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お金がない・50円玉ふたつになった朝わたしがしたこと。 6

28円のもやしをみつめて…の話。

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


私にとってはハードル高すぎました。
風俗でお金を稼ぐこと 。


帰宅して、よくよく冷静になってみても考え込むのでした。


「お金ないやん」の事実は変わらず。

「やっぱり、一文なしになったら行かなきゃな」とか思ってみたり。

でも結論的にはね、

二度とこのお仕事場に足を向けることはなかったのでした。


そこから。
「マジでホントの極貧生活」を送りました。

期間にすればほんの、一ヶ月ほど程だろうと思うのですが


いやー
長かったです💧

スーパーにて「28円のもやしをみつめて」

夕方のスーパーで
買うか買わないか。

穴が開くほどながいこと「28円のもやしをみつめて」

もしかしたら、
「明日になったら半額なるかもしれん・・・・」と思って

ものすごい自分の中で賭けをして

次の日朝一番にスーパーのモヤシ売り場にいったら

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なくなってたやん。


たぶん廃棄処分)

※あらためておさらい!


たいせつなことは
28円のもやしをみつめていたらいつか半額になるかもって願いが叶わなかったことではありません。


14円になるまえにお客様には売れないと処分するこのスーパーはちゃんと品物管理しているなと知識を得たこと。

もーそんなことどーでもいいわ…
もやし買えばよかったわ。
次の日34円に大幅値上げなってるやん💧

と。

この頃は確かに本当に悲惨でした。

もう食べれるもの必死で
なんでも食べてて、

「そういえばバナナの皮も食べてたなあ・・・」
と思い出しましたよ。

バナナの裏のしろいところそいだら結構食べれます。

(が、残留農薬の心配が随分ありますので、推奨じゃないですよ、念のため。)

「皮っておいしいねんなあ」としみじみ感じ、

数年前に読んで、偉く感動した麒麟の田村さんの著書を思い出して

「あれが実現するのかなあ」と
実はぼんやり思っていました。

そんなこと実現したらもっとタイヘンになってたわ、あかんあかん。

でもね。
人んちのゴミはあさってないですよっ(それ自慢か)

一見普通の家の中で起こっていることとは思えないんですけどね。

でもなにより
そのころでさえ、まだ弔問に来られる方は多くって

うちの主人はどれだけ人脈あったんでしょう?と当時は皮肉いっぱいで思いましたが

お供えのお菓子、嬉しかった…

持ってきてくれたあとはもう、
食べたくて食べたくて

「心底早く帰っていただきたかった」です。
(ほんまひどいわ)

今思うと、主人の訃報を聞いて、我が家まで来てくれた人たち。

ほんとうに、悲しんでくれていたなあ。

そんな主人の生前の生き方に
「守られていた」訳なんですけど、

当時、もちろん主人のことを許せるわけもなく、
思い出すと怒りに震えるほどなのを空腹にまぎらわせている感覚なので

ほんと、ありがたみもなく適当な聞き方してました。

とにかくもう食べたくて食べたくて・・・・・・よだれコリラックマ

お客様が帰りはったあとは

お供えは速攻「空箱」でした。(バチアタリ)

そうそう、だから
「空箱」のままお供えされていました。

チーンです。

いつも、お財布の中を確認しながらの

残金わずかの生活は
旦那の財布から出てきた小銭をガシャガシャ出したり、

そのころ、アンケートに答えるともらえる「クオカード」のためにせっせと答えたり。
貪欲にいただいてました。

ほんと、あのころは心もカラダもヤバかった・・・・
思い出しても、空腹ってやはり辛いしせつないですー。

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このギリギリ生活。

あのままだったらどうだっただろうかと思います。

まさかの「50円玉2枚でおくさま@@で働きました」ブログを書いていたかも?

今だから↑こんな冗談言えますけど。

払えないどころか
主人がこさえた借金も
小銭をかき集める生活も

ほんとにわけわからずのまま
生きてる心地しなかったです。

が。

実はこの
「うちのお金の」最大のピンチ
(いやほかにもまだまだあるんですがー)に

「救いの手」を差し出してくれる人が現れます。

ただし。
一筋縄ではありません。

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