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にじさんじの VTuber を見続けて3ヶ月が過ぎた

(ヘッダー画像は「サイケデリック」で検索したフリー素材です)

にじさんじという VTuber 集団を見るようになって3ヶ月が過ぎた。それによって VTuber というものに対する見方が変わり、さまざまな誤解をしていたことが明らかになった。おそらく今後も明らかになっていく。

そこで、現時点での印象を文章にまとめることにした。いわば「3ヶ月のニワカは、どういう目でにじさんじを見ているのか」のサンプルである。すでに沼っている人やこれから沼る人たちのために、何かの参考になれば幸いである。

なぜ見始めたのか

普段聞いている「匿名ラジオ」というネットラジオに、にじさんじ一期生のつき美兎みとがゲスト出演していたからである。僕はこのラジオをよく単純作業の BGM にしていたのだが、最近とうとう5年分のアーカイブを聞き尽くしてしまった。「じゃ、次はあの VTuber さんでも追ってみるか」とチャンネルページを開いた。

BGM がほしいので、画面の動くゲーム実況は避け、雑談配信のアーカイブを端から聞いてみた。東京近郊のB級スポットに行った体験レポが多い。バーチャルの住民という字面とは裏腹に、ずいぶん精力的に外出する人らしい。自分も旅行記を書く身なので、こういうのは参考になるし面白い。

行く場所の選定から語り口、ちょいちょい挟まれる自筆イラスト、16歳とは思えない人生経験や含蓄あるコメントなど、たいへんな話上手である。チャット欄に書き込むリスナーのあしらい方も見ていて心地いい。「クリオネを食べるなどの奇行で目立ってる人」という前印象があったが、やはり人気の出る人には基本的なスキルがあるのだな、と思う。

この段階で驚いたのは、頻繁に VTuber 同士がオフラインで遊んで、その体験レポをしていることである。VTuber の素顔といえばミッキーの中身と並ぶ絶対的秘密であり、同僚であろうと顔を見られれば死ぬイカゲーム運営じみた組織だと思っていたため、そんな牧歌的な関係がまかりとおる環境だとは想像だにしていなかったのだ。

今考えると「いや同僚と遊ぶくらい普通だろ」という感じなのだが、3ヶ月前はそんなことにカルチャーショックを受けたのを覚えている。認識の変化というのは恐ろしい。こうした変化を覚えているうちに記すのがこの note 記事の目的である。

こちらは印象に残った配信。幼少期に「命に終わりがある」と知ったときの体験談を、自分や同業者、リスナーから募って読み上げるというものだ。VTuber は活動場所こそ動画サイトだが、文化的にはテレビよりもラジオに近い、というノリがこのあたりで見えてきた。

男性ライバーの存在感

月ノ美兎の雑談アーカイブを2年分ほど見たあたりで、そろそろ他のライバーも見てみるか、と一覧表を調べてみた。

(ここまで「VTuber」と書いてきたが、にじさんじ内ではバーチャルライバーもしくは単にライバーと呼ぶ。これは YouTube 以外のプラットフォームも使用すること、収録ではなく生配信ライブが主体であることに由来するらしい)

この段階で目を引いたのは男性の多さである。VTuber というのは女性が基本であり、男性はボイスチェンジャー等を使って女体化する(いわゆるバ美肉)と思っていた。だが、にじさんじは公式設定が男性のライバーが4分の1ほどおり、とくに垣根もなく一覧表に並んでいる。これはにじさんじの大きな特徴であるらしい。

おじさんの多い画角

それならば次はと男性を見てみる。ゲーム実況ではなくトーク主体の人を探し、ジョー・力一りきいちの朗読配信を見つけた。太宰治「駈込み訴え」は僕がペンネームの由来にするほど好きな小説である。さっそく聞いてみたら、演技の巧みさに驚いて反射的にチャンネル登録した。

中盤で「あの人は私の女をとったのだ、いや、ちがった、あの女が私からあの人を奪ったのだ」と言い直すシーン(22:15)。生配信ゆえのミスかと思って青空文庫を見てみたら、ここは主人公が混乱極まって言葉を誤る場面だった。自然すぎて本当に読み間違えたのかと思ってしまった。

そんな感じで数人ほどメインで追うライバーを決め、あとは YouTube が勝手に勧めてくるものを見ることにした。感覚としては食事中になんとなく見るテレビに近い。チャンネルを回して知ってる顔が出てるから見る、そのうちに知らないタレントも知った顔になっていく、という具合だ。

2Dの体を使う

「VTuber といえば3Dモデル」と何の疑いもなく思っていたのだが、にじさんじはその名が示すように2Dと3Dを両方使っている。まず肩から上あたりまでが動く2Dでデビューし、登録者10万人くらいで全身が動く3Dモデルが製作され「3Dお披露目配信」が行われる。人気漫画がアニメになるような仕組みだ。

といっても、ゲーム実況や雑談配信であればライバーはほぼ正面を向いているため、3D化した後でも2Dで済ませることも多い。ずいぶん合理主義的なやりかただ。

では製作・撮影にコストのかかる3Dはいつ使うのかというと、複数人のライバーがスタジオに集まる企画が多い。具体的にはローション相撲大会などがある。さっき「合理主義」と言ったけど不合理の塊だった。

YouTube で「にじさんじ 第一回」で検索すると、こうした謎の大会がたくさん見つかる。第二回はあんまりない。

集団としての性質

男女が混じっている時点で「アイドル的な集団ではない」とは了解していたが、「にじさんじは何的な集団なのか?」と言われると形容が難しい。そもそも高校生と会社員とピエロと農家と悪魔とエルフと柴犬が同居する箱に適切な形容詞を付けられるほど日本語はサイケデリックな言語ではない。

どんな理念で箱を作ればこうなるんだ、と思って調べると、どうも成立経緯が関係しているらしい。もともとはゲーム実況を主体とする「にじさんじゲーマーズ」や芸人気質の強い「にじさんじ SEEDs」といったグループが別々に存在し、後に統合されたことで、現在のカオスな状況が成立したそうだ。まだ数年の歴史しかないV業界に、そんなマダガスカル島の人種構成みたいな複雑な経緯があるなんて。

しいて稚拙な比喩をするなら、にじさんじは共学の学校のような場所かもしれない。学校は「こういう学校を作りたい」という組織側の目的意識で人を集めるわけではなく、「こうなりたい」という生徒が集ることで成立する集団である。学級委員長たる月ノ美兎が顔役をしているのはその象徴といえる。

男女のユニットを作って歌動画を上げたりも普通に行われているし、他にも男性ライバーを攻略する乙女ゲームを作るなど、男女混合ならではの企画も多数行われている。

これを主導している緑仙リューシェンという人は企画力に定評があり、面白い企画を考えて他のライバーを巻き込んでいる。トークスキルやゲームの腕だけでなく企画力で目立つ人がいると言われると、ずいぶん社会としての立体感が出る。この「社会っぽさ」がにじさんじの魅力のひとつなのだろう。

「切り抜き」の文化

これは VTuber に限ったものではないが、YouTube には配信の切り抜き動画が多数投稿されている。数時間におよぶ配信から面白い数分間を抜き出して、字幕や解説などをつけて投稿するというものだ。一部はライバー自身やにじさんじ公式によるが、多くは視聴者による非公式の投稿である。

僕は当初これを「ファスト映画」的なものだろうと思って避けていた。「ファスト映画」は2時間映画を無断で10分ほどにまとめて動画サイトに投稿し、広告で収益化を図るもので、著作権法違反として逮捕者も出ている。

ファスト映画がなぜ問題なのかと言えば、そもそも映画は監督が長時間撮影したデータを「この部分を見せたい」という意図をもって2時間に編集するからである。それを赤の他人が勝手に再編集するのは重大な権利侵害である、というのは大いに納得できる。
(同様の理屈で配信サイトの早回し機能を問題視する声もある)

しかし、VTuber の「切り抜き」についてはどうも VTuber 側が容認しているようである。ライバー自身が良質な切り抜きを再生リストにまとめたり、配信中に「この部分はネタバレなので切り抜きNGです」と宣言したり、中には「もっと切り抜きが作られてほしい」とぼやくライバーもいる。

考えてみれば、ライバーの活動はそもそも生配信主体、つまり編集を経ていないのである。この点が映画と根本的に違う。つまり視聴者が見やすい切り抜き動画を投稿することは、編集作業をネットの海にアウトソーシングしている、という見方もできる。

とはいえ、中には切り抜きの恣意性に不満を持つ視聴者もいるだろうし、そのへんには色々とややこしい感情があると思われるため、あまり全肯定的には捉えていない。なお僕自身は BGM 用途が主体なので、非公式の切り抜きはあまり見ていない。

バーチャルな存在への向き合い方

もともと VTuber は「YouTuber のバーチャル版」として登場したものである。このため黎明期では、バーチャルであることをどう活かすかに主眼が置かれていたように思う。始祖であるキズナアイが「人工知能」を名乗って真っ白な空間で活動しているのは、そうしたバーチャル性の表現である。

だが VTuber の数はすでに1万人を超える。こうなるともはや「バーチャルである」という事実にこだわる段階は終わりつつある。その典型例として、にじさんじではライバー4人が現実の無人島で生活するという、清々しいほどにバーチャル向きでない動画も存在する。

無人島の実写映像に3Dモデルを重ねる形式のため、撮影の苦労がカットひとつひとつから伺える。「なんでこんな理不尽なことをやるんだ??」とツッコミつつも、この非効率な試みは VTuber という文化がひとつの成熟をとげたことを象徴している。

つまり「VTuber という技術がある。それで何ができるか?」という問題意識はここには存在せず、「面白い人たちがいる、なんか面白いことをやろう」という態度でやれる段階にきている、ということである。短い歴史でずいぶん高いところまで進んだものである。

元々にじさんじというのは「一般人が VTuber になれるアプリを作って公開しようとしたのに、アプリ配信が上手くいかず、かわりに集めた公式ライバーでタレント事務所的な業務をはじめた」という、相当に行き当たりばったりな組織らしい。動乱の激しい VTuber 業界はそのくらいのアドリブ力がなければ渡っていけないだろうし、僕はそういう人たちは大好きである。


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