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自由になりたい

わたしは、あなたたちから自由になりたい。中途半端な理解と優しさで、わたしを、がんじがらめにする、あなたたちから自由になりたいのだ。

元旦に読んだ本の一節。

「流浪の月」凪良ゆう

私は本をすすめるのもすすめられるのも好きじゃない。だからすすめられたものは大抵読まない。ただ、不特定多数の人に対して書かれたレビューは参考にする。私に向けられていないコメントの方が信用できるから。それだけ。

久々に本に呼ばれた。めずらしく、あらすじも見ずにジャケットとタイトルだけで手に取ってレジに向かった本。読んでみて、呼ばれた理由もなんとなく分かった。今読んだ方がいいからだ。

とりあえず、あったかい話だと思った。私には到底この主人公たちの苦しみなんて分からない。周囲や世間からの善意とねじ曲げられた理解、これも私が感じられるのは彼らの何十分の一だと思う。でも幸せなところはフワッと感じられた。だから悲しいとか苦しいとか切ない以上に、私にはあったかい物語に感じられた。

本を読めば大体は自分とどこか重ねてしまう。私は主人公の一人である文(男性)に自分を重ねた。苦しみは比べ物にならないって分かってるけど、文が更紗から受け取ったたくさんの愛情みたいな友情みたいなものたち、そこから変わっていく姿、そんな人を私も見たことがある。彼が見せる小さな喜びの感情、そして負の感情が爆発した瞬間。鳥肌が止まらない。懐かしい人に会ったような気持ちだった。

***

前にも書いたけど、共感は怖い。なぜなら何も知らないから。断片だけで共感することは怖いことだ。分かった気でいて何も分かってない。考え方なのかもしれない、断片だけでも共感できてすごい、なのか、断片だけで共感して怖い、なのか。私は圧倒的に後者である。

この辺のモヤモヤを少し押し出してくれた本だった。

実はnoteを閉じようかと思っていた。ここでできた繋がりや関係性が大事な反面、年末くらいから私はバランスを崩していた。なんとなくその理由はnoteにもあると思っていたから。特定の誰かが、とかではなく、全体的に重く感じていたんだと。私は人の言葉に人一倍敏感であり、にもかかわらず、人へ向ける言葉は切れ味抜群のナイフである。無意識なのか意識的なのか暴力を振るい始めてると思っていた。

誰かから理解してもらって嬉しいが、もしかしたら理解される・共感されるのが少し重いに変わったのかもしれない。そして誰かの文章を理解しなきゃと思っている自分があることにも気づいた。そんなこと必要ないのに。これは正常なのかもしれないし、おかしなことになっているのかもしれない。どっちでもいいのだけど、言葉と思考のアンバランス。

マイペースにただ言葉を綴って、おもしろいと思ってもらえたら嬉しい。共感してもらえたらそれはありがたい。そんなシンプルな感覚が今は薄い。元からだけど、すげー自己中だな。

さて私が自由になりたいのは一体何からなのか。世間も社会もネットも何もない何処かってないのかな。

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追伸:そんなわけでコメントへの返しが雑になってると思います。が、これが残念ながら今の私です。不快な気持ちにさせると思いますので、ヤバイと思ったらご自身のために即ご退出ください。

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