【映画感想】第七の封印
七回は寝落ちしました。
というのは本当だけど決して面白くなかったわけではないよ!
観たとき疲労が溜まっており会話シーンが多かったので何度も寝落ちては巻き戻して七時間くらいかけて観た。
【ストーリー】
監督・脚本:イングマール・ベルイマン
製作国:スウェーデン
公開年:1957年
主人公は騎士のアントニウス・ブロック。10年にわたる十字軍遠征で何の成果も得られず疲弊して帰国の徒につく。
そんな彼の前に死神が現れ、死を宣告されるが、彼は死神に対し自分の命を賭けたチェスの対決を申し込む。
妻の待つ居城へと向かう道すがら、黒死病、貧困、堕落した聖職者、魔女狩りなど様々な理由で苦しみ神の救済を求める人々に出会いながら、彼自身も信仰の在り方に迷い、神の示す答えを求め続けていた。
「第七の封印」てのは最後の審判を起こすために解かれる七番目にして最後の封印のこと。
【神の実在性を問う】
悲惨な現世に対し、主人公はいっこうに救済や奇跡を示さない神の実在の証明を問う。
日本人の私にはピンと来ないが、一神教の信仰者には信仰の基盤に関わる大きな問題なのではと思う。
同監督は「処女の泉」という同じように神の実在性を問う映画を撮ってる。
第七の封印はよりシビアかつ象徴的に同じテーマに挑んでいる印象だ。
【現世にある地獄と天の国】
作中では魔女狩りや、黙示録を待つ病み人の群れ生々しく描写される。
一方、旅芸人の親子はささやかな憩いの中、子供をあやす聖母マリアの幻覚を見る。
地獄は現世のちまたに溢れ、しかし天の国もまたすぐ隣にある。
めしいた人々にはそれが見えず、ただ苦痛と疑問をうったえるばかりだ。
【リドリー・スコット監督のキングダムオブヘヴンを思い出す】
この映画の主人公は自殺した妻の魂の行方について葛藤を抱え、天の国の在りかを求めて十字軍としてエルサレムへ向かう。
第七の封印と同じように神や天の国の実在性と信仰についてのジレンマや葛藤を描いてる。
「天の国は何処に?」という主人公の問いにどんな答えが示されたかは一見の価値ありだと思う。
150分くらいのクソ長い映画だが深いテーマと美しく広大な自然、迫力のある戦闘シーンは白眉。
【さらに衛府の七忍を思い出す。】
「何でここで衛府の七忍なんだよ!!」
と思う人もいるかもしれない。が、
「どうして神は自分をパライソに迎え入れないのか?」というレジイナが武蔵の姿に救済を見いだしたのは。「神の実在への問い」とその答えであり、第七の封印のテーマと共通してると思う。
決して武蔵の中にレジイナの求める答えがあったわけではなく、「武蔵の姿を鏡にしてレジイナは自分の中の神の姿を見た」ということだと思う。
だから同じように「武蔵を鏡にして自分の中の神の姿を見たがそれを否定した」レジイナの父は救済を得られなかった。
【奇想:滑稽さと死】
病み人の行列、死神に連れられ歪に踊る人々。
この映画は滑稽に見えて不気味で死の不安を想起させるシーンが多い。
主人公の道連れたちも愉快な人間たちだ。だから余計に避けきれぬ死の存在が重くのしかかる。
ヒエロニュモス・ボスやブリューゲルのような奇想の絵画に似て、滑稽さと不気味、恐怖、死は紙一重なのだ。
【ヴィジュアルがかっこいいよね】
死神のデザインがかっこいい。モノクロ映画ならではのデザインだ。
弐瓶勉先生のBLAME!にも似た見た目のセーフガードが出てくるので実はモデルじゃないかと思ってる。
【ビルとテッドの地獄旅行】
「何でここでビルとテッドの地獄旅行何だよ!!」
と思う人もいるかもしれない。
第七の封印の死神のパロディキャラ(足が臭い)が出てくるのだ。
この映画もとても面白い!若い頃のキアヌ・リーヴスが主演だ。
【まとめ】
「何をまとめるんだよ!!」
と思う人もいるかもしれない。
普遍的なテーマを扱った映画だ。上記はあくまで私の中の感想と考察なので観る人によってまた違ったテーマや答えを導きだすかもしれない。
映画史に残る傑作だが、七回寝てしまう可能性もあるので、鑑賞は体力がある時をおすすめする。
【ヲワリ】
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