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「人間は性差よりも、個体差のほうがずっとおおきい」

読んでる小説で、男の主人公が考えていたこと。I totally agreeです。そのあとにさらに「日本人はあまりにも男と女の区分けにこだわりすぎてるのではないか」と続き、さらに同意。

引き続き読書の日々。こんなにも途切れずに読み続けてるのは久しぶり。楽しいし、若干社会から離れて孤独多めの感じが、とてつもなく心地よい。カフェより自宅または人のいない公園で読む本が一番。

石田衣良さんのREVERSEを読んでいる。女が男のふりをして、男が女のふりをして、ネット上でメッセージをやりとりする話。石田衣良さんて、毎回性別を疑うのだけど、なんとも女性の心情の描写がうまいと思う。

おもしろいなと思うのが、それぞれが別の性別として自分の性別を悪く言うところ。実際私が女として女の悪口を言うと非難される(実生活しかり、noteしかり)が、この二人の場合はお互いが性別を偽っているためうまく成り立つ。そして、タイトルのような「性差でなく個体差」ということに気づけること。そして日本人は無駄に性別やその役割についてこだわってる点も。日々のくっだらねーな、を美しく代弁してもらった感じである。

「見た目とのギャップがいい」とか言われてるけども、個人的には、私が苦手とするスカート・ヒールを身に着けたTHE女の格好をしている女が、「じつは結構男っぽいところがあって」と話してると馬鹿なのかと思う。あ、すいません。「こう見えて、焼酎ロックと焼き鳥が好き」と話してるのも馬鹿だと思う。お前の食べ物の趣味は知らんがな。それがギャップだと話しているならば、世も末だなと思う。ただの服の趣味と食べ物の趣味の話ではないんかい。

男も然り。普段スーツの男が、休みの日にラフな格好をしてるのはギャップではなく、仕事着(スーツは制服)から普段着に着替えただけである。そしたら世のサラリーマンほぼギャップ、またはGAPかいな。色黒マッチョな男が趣味は裁縫です、これはギャップかもしれないけど(否定しづらい)でも単なる趣味趣向の話だと思う。

たまにぼやいているが、私は中性的な人が好きである。どちらにも振れてない、そしてどちらにも振れている人。生物学的性を保ち、社会文化的性を無視した感じの人。私にとって、そういう人の方がフィルターを通さずに個が見えやすいからだと思う。男女の判断の前に、人で判断するというのだろうか。

私自身、ものすごい男女差別をするため(女も男も)、女らしい格好をした女の時点でフィルターを通して偏見の目で見るし、かっこよくスーツを着こなした男もフィルターを通して偏見の目で見る。話し方がおしとやかだったり可愛らしい女性、話し方や振る舞いが男らしい男性、そんなんも偏見の目で見る。一言でいえばただの偏屈、知っとるよ。でも見た目で男女がはっきりしすぎてる人よりも、個がハッキリしてる人の方がやはり興味をそそられるのは否定できない。それは男女とも。

で、ふと思ったのが、noteを始めるときに男と偽ればよかったなと。男と偽った状態でも、性別の違和感を感じられずに、果たして私の戯言は男女ともに面白く(interestingの方)誰かに伝わったのだろうかということ。

女として女を否定することと、男として女を否定することは違うと思う。男から女を否定される場合、それは客観的という要素が入るため、より聞き入れられるのではと思った。しかし私は残念ながら女の端くれであり、その端くれ女が同族女を否定したとしたら、それはたしかに炎上案件だなと振り返ってしみじみ思った。ま、しらんけど。

石田衣良さんが、男性作家として女性の心情をリアルに描くのって、生物的かつ社会文化的な女性性への理解が深いからではないかと思う。そして男性作家によって描写された女性の心情が私は何とも言えず好きだなぁと思った。女性作家のそれとはまた違う安心感というのか、自分でもよく分からないが。

REVERSE、3分の1くらい読んで色々と考えさせられ中なので、この先が楽しみ。今日も買い物行かずして終わるかも。