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はたらくってイメージ、存在を確かめること

お題に沿って書いてみたくなったので書きます。

私はこう見えても仕事はちゃんとやっている。思考や発想はぶっ飛んでるけれども、ちゃんと働いている。生活するにはお金が必要なのでね。

じつは私はアメリカの大学出てるから英語そこそこ話すし、もう一か国語(中途半端だけど)話せるし、頭は良い方で、若い時の一歩目が商社とかだったら素晴らしい年収をもらって生活していたかもしれない。かもしれないだけだけど。

でも、自分を振り返り、私は一般企業が合ってない。いわゆる新卒の就職活動をする前から分かっていた。というか新卒で就活してなかったんだけどね。そもそも卒業と同時に会社に就職するとかちょっと意味が分からなかったし、今も分からない。何かが違うと。日本の公教育が合わないのだから、その大人版のような会社で働けるわけないとどこかで悟っていたのだろう。一般企業に就職してスーツ着て、OLをするなんて一度も考えたことがなかった。いま考えても、OLしてる私、気味が悪い。

結局ニッチな世界にやってきた。非営利・非政府組織の団体職員である。でもこれって実は中学生くらいの時から入りたかった世界だった。具体的に考え出したのは大学に入ってからだけど、会社で働くイメージができなかった私だが、団体職員として働くイメージはずっと漠然とあった。

ここから先に書くこともそうかもだけど、私はとにかくイメージの人間である。イメージというと聞こえがいいが、要するに妄想である。想像でもいいけど。この空間で、この人たちと、こんな仕事をしたい、そう妄想できるかできないか、それで決まる。

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私に仕事観を与えてくれたのは、高校卒業後にバイトしていた飲食店である。高校生ですでに自分が人嫌いで社交性がないことを自覚していたため、これはアカンと思い、わざわざ人と接する接客の仕事をしようと、しかも食べるのが好きだから食べ物屋さんがいいと思い、飲食店でのバイトへ。これからアメリカへ留学するってやつが和食屋で。

人嫌いもそうだが、とにかく気が利かなかったんだと思う。そんなところにきて接客業というのはものすごい苦行であった。まず笑顔が無理。幾度となく怒られたし、目つきが悪いと注意されたことも(今も悪いけど)。初めのうちは自信がないものだから、ぼそぼそと話してしまいお客さんを不安にさせる。また怒られる。

辞めたいって思いながら、それでもなぜか続けられていた。今思うと不思議で仕方ない。気づいたら楽しくなっていたのだ。

ちゃんと気づいたのは三か月以上経ってからだったが、料理人の人たちがホールでワタワタしてる私を見守ってくれていたのだ。そして徐々に成長していた私のことをきちんと評価してくれていた。「お前、最近いいな」と、最初は嘘だろと思っていたけど、具体的にこういうところができていたと褒めてもらったときに、「あ、本当に見てもらえてるんだ」と気づいた。そしてそれってそれまで私が体験したことのないものだったのだと思う。学校の授業でもそうだし、部活を半分くらいやってなかったこともあって、特定の先生に褒められるとか、もっというと見られている感を持ったことはなかったのかもしれない。

チームで働くことを覚えたのも確実にこのバイトでである。人には得意不得意があるとか当たり前のようだけど、それを実感したのはこの時だったと思う。スムーズに回すためのベストな配置。そして連携。単純に面白かった。

そして何より、お客さんが私のことを覚えててくれたこと、喜んで帰ってく姿、そういったものに触れられたのが、一番得たものだと思う。「どのお酒が美味しい?」と聞かれ、完全に個人の趣味で、しかも当時未成年だったけど、「私はこれがオススメです」と自信満々に勧めたら、「お姉さんのチョイス素晴らしい」と褒められたこと。今でも鮮明に思い出せる。

人のために何かすることの喜びを、おそらく初めて実体験したのがこの時だったんだと思う。そして仕事って、自分のお金のためもだけど、それ以上に誰かのために何かすることなのだとも。

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接客なんて向いてないと思っていたのに、じつは向いていたんだと思う。人嫌いで社交性低い割に謎のフレンドリーさ、どこで培ったんだか知らんが、ある意味強みだったのかもしれない。ここで一つ、自分のやりたいことのイメージがついたと思う。

つまるところ、今やっている仕事も、前やっていた仕事も、すべてこの接客業に通じるところがあり、つくづく自分は「目に見える誰かのための何か」をしたいのだと思った。意識してか無意識か、大体そういう仕事を選んできている。今の仕事もそう。業界用語を使うなら、裨益者がはっきりしている。利益は生まないけど、特定の誰かの利益になる、そんな仕事なのだと。

それってたぶん、自分という存在を確かめられるんだと思う。自分自身は非力で、大したことできないけど、その非力でも誰かの役に立つし、小さくてもインパクトが与えられる。それを見ちゃうとやっぱりやめられないんだと思う。やればやるほど、このイメージはより具体化されていくし。

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利益を生まない組織にいるため、給料は低い。かなり低い。でもそれ自体が不満だと思わない。ちょっとしたやりがいの搾取なのかもしれないが、心の部分のリターンは大きい。会社勤めのサラリーマンやOLができないことをやらせてもらってると思う。大袈裟ではなく人の生死にかかわる部分で貢献したこともある。一度先輩に言われたことで「俺たちはこの仕事ができる、現場に出ることができる一握りの存在なんだ」と。なかなかそんな仕事はできない。

ただね、やはり老後を考えると金はあった方がいいと思う。だからといって今さら会社勤めは無理である。つまんないから。いや、つまる会社もあるかもしれないけど、内容だったり、人だったり、面白い要素が詰まったこの業界に足を踏み入れてしまうとなかなか抜け出せない。誰かが言ってたけど、足を洗うのは難しいのだとか。

きれいなオフィスできれいな服ときれいな化粧をして働くのなんて性に合わない。これがオフィス?みたいなところで、ほぼすっぴんでTシャツにジーパンにビーサンで働ける今の環境が自分には合ってる。流行りのお店のランチ、コスメ、服、そんな話よりも、紛争地域で働いてたとか、井戸水しかない村で生活してたとか、感染症で死にかけたとか、同僚とはそんな話したい。だって面白いから。

そう思うと、私は子どもの頃からやりたいと思っていた仕事にも就けて、文句は膨大にあるが、それでも仕事という点では恵まれているのだと思う。少なくとも民間企業で働いていた時のような様々な意味での絶望感はないのかな。

以上、オチはなし。今日は振休で時間があるから久々に色々と書けてよかった。