見出し画像

海苔(のり)を消化できるのは日本人だけという論文を読んでみた

昆布、ワカメ、そして海苔といった食材は和食において不可欠なものだ。古くは柿本人麻呂が海苔についての和歌を読んでおり、その利用は先史時代に遡るという。だが海藻を食べる文化は西洋人から見ると奇異に映ったようで、民族ジョークにもなっている。

レストランであるフランス人が言った。
「日本は物が豊かだと聞いたのに、海藻なんかを食べている」
それを聞いた日本人が言った。
「フランスは物が豊かだと聞いたのに、カタツムリなんかを食べている」
そして二人が言った。
「イギリスは物が豊かだと聞いたのに、イギリス料理なんかを食べている」

こうしたジョークは世界各地で人気があり、日本でも早坂隆『世界の日本人ジョーク集』などがベストセラーになったが、最近はこのような笑いに白い目を向けられることも多い。国や民族に対する偏見を助長することはもちろん、グローバル化著しい現代においては、ジョークで語られる民族像が現実に追いつかないからだ。

いまや海苔巻き寿司は世界各地で普通に食べられているし、カタツムリも日本のサイゼリヤで400円で出てくるので、これらが他国で食料不足の象徴かのように用いられるのは現実味に欠ける。英国もどんどん構成民族が多様になってきているので「イギリス料理」を十把一絡げに語るのはかなり困難だろう。

さて、こうした海苔食の文化に関して、10年ほど前から言われだしたことがある。

「海苔を消化できるのは日本人だけ」

である。「海苔 消化 日本人」で検索するとたくさん記事が出てくる(本記事もいずれそこに並ぶだろう)。有史以前より海苔を食べ続けた日本人がそのような消化機能を獲得した、とのことらしい。

だがこうした「日本人の特徴」みたいな話も、最近では眉に唾をつけたくなる人が多いだろう。我々は自民族にも他民族にも「勤勉」だの「集団主義」だのといったイメージを根拠なく抱きがちだから、こういうのも伝言ゲーム式に話が膨らんだ結果では、と疑いたくなるのだ。

こういうときは話の大元にあたるのがよい。発端となった論文を読んでみよう。2010年の Nature に掲載されている。

著者はフランスの研究者である。なぜ日本人の消化能力に興味を持ったのだろうか。パリの高級レストランでエスカルゴを食べながら「もしかして日本人って海藻を消化できるんじゃないか? 調べてみよう!」と思ったのだろうか。そんなわけはない。

本文によると、海藻の中でもとくに紅藻類に含まれる多糖類について調べよう、というのが元々のモチベーションらしい。紅藻類とは一般的な海苔(アマノリ)を含む植物の分類である。「海苔って赤くなくね?」と思った人は環境省のこのサイト見てほしい。

海藻の多糖類と言われても「なんでそんなものを?」と思われるかもしれないが、ゼリーや歯磨き粉などに広く使われている物質なので、研究の意義については理解しやすいだろう。ちなみに僕は卒研時代に研究に有用な道具についての研究をしていたので、一般の方に意義を聞かれるとたいへん困った。

著者らは「海藻に付着しているバクテリアは、海藻の多糖類を分解して、栄養にする遺伝子を持ってるはずだ」と思って調べて、案の定見つかった。これを遺伝子データベース GenBank で検索し、同じような遺伝子を持った生物を探した。普通に考えると似たような海洋バクテリアが多数ヒットするはずで、実際そのとおりだったのだが、1つだけなぜか腸内細菌がヒットしたらしい。

こういうデータベースは過去に世界中の研究者が調べたことを地道に登録していくので、登録された各データは元の研究論文が追跡できるようになっている。問題の腸内細菌は日本の研究者が日本人の腸から取ったものだったので、これを見て著者は「もしかして日本人には海苔を消化する腸内細菌がいるのでは?」と考えたようだ。

そこで、13人の日本人と18人の北米人のボランティアを集めて、腸内細菌のメタゲノム解析(1個1個の細菌ではなく、多種多様な細菌集団のゲノムをまとめて読む)を行ったところ、日本人の4人からこの硫黄多糖類を消化する遺伝子が見つかったが、北米人18人からはひとつも見つからなかった、とのことである。めでたしめでたし。

さて、ここで注意してほしい点がいくつかある。

1) 海苔の消化はあくまで体内に共生する腸内細菌の能力で、日本人のDNAに組み込まれているわけではない。

2) あくまで海苔に含まれる一種の多糖類の消化能力であって、海苔の栄養素全体について述べてはいない。

3) 調査の対象となったのは日本人と北米人それぞれ十数人。つまり日常的に海苔を食べる韓国人は調査していない

4) 調査対象となった日本人のうち、海苔を消化する細菌が見つかったのは半分以下。

こうしてみると、「海苔を消化できるのは日本人だけ」という文が持っていた民族の特殊性のニュアンスはだいぶ薄れてくるだろう。日本人であることと海苔を消化できることは一対一対応ではない。

ちなみに、文化的に海苔を食べるのはアジア人のほかに、ウェールズ(英国の南西らへん)ではペースト状の海苔をパンに塗って食べるらしい。また現代の欧米人が日常的に寿司を食べていることは先述したとおりだ。こうした人達は腸内に海苔消化細菌を持っているのだろうか? 論文中では言及されていないので、ちょっと状況から推測してみよう。

まず、日本人(の一部)の腸内細菌が海苔消化遺伝子を持っているとして、それはどこから来たのか。「必要だから獲得した」というほど生物は万能ではない。我々は常に現金が必要だが、腸から万札はわいてこない。何かしらのプロセスで腸内細菌が海苔消化遺伝子を獲得したはずである。

これについては論文中できちんと言及されていて、どうやら腸内細菌が独自に進化したのではなく、外部から海苔消化遺伝子が持ち込まれたらしい。外部とは何か? もちろん論文中で登場した海洋バクテリアからである。

細菌というのは親から子といった縦方向に限らず、隣にいる細菌に遺伝子をやりとりすることが普通に行われる。高校生物を履修した方であれば、肺炎双球菌の形質転換を覚えておられるだろう。

つまり、日本人が海苔といっしょに海苔消化バクテリアを食べ、腸内細菌がそのバクテリアの海苔消化遺伝子を拝借した、ということらしい。意外にも人体は、微生物レベルでごく限定的ではあるが、食べたものの能力を吸収するカービィじみた能力を持っているらしい。

となると、韓国海苔は伝統的に加熱調理しているので、海洋のバクテリアは腸に来る前に分解されてしまう。海苔消化遺伝子を腸内に抱え込んでいる可能性は、日本人に比べると低そうだ。また現代の海苔も加熱調理をしているので、寿司の好きな人でも持っている可能性は低い、とのことである。

なお、腸内細菌が人から人に伝達する経路についてはよくわかっていない(と思う。少なくとも僕はよくわかっていない)が、論文中ではボランティアの中で乳児とその母親の間に共通の腸内細菌が見つかることを受けて、親族の間の伝達を示唆する、としている。

なので、日本人の海苔消化細菌も古代に獲得されたものを継ぎ足し継ぎ足し使っている可能性があるが、ごく最近のネット記事で、日本の海藻メーカーの社員は一般の日本人よりも海藻を消化する細菌が多い、というのもある。

査読付き論文の話でないのであんまり鵜呑みにしたくないがあえて鵜呑みにすると、海藻メーカーの社員が世襲制とは思えないので、こうした腸内細菌は一世代だけで獲得できるということになる。

このへんはあまり断定せずに、今後の研究を待ちたいところである。アレルギーや肥満、さらには自閉症などが腸内細菌の影響であるという研究成果が出つつあるため、これからの進展が期待できそうな分野だ。

ただ、腸内細菌に過剰な期待をする動きも見られるようになった。Amazon で検索してみると「腸内細菌さえ整えば全部うまくいく」というような進研ゼミの漫画みたいな書籍を見かけるが、基本的に生命現象はどれも多数の要因が絡み合った複合的なものなので、ひとつの要素で部活も勉強も恋愛も全部うまくいく、なんてことはない。


この分野についてより詳しく知りたい人は、『あなたの体は9割が細菌』(アランナ・コリン著/矢野真千子訳)がちょうどいい思う。細菌の有用性の話をする際に、前置きとして抗生物質や公衆衛生がいかに人類に貢献してきたかをきちんと述べる態度に公平性を感じる。

あとは『土の文明史』で知られるデイビッド・モンゴメリーと、妻であり生物学者であるアン・ピグレーの共著『土と内臓』。土壌細菌に晒される植物の根が「裏返した内蔵」である、という表現は見事だ。


余談:今年の春に WIRED Vol. 40 に月面基地と腸内細菌をテーマにした短編小説「土なき月の基地の土」を寄稿した際、編集の小谷さんに英語タイトルとして『土と内臓』の原題 The Hidden Half of Nature をもじってた「The Hidden Half of the Moon」というのを提案された。発想がすごくいいと思ったのだが、問題は「月の隠れた半面」はどう考えても月面の裏側であってこの話に出てくる基地は表側なので別の英題にしてもらった。完全に余談。


ところで、僕がこの note で貼っている書籍紹介は Amazon アフィリエイトである。あなたが購入した代金の一部が Amazon から僕に「紹介料」として支払われる。この note 科学記事は無料で公開しているので、継続的な執筆のためにちびちび稼ぎたいというのが正直なところである。

もちろん直接的にサポート ↓ をいただけるとより助かる。


文章で生計を立てる身ですのでサポートをいただけるとたいへん嬉しいです。メッセージが思いつかない方は好きな食べ物を書いてください。