母と全く交わらない。一番の身内がこんなにも嫌いかぁ

一般的に母と娘の関係がどうなのか、私には分からない。が、やれ母の日には「母の日に花を贈りました!」や「娘から素敵なプレゼントをもらいました!」というキラキラ投稿が目立つ。そんな中、私まったくその人たちが理解できない。お母さんと手を繋いでショッピングとか意味が分からない。

以前ちらっと書いたが、この歳になってやっと自分が母に対して抱いていたモヤモヤしていた感情が分かり、そしてそれを整理して、母に伝えたのだが、半分同じ血が流れてるとは思えないほどの会話が嚙み合わない。伝えたいポイント結構明確にしましたが、ちゃんと聞いてましたか?と思ってしまった。そして冷静に話す私とは対照的に、わんわん泣きながら感情的になり憎しみをこめたような表情と厳しい言葉で言い返してきた。会話が成立していない。

とりあえず私、母が嫌い。

残念ながら嫌いという表現が一番しっくりくる。この嫌いって母親として嫌いというよりかは、人として嫌い。つまり友達には絶対にならないタイプの人。私はこの嫌いを言葉で伝えるのはまずいと思い、「価値観が合わない」という表現を使って乗り切ったが、母としては、この「価値観が合わない」という言葉を繰り返されてどんなに傷ついたか、と嘆いていた。

子どものときに母親から結構否定されてきたと思う私としては、もはや母に意見することも、母と話し合うことも、自分の中の選択肢にはなかった。なんだろ、興味なさそうに聞き流すことで場面場面をしのいでいた。言ってもどうせ伝わらない、言ったら何か悪いように受け取られる、そんなネガティブな印象って思い返せばずいぶんと小さいときから持っていた。記憶にある限りで5歳、保育園の年長のとき。小学生ではかなり定着していたと思う。

大学に入るころから一気に社会が広がって、自分らしさを出せる人たちと出会ってから私は変われたし、人生結構楽しいと思い始めた。

それでも母との関係は変わらず。むしろ、一人の人間として見るようになったら嫌いさが増していった。やっぱりどこかで母子家庭でふつうじゃない家で育ったことについて憎しみとか恨みとかがあったからだとは思う。そういうの差し引いても、私が個人的に好きな親戚の悪口を一方的に言ってきたり、私の好きな小物や服を「変なの」「きちがいだ」と言ってきたり、実家に遊びに連れて行った友達が帰るとすぐに「変わった子」と言ってきたり、そういうのが本当に嫌だった。

そういう事例も出しながら、私としてはこういうことが嫌だった、でもそれは価値観が違うからだと思う、だからもう少し一人の人間として扱ってほしい、という感じで伝えたのに、全然伝わらない。引っかかった点について永遠と反論してくる。え、そこ要点じゃないですけど?と思いながら聞いていたけど、こちらのことはおかまいなし。

どうして実の娘からそんな酷い言葉をマシンガンのように浴びさせられなければならないのか、どうして一方的に母親であることを全否定されなければならないのか、そんなこと言われるんだったら縁を切ったほうがマシ。

こんな言葉を泣きながら投げつけられた。

なんだろ、とにかく通じないんだなということが分かった。そしてまともに母に対峙すること自体が間違いなんだということも。

この話を友人にしたとき、「関わらないほうがいいタイプの人」と表現されて、ものすんごい納得してしまった。なるほど、積極的な関わりを減らし、しかし最低限のコミュニケーションはとる。別の友人には「事務手続きとしてやるべきことはやったほうがいい」と言われ、それもものすんごい納得。

数日前に近況報告をしたら、その返事が今日になって返ってきていて、その中で

「最愛の娘にあんな酷い言葉を一方的に浴びせられ、この先どう生きていったらいいか分からない」

と書いてあり、せっかく昼風呂でさっぱりした気分が台無しになった。はぁ。それに対してじゃあ私はなんと言えばいいんですか?と返信したかったが、無駄なのでやめて、平謝りだけしておいた。そしてメッセージを削除した。

うちは特殊かもしれない。母子家庭、一人っ子。それだけでも母親の意識は娘に集中する傾向があると思う。けど、親子関係の前に一人の人間として母を見たときに、やっぱり私はちょっと違うと思ってしまう。なんというか思考がまったく理解できない。そしてそれはお互い様。母も私の考えをまったく理解できないのだ。

はぁぁぁぁ。久々に深いため息ついてしまった。

この話を笑ってネタにできる友人がいてほんとによかったと思う。

***

その後、父の話も書きました。


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