒涛のように過ぎていくことに気付いてしまった瞬間って、絶望に近くて、焦って焦って勝手に空回りしていたけど。
焦ってもしゃーない。平和が一番。
さて。今回のはなみきからの質問
自分が子供の頃、夏休みをどう過ごしてきた?
ちなみにみほっちの「あなたの知らない世界」についてですが、
もちろん知ってますが、わたし極度の「怖いの本気でマジでダメなんです」っていう種類なので、CM流れるだけで目をつぶって耳をふさいで生きてきました。タモリのやつ(世にも奇妙なみたいなやつ)もダメなんだよ。頑張ってみてたこともあるけど、吐き気がするぐらいやばい。次の日、使い物にならないぐらい心が疲弊する。肝試しもお化け屋敷も、ほんと無理だった。
さて、わたしの夏休み
私が幼稚園とか小学校低学年の時代は、専業主婦の母と3歳下の妹と過ごす時間が多くて(というか、父はいわゆる団塊の世代サラリーマンで家にはほぼいなかった。休みの日はゴルフか釣り。たまにいると家中の掃除か車の掃除)、いま思えば、母は時間を持て余していただろうなぁって思う。
でも、3歳差の姉妹、しかも姉は私。めっちゃしっかり者で面倒見がいいので、ほぼ放置されていた記憶。ふたりでのんびり遊んだり、公園に行ったりしていました。(その頃から、トランプとかで占いしてたかも!)
ただ、夏休みとなると、2-3週間ぐらい帰省してたかも。最初に母と一緒に行って、お盆になったら父が合流。
広島にいとこ、山口に両親の実家があったので、長期の中国地方滞在。いとこのお家は団地でそれほど広くなかったけど、数泊させてもらって、いとこの通う学校を見に行ったり、地元のラジオ体操に参加したり。いとこも姉妹だったので、女4人でわちゃわちゃするのは楽しかった記憶。いとこに少し年上のお姉ちゃんがいて、その時は私も年下扱いされるから、それも新鮮だった。お姉ちゃんはアルフィー(桜井)のファンで、パチパチとか読ませてもらった。イラストとか描いてて(サングラスの)うまいなーって思ってたなぁ。吉川晃司はまだその頃いなかった気がする。(聞いてない?)
あとさ、ラジオ体操のカード、いつもと違う人のハンコがもらえると、地味にうれしくなかった?私はおばあちゃんやおじいちゃんにもハンコ押してもらってさ、いろんな名字が集まるのがうれしかったな。
両親の実家(=私のおばあちゃん家)はいわゆる「ザ・田舎の家」という感じで、鍵はぐるぐるって回すやつだし、おトイレはボットンだし、トイレットペーパーはなんか普通の紙みたいなやつだったし、異空間過ぎて目がぐるぐるしてました。
どちらも農業やってたので、昼間は田んぼに連れてってもらったり、川で遊ばせてもらってた。トラクターに乗ったり、虫捕まえたり、アウトドアを楽しんでいたなぁー。
父が合流すると、海に行くんだけど、それがとてもきれいな海で。日本海側の海水浴場って、私が育った千葉の海(太平洋側)とは全然違う。水の色も砂の色も、きれいなの。魚も見られるぐらいきれいだった。地元の人しか知らないようなひっそりした岩場とかもあって、貝を取ったり蟹を捕まえたりしていました。
で、海の帰り。水着の上に軽く服を羽織ったぐらいな感じで、うどんとおにぎりを食べるのが、最高においしかった。父も好きだったんだろうな。海の帰りは絶対うどんで、おにぎりが一緒だった。
山口県萩市のわかめって有名みたいで、井上商店っていうところの「しそわかめ」は東京でもいろんなところで見かける。でも、私は子どものころ、しそ苦手だったので、このうどん屋さんの普通のわかめおにぎりの方が好きだったんだよね。
全体にワシャーってついてるわかめの塩っ気が最高なの。いまの私は、混ぜ込んでおにぎりにしてるけどね。(しかも、萩のわかめじゃなくて、別の会社のを使ってるけどwww)
わかめおにぎりは、今でも我が家の定番です。
そう思うと、この子たちに、何か夏の思い出になるソウルフードを残してあげたいなっていう気持ちになるね。(あ、夏終わったけど)
ではではー!はなみきに返します!
はーちゃん
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