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何をもって共感なのか。

今住んでいるところは三線利用可能である。ちょうど三つの駅の真ん中にある場所で、要するにすべての駅から1キロ弱離れていて決して便利ではないのだけど、でも選択肢が多い。そこが気に入った。

今日引っ越してきてやっと初めて3駅目の開拓に出かけた。一番栄えてないと思い込んでいたが、一番栄えていて、もっというならイケていた。私の好きな感じの商店街にたまにオサレなお店。エスニックも多め。

しっかし今日は寒い。ビビった。どうりで暖房をつけてもイマイチなのだ。歩いてて凍えそうになりながら、目的の駅へ。

周辺をうろうろしてて、コーヒー屋さんとかベーグルサンドの店とか八百屋さんとか焼き鳥屋さんとか、小さいお店が多い。そしてチェーン店ではなく、そこにしかない感じがまた良い。

私の大好きな雰囲気のエスニック雑貨屋さんを発見。帰り道の途中だったので帰りに寄った。あぁ、いい。鮮やかな色使いも、日本にはない模様も、繊細過ぎる刺繍も、独特な形状のグラスも、何に使うのか分からない置物も、不思議な香りも。海外に行けなくなって飢えていたものがそこにはあった。

他のお客さんがいなくなったタイミングでお店の女性に話しかけた。そしたら盛り上がること30分。あれ、こんな話前にも書いたな。そうだ、夫人か(笑)

上述したような海外に出られなくて日本に住んでてストレスが溜まる話から始まり、ワクチン打たない派だったけど海外行くかもしれないからギリギリで打った話(その人も全く同じだった)、魔除け的な意味を持つその国特有のお守りの話(こういうの大好き)、自分にとって大切な国に行けないことの苦しみやもどかしさ、それでも何だかんだと支えてもらうのは身近な外国人の日本人と異なる考え方、そんな話で盛り上がる。さすがに他にお客さんが来ていたので途中から遠慮したけど、でも久々に海外ネタで知らない人と意気投合してしまった。

その女性に対して感じたのはもちろん共感だったけど、共感とは違う言葉で表現したかった。海外暮らしが長い人あるある、日本が窮屈であることが分かり合える人。アイデンティティが近い?ちょうどいい表現が見当たらないけど、シンプルな共感とは違う。

共感、て私もつい使ってしまうけど、それって一歩間違えると押しつけ的にもなりかねないと思う。私は基本的に我が道を歩ければそれでよいのであって、共感してもらうために発信してるわけではない。独り言なのであり、こういうとんでもない考え方の奴もいるのか、っていうどちらかというと最近はエンターテイメント的な感じで書いている。共感は嬉しいけど目的には今はしてない。

そこで共感されても困るんだけど、ということは実生活でも結構多い。ていうか、あなたには多分わからんよ、って思う部分も。それはべつに共感されたくないとかではなく、共感=同志って思われるのが私的にちょっと好きじゃない。だから私も共感しまくることnoteでは多いけど、そこに共感しすぎないようにしている。その人に求めてしまうのは違うし、相手から共感されてると感じた場合、私はそれに応える気は一切ないから。

ん、何の話?

そうそう、エスニック雑貨の店員さん。たぶん私とは違うタイプの派手な感じの方だし、コロナがなければ話しかけなかったかもしれないタイプな気がしたけど、それでも私から話しかけ、盛り上がり、気分よく帰宅した。これはもうタイミングなのだと思う。今を大事にって、昨日書いたっけかな?話したいって思ったから話した。そして気が合った。すごい、よくできてる。

で、ピアスお買い上げ。魔除けのお守りも買いたかったけど、また来る楽しみを残して。デザインを選んだ理由は、太陽っぽいから。あたくしラテンに飢えてます。