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死んだらええねん!って死んだ人に叫んでも 9

〖まとめ〗「人生に意味つけてるのは自分」とホンモノで生きるのは怖いけど本当はそれこそシンプル。

※アメブロで2015年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


このブログを書き始めた2015年の春。
このテーマをはじめて書いたときね。

当時ちょっと驚くすごいアクセスになりました。

自分で書いたものの、
正直そこまで読んでもらえるなんて思っていなかったので

嬉しい反面、
「波瀾万丈な人生」と紹介されることに

いろんな意味で困惑していました。

波瀾万丈劇場を「どうして繰り広げてしまうのか」
自分で、自分が謎だったんです。

書き始めた頃までは
たまたま重なり合って起こったこととして捉えていたのですよ。

でも
今となっては笑えるんですけど

さすがにこの時のことほど大きなことにはさすがにならないけど

いまだに。

いまだにですよ。

「うっかり」していると
「それ波瀾万丈なってるやん!」ってなるようなことを

「巻き起こして」しまうんですよ私って。

それはどうしてだったのかということは
確か「恋する更年期」では恋愛面から触れているのですが、

また、違う場所でお話しますね。

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もうひとつ。

客観的にはどうかわからないのですけど

描写的に受ける印象は昔書いてた記事と
それほど変わらないのかもしれないのですけど

私自身の
当時の書いたときの私の旦那への思いは
今とは「ぜんぜん」違っていることを

告白しておきます。

始めた描いた当時は
本当のことを言うと

「あそこまで私を苦しめたんやから
これくらいぶっちゃけたっていいよね?」

という
「自分はこんなにかわいそうな中がんばった」
…というところを人に認めてもらいたかった。

というのが
確かにありました。

ゲスやなあ。(笑)

だからなににびっくりしたかって
そのブログの反響の大きさで

旦那の赤裸々をそもそも書きすぎなんやけど

旦那のことがクローズアップされてることに
びっくりしつつも

心のすみっこで

「わたしがかわいそう」がかすむやんか!と(笑)

不服な気持ちを言えずに
隠していたので(笑)

旦那の話でアクセスが上がることが複雑で

まあまあ嫉妬してました。
(自分が書いたのにね。)

なので、
旦那の「自分が書いた」超不名誉なことは

「今さらもうしらんわ!」

ってなっていたんです。

ややこしいわ!ホンモノのあたしはいったいどれなん!


だけどそれでも。

私のブログを読んで
「力づけられました」というメッセージを全国からいただくことが増えてきたのですよ。

あれ?

一瞬若干面食らって。

でもわたしね

自分の文章が
どんなふうに書くと相手に伝わるか

相手にどんなふうに届くのか。

実は、いつも
すごく考えている。

あれれれれ?

随分めんどくさい
「私のホンネは何重にも層になっている」

ということを「発見」したのでした…。

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なので思考のバウムクーヘンを剥き続けて生きてます。

ここでようやく、自分にむきあう覚悟を決めました。

そして
ちょっとうそっぽい
ちょっとその場のお茶にごし
ええかっこしい

を、「しながら」
(ここ大事なんですよ)

しながらも、

たいせつな「ホンモノ」で生きるってことを

模索してきました。

本気で。

今、そう思うと本当に
自分のための自分のブログでした。

「ホンモノ」の自分を見せるのが
どれだけ恥ずかしくて、怖くて

気づけば演じているか。

言いたいのは
「演じることが」だめとかいいとかいうことではなく。

波瀾万丈をくりひろげて生きても全然OKだけど

ホンモノのわたしは

「運命に翻弄されたかわいそうな未亡人」
ではいたくないんやーーーーーっ!!

人に貢献できる人として
生きたいんやーーーーーーーーーーっ!!!!!

ていうのが
「ホンモノの中のホンモノ」でした(笑)

宣言した時には

自分の言ったことに
腰をぬかしそうでした。

もう、ほんとの気持ちに蓋して、皮肉めいて生きるのやめやと

本気で思いました。

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以前、
「過去はわたしになにもしない」という記事を書いたことがあります。

私は確かに過去、
主人の遺したもので傷ついたし、たくさん泣き、苦しんだ日々を送ったんだけど。

こうして書き続けて、やっとわかったことがあります。

急に死んだ主人が不本意に遺すことになったものは

主人が「私を苦しめようとして遺したろって遺したものじゃない」ということ。

ただ「そこにそのビデオがあった」ということ。

それだけやなって。

だからね?
ずっと辛かった
「傷ついて」怒ってた

私が「若い彼女と比べられ」
「心が傷つけられたこと」

これだって実際にあったことではないんです。

私が、勝手に意味つけたもの。

そこに意味はなにもない。

この気づきを自分のものにしたら
過去は宝物でしかないです。


わたしは
経験から得た今の自分の生き方が好きです。

ホンモノのわたしは
「たった今のホンモノの私」で人に貢献する生き方をする人です。

悩んで、苦しんで、
このブログにたどりついてくださった方を
力づけて生きていきたいと
確かに思ってました。

なのでやはり
カウンセラーのお仕事しようって

思いました。

わたしは
主人の死によって
たしかに数々の「もの」を失ったのかもしれないんだけど、

それよりも
主人から得たもののほうが
ずっとずっと大きいなって

最近ほんと、思っていますよ。

だから、
事実がどうであったかは
もうどうでもいいんだなって。

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今回、
久しぶりにこのブログをあげてきてね。

このころの自分を回想しながら
書いてたときに

ふわあって自分の気持ちが降りてきたんですよ。

「辛かったっていう気持ちを、(旦那に)
わかってほしかったんやんな…」

ほんまやわ。

だからいつも
「叫んでも死んでおらんやん!!!」って
思ってたんやわ。

PCの前で
言葉に出して言ってみました。

自分で思ったことなのに
自分に驚いて

恥ずかしながら泣けました。(笑)

そしてね。

「自分をタイセツに生きる」って

ほかのだれからではなく
自分自身にこの言葉を心から
かけてあげられることじゃないのかなって思ったんです。

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最後にこれを
書いておこうと思います。

わたしは 「すべてをゆるす人」です。


起こったできごとも
泣いた日々も
怒ったことも

ぜんぶぜんぶ
ゆるしました。

そしてその過程で
「いろんな感情」を
感じ尽くしてよかった。

それをぜーんぶ
感謝の過去の箱にいれて

いまのあたしがあります。
たった今、これからも
感謝の箱にいれながら
生きていきます。

実感する💓

「感じるココロ」があるって
生きてるってことだよなあ。

って。

感じながら

過去も現在もすべてをひっくるめて
今とこれからを生きていく。

死んだら、生きれないから。

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笑 シュールなイラストだわ、ほんまにw

「自分で決めて生きる」
ホンモノの人生を歩む私です。

だって
「たった今が一番
生きてる」って感じて
生きてますから

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