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退職して一週間後、主人が突然死にました。 4

急に死ぬと大変。知られたくない事はダンシャリしとけよなな話

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


お葬式を出すということは
どのおうちでも大変なことなのでしょうが

急に亡くなるってのは
想像を超える大変さでした。

しかもわたし
「誰も相談にのってもらえませんでしたので
一人でことをすすめるしかありませんでした。」

という大悲劇劇場の主人公をやり続けておりました。

助けないなんて
誰も言ってないです。

勝手に一人でやっちゃっただけです。

「誰も助けてくれない」「ひとりでがんばってる」
世界の私は周りのみんなに「かわいそうなわたし」って
見てもらえることが

ほんとに至福でした。
いや、ほんとうに悲劇だったんですけど、
潜在的には「思い通りのかわいそうな人になった」ことに
喜んでたわけです。

ほんとうに「教えてもらう」ことが大嫌いでした。

誰かに聞いて教えてもらったら
いろんなことが助かったはずなのです。

しかし自分でなんでも決める。
(くせにひどいわなんでもあたしひとりにやらせてとなるややこしい奴)

「主人が死んだことを知らせるのはできるだけ少ないほうがいい」それも私が決めました。

(だっていろいろお金か勝手タイヘンやん、めんどくさいし)
しかありませんでしたー。

▽▲▽▲▽▲▽▲

検死の結果をまっている間に

主人の末弟夫婦と義母がやってきました。
(主人は三人兄弟の長男です)

が、ここでも新たな事実が発覚しまーす。

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

もうここいらへんのころきっと精神崩壊しかけていたんでしょうね。
お通夜の前日まではなんだかおかしくなって
一人で笑ってました。

楽しくも
おかしくもないのにね。

主人はわたしに
「週に三回、病弱な母の面倒をみれない忙しい弟夫婦に代わって、
母の様子をみたり病院に連れて行ったりするために」
神戸の実家に帰ってくると言っていました。

そうなんですよ。

もう随分長いこと
主人は家には週の半分ほどしか帰ってきてなかったのです。

曜日が決まっていて火曜日、水曜日、金曜日の夜はうちには戻ってこない生活をもう何年も続けていました。

で、私といえば

そのはたからみるとどう考えてもヘンテコな状態を
「旦那いなくてラクチンでありがたいこと」
と思っていました。

ちょっと話がそれますが
私がもともと義母のことが大嫌いで、

不潔で、だらしない。
犬をしつけないので当時新築の家を汚される。
子どもに安いヘンなお菓子を与えようとする。
などで当時の私は本当にイライラとしていました。

長男が一歳になったころ
二世帯住宅を構えて同居を開始したのですが、

あまりのいやさに「同居を解消しないと離婚する」

と宣言した私に

主人は元末弟と住んでいた団地に義母を帰したという経緯があり。

それ以来一度も私は義母にも会っていなかったんです。
(私、そのことに関してほんまに鬼なんですがそのときのことはまたいつか書きますね。)

つまり。

「義母とも住みたくない」
「食費を削りたいので旦那が家に帰ってこない」

まさに一石二鳥。
わたしにとっては好都合だったんですね。

旦那が実家に本当にいるのかなんて
もともと家に帰ってくるのが午前様の旦那なので
確かめるようなことも全くありませんでした。

それは
「信じてるから」なんていうものではなく

「無関心」「むしろいないほうがらく」
「めんどうなものはないほうがいいし」

という類の感情で生きていました。

どう考えてもおかしいんだけどね、わたしが。

とにもかくにも
主人に会いにきてくれた三人にわたしは

長い事あってなかった弟夫婦(実は弟のお嫁さんとこのとき初対面)に

形式だけ(ひどい)
「旦那だけがいつも義母の面倒見にいって、
私はなにもしないでごめんなさい」

と言いました。

が。

末弟からでたことばはなんとも衝撃的でした。

「おねえちゃん。なに言ってるの?
お兄ちゃんはぜんぜん来てないけど?」

ガーン・・・!!

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なーんていう展開の話を
警察の遺体安置所で話すことになったのでした。

そこで問題です。

主人は週の半分
どこにいっていたのでしょ~か!?

そんな主人の二重生活をはじめてからは
すでに7年ほどたってしまっていました・・・・。

今になると
これをなんともなく続けていた私がまあまあどうかしていましたが

どうかしていましたが(大事なので二回言った)

突然死の上に次々発覚している主人の「衝撃の二重生活」に
もう笑うしかない現実があきらかに!←ドラマの予告か!?

とにかく、当時どこからどうみてもわたしは
お葬式という大舞台で

「若くして(?)突然ご主人に先立たれ、
全ての不幸を背負ったチョーかわいそうな未亡人」

・・・という大役を担うシナリオができあがっていったということになったわけです。

うん、きっとね。
心の底の底では

ほんまず~っとやりたかった役やったんやわ。

▽▲▽▲▽▲▽▲

数日かかって
やっと検死が終わりました。

主人の死因は「心筋梗塞」でしたが、
10年ほど前に初期の脳梗塞をしたこともあり

胸と、頭をチクチク縫われて帰ってきました。

七匹の子ヤギ食べた狼みたいやな。
アップリケみたいな縫われ方やな。

全くかわいそうだと思わなかったです。

でも、

まわりのひとの手前悲しいふりをしておきました。

めんどくさかったんです、
自分の中に沸き起こってくるいろいろな気持ちは

「封印するしか」当時は方法を思いつかなかった。

正直何が本当の気持ちなのか
どれがホンネなのか

もうわかんなかったです。

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