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プロパンガスのある新生活

いつとは言わないが、2020年のある時期に引っ越しをした。

小説家となってからはじめての引っ越しだった。部屋選びの段階から「小説家の自宅」を意識したので、仕事のもの(机、本棚、書類入れ)しか置かない仕事部屋を作って、寝室やキッチンと分離した。単身者としては部屋が多すぎるが、いつ人外美少女が押しかけて共同生活をすることになっても安心である。エアコンも2台ある。

仕事部屋から生活臭を遮断することで、どうにか自宅で原稿ができるようになった。小さなことのようだが、僕にとっては大きな躍進である。学生の頃から自宅で勉強するのが苦手で、学食、図書館、喫茶店、サイゼリヤを梯子して生きてきたが、いまやどれも近所にない。部屋のスペックを上げるために立地条件を思い切り下げたので、最寄りのコンビニにも自転車が必要だ。

自宅には固定回線を引かず、従量制のSIMだけにした。帯域制限を食らっても 1Mbps 出るプランである。1Mbps といえば ADSL 相当だ。阿部寛を除く全人類のインターネットが光回線に最適化されている今日では ADSL がブロードバンドとは言い難いが、Zoom 会議くらいなら普通に足りるし YouTube も360pにすれば見られる。帯域制限の 1Mbps というのは安定して 1Mbps 出るので、ぶつぶつ切れる Wi-Fi よりもよほど使いやすい。

映画やドラマを見るときは iPad を公共 Wi-Fi が飛ぶ場所まで持っていき、そこでダウンロードして自宅で見ている。レンタルビデオ時代に戻ったような気分だが、これだと1作品に集中できるので、ドラマやアニメを1シーズン全部見られるようになった。これも今までできなかったのだ。

Netflix で韓国ドラマ『愛の不時着』を見た。韓国の実業家女性が事故で北朝鮮に不時着して兵士と恋に落ちるという話だが、『JSA』みたいな悲劇ではなくコメディ要素多めで気軽に見られるので1時間×16話全部見てしまった。こんな長いドラマを全部見るのは小学生のころのNHK大河ドラマ以来である。「北朝鮮の言葉がお上手ですね」「俺は詐欺師だぞ、済州島の方言も話せる」というセリフがあり詐欺師スゲーなと思った。日本でいえば琉球語じゃん。

ダウンロード型コンテンツを消費する時間が増え、かわりに Twitter を使う時間がぐっと減った。僕にとって営業ツールなのでずっと放置するわけにはいかないが、投稿するテキストを事前に準備してパッと投げてサッと離脱するような運用を考えている。トレンド大喜利をしなければタイムラインに張り付いている必要はないのだ。

あと「ネットで見かけた漫画を読んでみる」ということをあまりしなくなった。すでに愛読している作家・作品であれば計画的にダウンロードして読むのだが、細い回線だと面白さの保証のない漫画を読む余裕があまり持てないのだ。みんなが僕のような生活をすると新人漫画家が困るので、立場上あまり推奨しない。

近所に飲食店がないため、いきおい食事は自炊中心になる。今までの家はIHひとつだったが、2口コンロのガステーブルを新たに導入した。都市ガスとプロパンガスで使えるコンロが違うことをはじめて知った。いまどき家電製品も 50Hz/60Hz で共用できるが、さすがにガスの熱量差はコンロで吸収できるものではないか。

そもそもなぜガスが2種類あるのか。都市ガスというのは地下にパイプラインを配備してメタンガスを流すのだが、メタンは常温で液化しないため、備蓄には巨大な設備が必要になる。一方、プロパンガスは圧力をかければ液化するので、タンクに詰めて配送・備蓄が可能で、パイプラインを配備できない人口希薄地域に適している。供給手段によって適切なガスが異なるせいである。

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ところで最近はソロキャンプが人気だが、キャンプ用のバーナーにはプロパンよりもっと液化しやすいブタンが入っている。缶の耐圧性が低くて済むので、ザックに入れて山登りもできる。ただし今度は逆に寒いと気化しなくて燃えないので、冬用のバーナーにはプロパンガスが混合されている。冬キャンプの計画がある人はバーナー選びに注意してほしい。火がないと悲惨である。

さらに液化しやすいのがガソリンで、これはもう常温で液体なので一般人でもセルフスタンドで簡単に給油できる。「備蓄時は液体、燃焼時は気体」というワガママな要求をクリアするために燃料が色々使い分けられているのである。

話が逸れたが、我が家のキッチンに戻る。(授業とかではだいたいの脱線は教師が本気で話したい内容なので、そっちの方が面白い)

2口のコンロを買ったらグリルが勝手についてきたので、トースター代わりに使っている。学部時代に買ったレンジ兼トースターは500Wの弱々しい電熱で「焼く」というより「温める」に近い有様だったが、グリルなら冷凍状態からも2分ほどでこんがり焼ける。これは革命である。個人的に調理には「3分の壁」があって、ここを超えるかどうかでタスクとしての粒度が全然違うのだ。

僕のような「ときどき料理する一人暮らし」にとって、賞味期限の短い食パンは(米や乾麺に比べて)かなり使い勝手が悪い。だが新生活における自炊頻度の急増、および冷凍パンを戻すだけの火力によって、一挙にパン食生活が視野に入り、パンに合う主菜が作れるので料理のレパートリーもだいぶ広がり、家庭料理に文明がもたらされた。まさにプロメテウスのプロパンガスである。

ということで、どうにか自宅を(仕事するにも生活するにも)快適な場所にできたので、ひとまずここを拠点にして「外出しない生活」に慣れ、現状の災禍をやりすごそうと思う。


最後に宣伝だが、年が開けてすぐの1月14日、僕の長編第3作『未来職安』の文庫版が双葉社より発売する。人間の労働が不要になった未来における仕事ぶりを描いた新感覚?お仕事小説である。

単行本を書いた時点からずいぶん社会情勢が変わり、「日米をまたいだ遠隔勤務」みたいなのは執筆当時はSFギミックだったつもりが、すっかりリモートワークが日常となり、むしろ陳腐ささえ感じる。そのせいで、当時はだいぶ荒唐無稽に思えた未来描写も、なにかのきっかけであっさり実現するのではないか、という希望的観測(未来予測が当たるという意味での希望)を持っている。

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いすかり・ゆば、小説家。『横浜駅SF』(カドカワBOOKS)、『人間たちの話』(ハヤカワJA文庫)など。note では旅行記と科学技術系エッセイを中心にやっています。